ティアラの関心ごと:新型コロナウイルス禍の終息2022年への希望

もう2年にもなる新型コロナ感染症は、ある地点から一気に世界的な感染拡大へ加速し始め、論理的に解明できない状況の中、世界各国の国民は、無関心でいることもあれば、早々に先手を打ち、感染拡大の基本的エビデンスに従って警告を発して国難への影響を防止するなどして慎重な対策が取られたところもありました。

国民性の違いは、国民の主張の強固さや、軟弱さ(無関心なまでに感染の危険に対応しなかったり、宗教的なコミュニティの感染症に対する呼応しない信じ方があったりして、“軟弱さ”というべきことではないけれど)、危機意識への無関心さが、色々なあり様であったのではないでしょうか?

日本国という限られた中で、眺めてみても、これだけ何だかんだと、いろんな分野の学者や多くのメディアの方々が、論じ合う(というか口論めくこともあり)のを理解しようとするのだけれど、簡単には裏付けられた自らの行動を決するには、やはり難しい。そのような背景もあってか、文句は言えるものの、基本的なスタンスは、確たる自己の信念に結びつかず、案外、無関心であったのかもしれないと思っているわけです。無関心でいることの意味は、怠惰な響きがつきまといませんか?

最近になって、新しいコロナウイルス変異株の名称として、オミクロン株が流行してきました。すぐそこに年末・年始がやってきました。ここにきてコロナ変異株についてオミクロンと名づけられ、ギリシャ語のアルファベットからとっていると発表されると、無関心さは払拭され、関心に変わるものですね。
な~んでか?なんでそ~なるの?ってな訳です。WHO(世界保健機関)が名付けたものですが、ニュースでも話題になったのは、名称=輝ける冠=のなれ初めがまた、興味深く面白い。オミクロン「O/o/omicron」は、ギリシャ文字の第15番目。

コロナの変異株は、イギリス株、インド株、などと最初に見つかった国の名前を使って呼ばれていたが、WHOは差別や偏見につながるとして、2021年5月から、意味を持たないギリシャ文字で表すことにしたという話です。さらには、オミクロン株についてTVや新聞で状況説明される中で、ギリシャ語の15番目の文字云々の話を見すごし、大きな関心を寄せることなく過ごしていたけれど、面白い裏話があるもので興味を持って調べてみると、見つかった順に、アルファ(α)株、ベータ(β)株……ミュー株までの12種変異株が見つかっていたのですが、ミュー株の次は、ニュー。これは英語との混同を避け、クサイは英語表現でXiと表現することになり、このXiは、これを姓(習)とする人が多く、また中国の習主席とも重なる)為、これら二つを飛ばして、15番目のオミクロン株と名付けたというものです。おまけをつけるならば、WHOは今後の変異株の名づけは、ギリシャ語が不足した場合、星座の名前を当てる予定らしいです。

この話、面白いようで証もない話だなと思いますが、少し楽しめていただけましたか?

まあ、日本の社会的感染対応のプロセスは、いろいろ問題を抱えてましたが、最近は、説明と方針・対策を早め早めに発出していただけているように思えます。こんな少しロマンチックな裏話が潜んでいるのなら、新型コロナウイルスの変異株に関心を寄せて表記の見出しに私達の大切な関心事であり、無関心にしてはならない思いを表現してみましたが、不謹慎でしょうか?

さて、年末もあと僅か。新年を迎えて、皆様は第一に、この不自由なコロナ禍からの脱脚を願っていらっしゃるのではないでしょうか。

2022年も、幸先よく、健康な歩みとなりますよう、そして皆様のお幸せを祈念申し上げます。2022年も、ワークステーションをお尋ねくださり、人生に彩りを加えていかれますよう願っております。

 

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【第3章】2節 僅か1年の大学生経験は、私の自由観の形成期でもありました!?

看護学生生活3年間の不自由感は、大袈裟かもしれないが日々、心理的に追い詰められていくようで、その心理の行き先は、解放感を感じにくい箱の中に納められていくようで息苦しいものでした。生活上の営み全てが自動的に進み、決められた何時も通りの時間が過ぎゆくままに、明日を迎えていました。ですが、そこは青春のエネルギーがそこはかとなく漂っているのですから、じっとしているなんてことはありえなく、ちょっとした事にも大袈裟なくらい弾け合って賑やかでした。与えられた空間は、狭いながらも楽しい我等の住処と心得、狭い箱の中に笑い声があり、喧々諤々の騒音があり、そうよ~!そうじゃないよ~!良いじゃないの~!の歓声が交錯していたと思いますから、案外、学則には素直に従い、心地よい不響和音の青春の響きに酔いどれながらも、日々感謝の心を持って迷路に陥ることなく仲間に支えられて過ごすことができたと思います。

さて、大学生活を始めた私は、この1年をどのように過ごそうとしていたのだろうか?

私は郷里の同級生の大学生活を遠目にして、羨ましさを募らせ大学生活の自由な学びを経験したくて入学したのですが、1年という期間は結構慌ただしい日々と心得て、大学の先生方や学生たちと自由に語り合える時間を持ちたかったですし、広い学びがあることを願っていました。当初は臆病さも手伝って静かにその場(教育学部保健研究室)に身を置いて模様眺めでのんびりしていましたが、まもなく早い時期に、好きなダンスをし始めてみたくてフォークダンス部(F.D)に入部し、他学部の学生たちとの交わりができるようになりました。

この時代の思想軸は、いろいろあったと思いますが、私が影響を受けたのは、フロム著の『自由からの逃走』などが上げられ、それを学ぶ機会ができたように思います。
また1960年代の学生活動は、先鋭的行動が繰り返されていて、学生運動は、アメリカのベトナム戦争(侵略)反対運動に呼応するかのように活発化し、やがて管理体制化を求めての方向に向かっていくであろう境界にあったと思います。混沌とする世界的な反戦運動のうねりの中、なかなか止まぬベトナム戦争は、解決なき敵対連鎖が長期化しており終息に向かうには遠く、世界全体が、疲弊感・無力感・空虚感に支配されていたのではないでしょうか。そして、フロムのこの著書は、広く読まれており、私も多少影響を受けて、難しい本著を読みました。ただ単に読み始めたのであれば、私は途中で放棄していたと思いますが、触発されて読みはじめたって感じですかね。教育学部の教授先生方や研究室の若者、F.D部に集う学生達ともちょっとした話し合う機会があるなど、話題になりました。

F.Dは、週2~3日、3時間ほどの練習で、学生達は男性が多く女性達は男性の3分の2ほどでしたので、大事にしていただきました。練習の内容は、選曲・振り付け・新作への挑戦など、運動量は多く研究的でした。金沢にやってきて初めて、北陸3県(福井・石川・富山)はフォークダンスが盛んであることを知り、本格的な運動量の多いダンスでしたが、踊りは、エキゾチックで浪漫的で民族的で融和的なのが楽しく魅力を感じましたし、練習を終えれば、夫々に帰路につきますが、三々五々に分かれては、喫茶店や居酒屋に立ち寄って、色々語り合うわけです。これがもう楽しくって、学ぶことができて、恋に陥るカップルもできて…と、青春を謳歌してるな!自己満足感多々でした。

残念!ながら私は、恋人は出来なかったものの、1年間をエスコートして下さる若者(法学部)が現れ、古書店、和菓子店、レコード店を回り、クラシック・レコード鑑賞、絵画芸術鑑賞・金沢散策など、未知なる世界を幅広く案内していただき、多くの知的な栄養を得ることができました。きっとその頃の私の顔は、輝いていたのではないでしょうか?

私の学生本来の学びの軸は、教育学部保健研究室に所属して養護教員養成課程の教育カリキュラムに沿って展開される授業です。看護学校時代の教育と違うのは、教授たちの存在が身近であり普段的であり、緊張感を持つことが無かったのには、びっくりで新鮮でした。授業の中では、紹介される諸本が多くあり、全て読破できはしなかったが、勝手に重厚感を感じ、自己満足感は高かったのですから、単純な人間だったのだと思います。こうして私は多くの人々と出会い、未知の著書と出会い、金沢にマッチングする郷土の産物や歴史的な町並や武家屋敷路の散策、古書探し、老舗和菓子とお抹茶の味わい、九谷焼との出会いなどなどを通して、一歩一歩金沢の学生生活に馴染んでいけました。

さてフロムの「自由からの逃走」について端折って要約してみると、「自由-心理学的問題か?」「個人の解放と自由の多義性」へと進み、子どもが成長し、第一次的絆が次第にたちきられるにつれて、自由を欲し独立を求める気持が生まれてきます。子どもは個性化が進むにつれて強くなっていく一方、孤独が増大していきます。孤独な子どもは、権威への服従か自発的行動かの二者択一を迫られるということです。そして「近代人における自由の二面性」人間はよりいっそう独立的・自律的・批判的になったことと、よりいっそう孤立していく「逃避のメカニズム」「自由とデモクラシー」へと展開し、われわれの社会では、感情や思考、意志的行為における独創性が欠如している。自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲にすることなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道です。云々…。ほとんど解らないに等しいのですが、このような著書と出会ってこなかった私は(勿論、読みこなすことはできないにしろ)、読書する機会に出会ったこと、周囲の人たちによって読破して、中味を吟味できたことは大きな体験学習となりましたし、「学生を味わえた」と思えたのです。

金沢大学の1年は、時間軸としては幅が小さいものの、10年くらいの学びを得たという感触は、大阪に帰ってきて以降いつまでも忘れ得ぬ思い出となり、私の働き方、働く姿勢に、長く大きく影響を与えてくれました。

さて、次回は、どんな思い出を切り取ってお話ししようか考えあぐねます。が、楽しみにお待ちください。

 

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コロナ感染の収束の行方にご用心!

皆様、第5波新型コロナ感染は、ほぼ収束に向かっていますが、いかがお過ごしですか?

今後の感染拡大への行方は、まだ確かな解明はできていないのですよね。やはり状況が確認できずにいる以上、各感染の専門家や臨床対応されている医師先生方のコメントや指導上の発信をしっかり見届け、気を引き締めて油断しないでおく必要はあると思います。

今後どうなっていくのか??できれば、明確に核心的に解りたいと心は逸る思いです。 TVコメンテーターの専門家は、「急激に収束した理由は、まだ解明されていない。」とおっしゃって、基本的な感染対策を続けるように…と注意を促されています。おもむろに予想しにくい今後への対策をご指南くださっていますよね。

確かに、毎日、私達に理解できる新型コロナ新規感染者数は、グンと減少しており、スンナリした静まり方であり、何ともミステリアスです。どうなっちゃってんの?状態です。内心うれしいし解放される気分に違いないが、用心深き心情もまた湧き上がってきますよね。ここは、神妙に基本的な感染対策を維持しておくことが大切だと思います。

私達の生活の形態が変わって2年のこれまでを、よくも頑張ってきたものだな?と褒めてあげたくなりますよね。であるならば、今しばらくは気を緩めることなく、日々、感染予防の基本対策(適正なソーシャルディスタンス、マスク着用、手洗い)は続けていきましょう!って言うしかないかなぁ?!

第6波が来ないようにとの願いをこめ、同時に来るインフルエンザの流行・感染に備えての対応としていきましょう。と言おうとしましたが、先日の専門家の予想情報によれば、「今年は流行しないのではないか。但し、コロナとインフルエンザの同時感染で、肺炎が重症化する危険があること、また来年のインフルエンザ流行に備えて、インフルエンザ・ワクチンの接種は、しておいた方が良いと、発信されていましたね。これは、私達、個々人が気を付けて行動する事ではありますから、此処は皆さん!!感染予防対策をして、乗りきっていきましょう。

 

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【第3章】1節 潜在していた「大学での学び」!まさかの挑戦!?

3年間の看護学生生活は、世間知らずのなせる業、波瀾を招く万丈さをもって、困難な時々を通り過ぎてきましたが、総合的に見れば、病院や看護学院の教育的な視点の礎はしっかりしており、毅然とした教育体制があり教育環境も良く整えられていました。教務の先生方の意気込みと熱意は計り知れないほどの迫力が、私達に伝わってきました。私達もまた守るべき学則や日常の学びにおいては、几帳面で素直な学生であったと思います。社会全体を見渡せば、私達の10代の頃は、自由への模索が熱気を帯び、解放されるべき方向に風穴を開けようとした時代で、戦後復興への力強さが溢れていましたが、一方では、旧き社会の窮屈感・閉塞感に抗しきれぬ苛立ちを感じていた社会ではなかったか?と思います。このような社会背景の中で、看護婦養成課程の教育プログラムは、幾重にも検討が重ねられ、さらなる高等教育化に向かって、課題解決を図ってきたのは確かです。看護職者たる看護職域の論陣を張る先人の方々の熱き思いは、ほとばしる真剣さで検討されていたのを思い返せば、ひたすらに感謝であり、時代の変革期ではあったと思います。しかし私は、当時の看護婦養成学校3年間を経験したわけです。見渡せば、何か物足りないむなしさを覚えていたのは確かですし、先生方との関係性には、ある種の緊張感がありましたし、簡単に親しみを表現することはできなかったですし、ある種の距離感を保っていました。が、しかし、先生方は、専門職業人としての誇り高い信念を持って、教えることの困難さ、学生達を導くことの困難さに悩まれていたと思います。

私が新人看護婦として配属された最初の病棟は内科病棟でしたが、結核既往歴があり排菌の恐れがなく、他の内科疾患治療を必要とされる患者さまの病棟でした。56床ほどの病床はほぼ満床で、入院経過が1年~3年~5年の長期入院患者さま達でしたから、新人の私は、患者さまから真面目な顔してからかわれたりすると、不愉快さを覚え、何でこんな病棟?と涙が出るほど悲しみが込み上げました。先輩の看護師さん達が申すには、「世の中生きていくには、こんなことぐらいで怒ったりメソメソしてたら、きりないよ。患者さんからのからかいなんか、何事もやり過ごすことやね」と。モチベーションは下がり、半年くらいは仕事が面白くない気分で働きましたが、そういえばいつ頃からか、本来の笑顔が出せるようになり、看護上の対応にもどうやら工夫と思慮・思考が巡らせるようになってきましたから、ま、1人前の看護婦さんになっていけたと思います。

そして気持ちのやり場が落ち着いてきた頃、私の頭の中に、成し得たい一つの小さな願いが沸々と湧いてきました。それは、看護学生の頃、夏休み、冬休みで郷里に帰ると、大学に進学した友人たちと会って近況など色々と話合ううちに、私は密かに「私も大学での勉強をしてみたいな」と思うことがしばしばありました。大学生をしてみたかったのです。明快な視点に導かれたのでもなく、漠然としたものでしたが、叶えられるにはどうしたらよいものか?安直であるにせよ、大学受験がどうにかできないものだろうか…?と。調べて導き出した案は、国立系の総合大学教育学部養護教員養成課程1年修了コースの道です。大学に進める道はそれしかなく、大学受験を目指して勉強して来なかったけれど、何としても受験して1年間の大学生生活を経験してみたい…。看護婦職の道を歩んでいくその気持ちに変わりはない。養護教員養成課程1年間の学びの場で、教育学分野を学び、他の学部の方々との交流もできる、その経験だけでも、看護婦としての歩みに大いに役立つことがあると思いました。

受験理由を私なりに正当化して受験準備にかかることにしました。が、ここでしっかり考えないといけないことは何か?1年間の大学生活…を実行すれば、1年間の学費と滞在生活費の経費を準備しなければならない。さらに…看護学生時代の奨学金(2年間分)を返済しないといけないのです。忽ちに金銭的には破綻を来してしまい、さらにもっと大事な約束が…。卒業を前にして言い放った忘れようもない誓いの言葉「3年間を病院で頑張ってみせます」。これを反故にしてはいけないのだ。決断できずに思いあぐねる日が続くうちに、受験票は届き、入試日の1月末は刻々と近づいてくるばかり。解決に至らぬまま、ついに入試日が来て、迷うことなく雪降る金沢大学に向いました。2日後には合格通知を受け、それはとてもうれしい私自身へのニュースでした。

何が何でもの意を決して事務長さんに相談させていただくこと致しました。ではありますが、卒後一年目の私が何申す!?と自問自答するばかりの気後れ感、もやもや気分と闘いながら、事務長さんに面談を申し入れました。「どんな相談ですかな?」笑みを浮かべておっしゃられましたが、そこはやっぱり用心深く控え目に…! 問題多き5回生の私が何を言いだすのか?

 

「私は、1年間だけ大学(金沢大学教育学部養護教員養成課程)で勉強したい。養護教員になりたいとは思っていないので、終了すれば病院に帰ってきます。ですから、1年間を退職にしないで休職にしていただきたいのです。看護婦の道を残していただきたくお願いできないでしょうか?1年後には必ず病院に帰ってきます。大学で学びたい主科目は児童心理学です。看護婦として大事な学びになると考えています」と。

目を閉じて話を聴いて下さっていた事務長さんは、おもむろに、

「この話は、聴かなかったことにする。あなたの所属の管理者はどなたですかな?」

「はっ?あの~看護部長です」

「ならば先ず、相談しなきゃいけない人は誰かね?」

「看護部長ですが…?看護部長さんに話しても否定されるだけですから。」

「私は何も聞かなかったことにします。あなたはあなたの上司、看護部長にきちんと申し出なさい」と突っ返されました。

一から交渉し直しの苦手な交渉に、この話はもうまとまらないことを覚悟して看護部長に面談を申し出ました。勿論、いきなり看護部長は私を叱り飛ばされました。2~3日後、事務長からの呼び出しがあり、「看護部長から話を伺い、検討した結果、1年間の休職を認めましょう。必ず帰ってくることを前提で、あなたを信用して許可するのです。初めての事ゆえ、この契約を破棄すればどういう事になるか?社会人の責務としてしっかり認識して手続きを進めるように」と。私は、許可されたのです。晴れて、1年間を大学で学ぶことができることになりました。

(この続きは次号で またお話ししましょう。楽しみにして下されば、大変嬉しいです)

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【第2章】5節 私の看護婦人生:希望のスタート

私は、一応順当に看護学校を卒業。国家試験も無事合格して、社会人看護婦1年目を初々しく歩み始めました。その辺りの詳細は、もう忘却の彼方に飛び去り、定かでない事が多いのですが…。そこはお話ししておくのも良いかと思っております。

当時、私が入学した看護学院は、病院付属の高等看護学院であり、入学生の学費・寮費の経費は、3年間、病院から奨学金として支給され、学生は全員寮生活をする事が義務付けられていました。奨学金の返済は、卒業後3年間は母体病院で働く、という条件が義務化されていて、理由あって3年内に退職するときは、残費清算して返済することになっていました。そして最も大事なことは、「保健婦・助産婦・看護婦国家試験」に合格することが最大の命題でした。看護師国家試験の実施日程は、基本的には2月の第2日曜日(看護学校卒業直前)で、私達の卒業式は3月でしたから、卒業仮認定申請して受験に臨みました。

3年生は、国家試験と卒業を控え、新年早々から落ち着かない緊張感の中で過していました。教務の先生方からは、「当看護学院は、開校以来、不合格者は出していません。合格するのは当然で不合格はありえない。」と、ことあるごとに力強い励まし?の発破をかけられ、私達もまた「ご心配いただきありがとうございます。合格できるよう頑張ります。」と力強く応答してみるものの、頭の中は、実感の持ちようが無く、奇妙な感じでした。国家試験を合格しなければ、看護婦としての旅立ちは出来ない。前に進むしかないわけで…とならば、ここは国試勉強に必死で取り組まざるを得ない とばかりに、誰に助けを求めることもなく、自分自身との闘いでした。私自身、失敗に対しての覚悟を持ち合わせた強い意志がほしいのですが、問答は空回りして思考が集中しないから、案外安直な構えだったように思います。

国試合否の発表は、4月入社後の6月。幸いなるかな全員合格の報を受け、ほ~っと腑抜けていくように緊張感が解けていったように思います。合格の報を受けて、その夜は仕事を終えると、5回生6名は、足取り軽く身も軽く「お祝い会」に出かけ、思いっきり弾け、喜びお祝いの乾杯をし、労いあいました。
やっぱり苦しかったよね!よく頑張ったね!3年間を無事過ごしてこれたよね!乾杯!!

私達の学年は一つの強固な意志特性(12名それぞれが、個性的な意見・見解を持っている)があり、何かある度に賑やかな議論舌戦を展開する5回生でした。強固な5回生ではありましたが、出尽くした議論がそれ以上に進展せず、良き知恵に集約されないと解ると、あっさり多数決か合意的妥協で決定し、恨み言なし。そこはホントにさっぱり終りにするという良質な特性を持っていたと思いますし、可笑しな笑える5回生でした。

卒業は12名全員ができる事になり、3月中旬に行われる卒業式の当日は、糊の効いた白衣に身を包み、髪の毛は乱れぬようしっかりピン止めし、ほどほどに頬紅をさして爽やかな溌剌とした若人仕上げに。胸元には紫のカトレアの花を飾り付けた卒業生12名は、両親や親族、看護学校の先生方、院長兼学院長と病院の主要な方々、下級生一同の皆様に見守られ式事を終えるのですが、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞に至れば、号泣に近い嗚咽がクライマックスな高揚感に。これはもう、止めようのない泣きのシンドローム状態で、その乙女チックさを思い出せば、ちょっと照れくさい話です。

ところで、5回生12名の卒後進路についてはひと波乱ありました。私達5回生は、入学時から欠員状態の上、途中退学者を出して12名という最少人数で学んできました。12名グループというのは、コミュニケーションの距離は取りやすく、口論になっても一晩寝れば鞘に収まっている。良く言えば、その結束力は如何なく発揮してきましたし悪く言えば、ごね得とも言われた5回生です。ところが当に、良くも悪しくもなのですが、生涯忘れ得ぬ「卒業間際のひと波乱な深刻事態」を引き起こしてしまったのです。

卒業後の就職は、全員が付属する病院に就職するのが従来の鉄則(基本的な契約?)で他施設に就職するなどということはありえない事でした。
しかし12名中5名は、外部の病院・福祉施設に就職を決め、1名は就職せず結婚を決めていたのです。当然、病院側からの強い慰留の説得が数日間続けられ、次第に叱責に至り感情的な対立となりました。私達学生側の契約上の遵守責任も然ることながら、教務の先生方にとっては、仰天の職務上の責任問題で、病院側からの厳しい追求があったはずです。どんな説得工作に於いても6名は、説得に応じず強固な意志貫徹を持って突破しようとしていました。

私達12名は、仲間だけを見つめ、守り合うという意気込みではあって、それしか見るべき方向が見えなかった(見ようとしなかった)という事かもしれません。残留する6名は6名で、彼女たち外部に所属しようと決め込んでいる仲間の決意の頑強さに、説得する意思は持ちえず(むしろ説得しようとは思わなかったと思われる)交渉中の病院側に対して、「私達6名が残ってこの病院のために、頑張っていきますので、6名の仲間の意志を尊重して認めてください。」などと、ありえない主張を繰り返したのです。

ついには認めていただくことになりました。が、しかし、残留する私達6名の主張が「認められた」という甘い汁の回答を頂けたとは思いませんでした。実際、この問題については、対立の過程では、学籍抹消に値するくらいの病院側の強い怒りを私達に向けられ、「何故そうしたことが解らないのか?これから社会人として厳しい社会の中で生きていかなければならない事を解っているのか?医療人として看護婦として、人の命と向き合っていくということはどれだけ大変で、責任の大きい仕事か解っているのか?」と。まさしく親が子に生きる術を必死で教え覚え諭すように…何故それが解らないのか?そんな必死な説得であったかと思われ、これからこの病院で働いていく6名は、「自分たちは病院に残って勤めていこう。」「病院には大変な迷惑をかけた。私達が、このような事を引き起こさないように事前の策を取らずに、密かに突入させてしまった。しかしこれまでの順調な流れを受け継ぐだけではなく、ある意味で別の道を選んで行ける自由もあっていいではないか?」などなど、結論の出せぬ出せない思いを肝に銘じて、決して忘れないで働こう。私達がこれからしっかり頑張っていくことで、5回生の罪・恥にならないよう頑張っていこう!」と誓いあい、病院に留まることになりました。

~それにしてもエライ事をしてしまいました~。

この病院に残留の6名は、2年間ほど、看護部上司たちの目線の冷たさに耐えて働くことになりましたが、そのうちに重宝していただけるようになりました。全員が5年間は働き、その後は、結婚やら、故郷に戻るなどしましたが、永く勤めた3名は、看護部のリーダー的な役割を担い基礎看護教育の分野でも活躍してきましたが、今は昔の物語。

たまにこうして想い出してみれば、あの頃の青春時代、青臭く残るあれこれの思い出が、とめどなく噴出してきます。しばし立ち止まって、あの時あの人あの時代に思いを寄せてみれば、また苦楽の思いが、蘇ってくるでしょう。それは私の人生の希望の歩みとして…。

仕事をしていれば、時に人間的な感情を縛る時があり、そんな風に自分の感情を抑制していくうちに心が重くなっている。そんな時にこそ、多くの人との交流は、案外、自分本位な心を溶かしてくれるものだと感じてきました。耳を澄ませば、昔の仲間の声が聞こえ、はっと気が付けば現実の声を聞くという、そんな交錯を通しながら、人間同士の交流の信号を読み取り、心が穏やかに和んでいくのを感じるこの頃です。

 

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気が付けば夏!

ちょっとおかしい間抜けな麻痺した感覚かなと思ってはみるが、ここしばらくは、オリンピック開催する?開催しない?オリンピック無観客でする?観客動員する? 論争で、メディアでの話は騒々しい。

お互いある程度の思いやりを持って、相手の意見を聞き、誰が正しいとか正しくないとかではなく、皆が正しい答えであるかどうかは解らない などと言ってはいるけれど、どうも二分した感情は交わり合いにくい。そんな騒々しさに巻き込まれながら、季節を振り返ることなく、何時の間にやら夏が来た(来ていた)。

夏の風物と呑気な事を言っておれない、激しい雷雨、豪雨の予報を受けて、警戒はしていたけれど、まさかの熱海の土石流災害は、人災と言うべき大騒動。

大阪の土砂崩れによる家屋倒壊も、あるべく事の現象なのか?思いもよらない何らかの環境被害?なんだか、日本全体、ピシッと佇まいを整えきれない油断・慢心・忘れ去っている危機への記憶。

あらためて、犠牲になられたすべての人々が、静かに私達への警告・警報を鳴らして下さっていることを覚え、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

オリンピックは、開催することに向ってかじを取り後戻りはできない。

オリンピックに参加するアスリートの方々の胸の内は、ひたすらに、オリンピックに向けられて気持ちを整えておられる。

私達は、そのアスリートに向って、「闘ってください。私達はしっかり応援しています」とエールを送りたいですね。

 

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6月の花盛りは癒され候・・・と思いませんか?

6月ともなれば、初夏の涼感を愛でる花が勢揃う。

良き季節と天仰ぐ感謝ありながら、じめつく蒸し暑さに閉口し、梅雨の到来のうっとうしさに気分を削がれてしまっている。覇気の湧き上がりもままならず…文句タラタラ呟きたくなるという気分が伴ってくるし、めんどくさい感傷へと誘われてくるから始末に終えなくなって身体全体が怠くなる。

いきなりダル重い話口から始まってしまいましたが、6月の花は、癒される色彩、豊かな色合いとりどりを楽しめる ということを本当は言いたいのです。

色彩の豊かさを感じ入る6月の花の個性は、大人な佇まいを感じさせて、優雅で秘めやかな色彩の花々と受け止めているのです。

 

ところで、私は6月生まれの双子座。
星座占いによると、

チャレンジする事に魅力を感じます。
「不可能」が「可能」になった時に、大きな快感を覚えるでしょう。
性格的にに「女性面」と「男性面」を併せ持つ生まれです。
周りから不思議がられる事も少なくありません。
この生まれにとって、一番大切なのは「信念」です。
信念さえあれば。「正義の味方」にも「悪の大王」にもなれる生まれです。
密かな野心があり、目的を達成することで喜びが得られます。

情報や言葉に敏感な生まれです。
極端な選択をする事があるでしょう。
未知の分野を開拓する運命があります。
鋭い観察力があり、隠された真実を逃がさず発見します。

星座占いに毒されて、自身の人生を歩んでいるわけではなく、また自身の毎日の生活感をこうした占いに従ったり、修正したりする執着性はないけれど、たまには今日の運勢はどう楽しもうかなと、おどけて参考にしてみるのもちょいと面白いものです。

必ずしも一日中その占いに従うことなくいつしか忘れとんで、自分で運の運びを選択していて心曇ることもなし。まあ、楽しめば良し。味わうレベルにはいかないものだなと。

6月~7月の湿気と暑さを如何に乗り切ろうかと。

なにか他愛もなく、フフン?と笑みを浮かべながら、お気楽に夏場を切り抜けて、コロナ禍の鬱とうしさに支配されぬよう、健康への食のパワーを借りて切り抜けていきましょう。

 

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【第2章】4節 学業と寮生活と歌声の響(共鳴)

現状の看護師養成教育課程からは考えられ様もないが、その頃の看護婦(師)養成教育は、「学業と寮生活」が統合された形で教育展開されており、それはそういう一時代を経て、発展的な近代教育の今がある としか言いようがない。

寮生活の中にあって目覚めて始まる一日は、ピ~ンと張りつめた一環性の中に、計画的に規則正しく流れて行く。先輩の注視する、声、言葉、目線、仕草が、何かにつけ支配的であり(そのように思われ)、自由な雰囲気を得ることはなかったのではないかと思っている。

一般の大学生、短大生の教育課程とは異なり、教育カリキュラムは、医学・看護学分野の専門領域の教育課程が、ぎっしり詰まっていて、毎日の学びの忙しさは、結構ストレスフルであったけれど、深い学びの過程をたどるほどに、看護への興味は増してきました。

その変化の感じ方は、看護教育の力であると認識することはできました。私の場合、1年生後半になって、健康回復のきざしが出はじめ、クラスメイトたちとの呼吸がかみ合うようにもなって、大きな声で議論し合い、笑いあえるようになってきましたから、大きな進歩・成長ができたといえます。

今まで何かしら、このまま代わり映えしない閉鎖的な環境で3年間を過ごさないといけないのだろうか?こんな疑念に支配されていたようで、私は、世間に乗り遅れていくのではないかと体が強張っていましたね。パッと弾けるような解放感を渇望していました。

私の学年は、総勢12名。エネルギーとしての見た目は力不足の状態です。幸いなるかな!12名というのは、非常にコミュニケーションが取りやすい利点有りなわけです。良くも悪しくも12名は、学業は素直に学び、寮生活では、先輩の凝視点検の難儀を感じていたけれど、そこは結束力でサラッと受け流すという技を身に付け、3年を終えるまでは、ひたすら看護学校卒業⇒看護師国家試験合格に邁進するのみ。それを目標として頑張ってきたと言えるかな!?

大学・短大・専門学校の違いを知り尽くしながら、12名の仲間は、有耶無耶感をすっきりと再生させるべく自己表現を表出しあい、共有を図っていけたのではないかと思います。 謂わば私達、不揃いのリンゴ娘たちは、其々の個性を持って自分の立ち位置を自覚して共同、協同、協働を成し得ていけたのでは?と思います。さて2年生の後半に入った頃のこと、私は良き情報を耳にすることができました。1学年下の看護学生でピアノを弾ける学生がいると知り、何かピッと来るものがありました。さてどうしたものか…?!

彼女とは、寮舎内で会えば普通に話もし笑いあうという親しさもあったので、ある日、私は「指揮棒を振ったことは無いにしても、中学・高校では合唱部で練習を重ねてきた経験があり、その経験を頼りに期間限定で合唱部を作ってみたい。あなたが、ピアノを弾けると聞き、合唱部を結成できないだろうか?」と尋ねたところ、「良いですねえ。簡単な曲ならば弾けると思います。」との反応を得て、思い当たる3曲ほどを提案したところ、「ちょっと弾いてみて、弾けそうなら直ぐ返事します。」と。その後日、「トライしてみましょう!」との良き返事を受け、あれよあれよという間に、準備が整い、1年生、2年生を募集したところ、20名は集まりました。合唱部結成の喜びは大きく、不安ながらも挑戦してみることになりました。

計画の詳細は、練習曲3曲(モルダウの流れ、ゆりかご、夏の思い出)、練習期間は1年2か月(再来年3月までの18か月間)、この間、春休み・夏休み・冬休みを除けば約15か月弱、練習日程は毎朝7時15分~8時、目標は「3年生の卒業祝賀会で練習成果を披露してお祝いする」。こうして20名の賛同者を得て、期間限定の合唱部が発足できました。えらいこっちゃ!!です。

発声練習、パート別練習、全パート合わせ を組み合わせた練習を実施しましたが、やはり朝練は、実習前の時間利用という事ですから、学生にとっては少々厳しかろう?続くだろうか?との思いは杞憂に過ぎず、予想外な反応が得られたのです。

「朝の練習を終えて、実習場に行くのは気持ちよく、身体もすっきりする。」との好反応。毎朝10~15名は参加するという状況で、合唱曲の選定にも好感を持ってくださり、1年2か月間で3曲を仕上げることができたのです。その間、大きなトラブルには至らず練習は続行されたという事です。早朝の発声は、本当に気持ちよく美しく響くものです。学校にはピアノは無く、病院の講堂にありましたから、その広い場所をお借りして練習ができたのですから、ラッキーというよりほかなく、ありがたかったです。一部の患者様や、病院職員の方々から、「毎朝きれいな歌声が聞こえてきて、気持ちいいわ。上手に歌っているわね。」との感想を頂き、嬉しかったし、励みにもなりました。

そして3月中旬、3学年一同で開催するイベント「卒業生を送る祝賀会」に於いて、練習してきた合唱曲2曲を披露する時が来て、病院院長兼看護学院長、事務長、総婦長(現看護部長)、婦長(現師長)さん方と、3学年の看護学生が共に会合する場に於いて、私達合唱部員18名(だったかな?)は、晴れやかに、美しく、歌い切りました。

この経験は、「感動した」物語ではなく、看護学生の3年間の中で、看護学生の寮生活の窮屈さに閉塞感を持ち、如何に逃れようとしていたのか?単なる反発行動に陥ることなく、教務の先生方や病院の経営にあたる院長、事務長、看護部長の方々と、敵対ではないながら、しかし親しみからの距離感で交流が交わされる意識などありえず、むしろ遠い存在であったと思われるが、そんな面倒な意識解析はどうでもよく、垣根は解けて、グンと近づけていたのです。

凄い拍手喝さいを頂いたのは言うまでもありません。
アンコールの声もいただきました。あぁ~!気持ちよかった~!

私達の達成感・満足感は最高でした。その時の感激・感動が今も蘇ってきます。

 

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医療現場からのお便り

医療現場からのお便り~医療現場の最前線で働く私の友人より。


医療現場の最前線では、ベッドが不足していて、4月になってからは陽性自宅待機者が500人を超えている。

それでも3月までは、全員がホテルや病院に入院できていたが…。毎日が100人前後の陽性者。働いている病院においては、28人中27人が酸素吸入していて中等症や重症です。

3月頃は10日ほどで、退院出来ていましたが、今ではそれが出来ず1ヶ月〜それ以上の入院が必要となっています。

高齢の患者様は、認知をきたしていたり、頭が混乱するなどで、部屋を間違えて病室のレッドゾーンからグリーンゾーンに動かれるなどあり、その時の意思の疎通が上手く取れないこともあるのだと。結構、大変な介護力も伴うそうです。

そのような大変な状況にあってお世話されている看護師さんや医療従事者の皆さんは、患者様はもちろん家族の方々、そして医療従事者たち自身の命をコロナから守り、幸せな日常の暮らしを取り戻すべくゴールに向かって、活動しているのですと。

 

コロナ病棟の患者様たちは、約半数が高齢の方々で、狭い空間での生活を余儀なくされ、不自由な入院生活の上、ご家族との面会が出来ず、交流の手段は携帯電話やラインメールなどで繋がっている由。ただし、すべての患者様が交流手段を駆使してということではなく、全く交流の手段が持てない方も…。看護師さんたちは心が痛みますと言うことです。

こうした現場からの看護師さんのお話を知らせていただくと、本当にそのご苦労や心中の痛みが、よくわかりますね。私の胸にも、突き刺さる痛みを覚えてしまいました。

さらに、現場の看護師さんはこう続けてくれます。

恐るべし変異株。コロナ感染に対する恐れは、第3波とは違っており、変異株の感染拡大の威力は、凄まじさを感じると。

そして、4月に入ってからは、陽性待機者の皆様が、中等症や重症化されて救急搬送されても、入院するベッドが確保できなかったりするなど、ニュースにもなっていましたが、6時間以上も救急外来で待機しているという状況のようです。

医療現場の最前線で働く私の友人は、感染管理の知識も深く実践力も伴ってテキパキと活動しておられますが、現場の様相は、人手がどれだけあっても足りないくらいで、患者様のお世話をするに充分ということが達せられぬ状況に於いて、嘆く時間はなく、目の前の医療的ニーズに応えていかなければ…と。命を守る、そのことに於いて成すべきことをやっていきますと。私の友人はそのように語ってくださいました。

現場は、エビデンス(科学的根拠となるデータ収集、分析)が明確でない中で、目の前に生じてくる未経験な初めての現象に対して、安全な方向への行動決断をしなければならない。

そのような中で、やはり原理原則に従って、危機管理をしっかりしていくことが大切であると思います。改めて、コロナ禍の医療現場で活動されていらっしゃる医療従事者の皆様に、感謝申し上げます。

 

友人に許しを頂いて、皆様にお伝えさせていただきましたが、お読みくださった皆様に共感していただき、現状を知って自分達の生活姿勢を整えてくださればと思います。

最前線で働く医療従事者のワクチン接種は、とりあえず全員が受けて活動されているようですが、ニュースを見ていると、ワクチン接種を施さないといけない側の医療従事者へのワクチン接種は、まだ完全に行き渡ってはいないと報道されています。一般の高齢の人々への接種は順次実施されているようですが、矢張り遅々としている感は大きい。

これほどに長引くコロナ感染の終息は、ワクチン接種に期待が大きくかかっており、その充足が本当に早い速度で行き渡らせていただきたいですね。

4月29日〜5月5日までのゴールデンウィークは、考え方によっては、外出もままならずストレスが溜まってしまうと、嘆かれる方もいらっしゃるでしょう。

私たちは、今回のようなコロナ感染症拡大の災禍は、初めての貴重な経験です。

叡智となるべく学びでありたいと願っています。

良きゴールデンウィークを、健康にお気をつけてお過ごし下さい。

 

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「新型コロナ感染症」終息への行方=ワクチン接種の開始

頼みの綱であった「ワクチン」注射(予防接種)は、今までの製造工程(10年以上)の認識を覆し、この1年前後の工程期間でスピード製造され世界に配分され始めた。

自国で製造されたイスラエル、イギリス、アメリカなど先陣をきって(?)中国・ロシア、の他にインドまでもが自国での開発にこぎつけ、先進国の日本が何故、開発製造できないのかとジレンマ感がウヨウヨと頭をめぐります。

東京五輪を前に、ワクチン対策が急がれるのだけれど、ワクチンの輸入制限がこれほどまでに厳しく、また公平を期して輸出されているのでもないらしい。開発途上国への発注も国際的な対策として要求されているのであれば、日本優先とはいかず、潤沢順当にワクチンの配分が開始されてはいないようですね。河野ワクチン担当大臣のご苦労も、私達の目には届きにくく、何がどうなってワクチン供給が進んでいるのやらいないのやら…と気をもむばかり。

現在のところ、懸念されていた副反応の危険性は、大きくは曝されることなく、国民の納得度も高められており、各自治体の広報も届けられている。が、一体いつになれば開始になるのか、もたもた感が付いてくるのが、哀しいですね。順調にワクチンが整えられ、接種人数の確保、接種者の優先順位も滞りなく順当に進められていることを願うばかりですね。

そうこう思ううちに、コロナ変異種の感染拡大で、これはもう全国的に拡大していて第4波と認識するほどになってしまって、収束する気配がないから、心理としては怖くなってきているのは私だけでしょうか。主要都市部の医療機関のひっ迫状況は、他人事ではなく、私たち自身の分別ある判断、協働、協力が問われていますよね。

何よりも、医療従事者の現場は、ひっ迫状態をどのように改善改良を加えようにも、追いつかない現状の限界でせめぎ合っていて、融通さえ利かないのであれば、知恵の施しようもないと。私達住民なる人々は、夫々自身がその状況をしっかりとらえて自制をかけた行動にしていかないといけないと。

 

最近は、感染防止対策の在り方が、具体的に解明されて来ており、各自治体首長も防止対策上の工夫が具体的に踏み込んできているように思われます。各自治体の職員の方々、ボランティアの方々が、具体的な意見聴取、指導、相談など、住民に寄り添う行動を取るようになってきておられ、このような一体感のある取組は、優しさと気力を蘇らせてくれるように思われます。

やはり、今はもう少しの期間、頑張りどころであるように思われ、「感染しない・させない」そんな気力で頑張りましょう。

ワクチンへの期待を込めて!

ワクチンよ!滞りなく満たされて、私達の一人一人に届け!!

 

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