後期高齢の猫ちゃんの痛み

我が家の猫名付けてQちゃんのこと。
我が家に来て15~6年にもなるから、
後期高齢(人間でいうと80歳前後?)なのだ。
とはいえ、三毛猫の利発さというか
凛とした雰囲気に陰りがあるわけではなく、
美人顔も崩れてはいない。目は大きく眼力もある。
愛らしさもあって、とにかくここ3~4年の間に
甘えるしぐさが何とも艶めかしい。

ところが最近、老いの現象が少しずつ目立ってくるようになって私の心は痛む。
しきりに話しかけてくるが、声色に多少老長け感があり、イガイガ声になっている。
そして、三毛猫の優雅な敏捷さが、時折失敗をしては、
やり直し行動をするという場面に出くわすことがある。
一回失敗して、やり直しに挑戦すれば成功となるのだが、
ノンちゃんの心は複雑でそんな眼差しで、
じ~っとQちゃんの動静を見守るようになっている。

Qちゃんは何事もなかったように振る舞っては毛づくろいをしているのだが、
椅子に飛び上がったり箪笥の上に飛び上がってみたりの敏捷動作が、
時にバランスを崩しているのだ。

若い三毛猫のQちゃんだったころ、2階の窓からやおら抜き足差し足忍び足の構えで、
電線に止まって遊ぶ雀たちや、軒下に巣作りしているツバメにネコパンチを加えたり、
しっつこく2階ベランダに飛んでくる鳩を仕留めたり、
夜中に入ってくるイタチに驚き飛び跳ねながらも、
素早く追いかけてパンチを喰わせる瞬間に匂い襲撃で目をぱちくりさせながら退散したりと。
獲物をとるその狙い撃ちの姿は、ある意味頼もしく、
Qちゃんにとっては飼い主に自慢の腕ご披露ということであったろう。

ただ最近のQちゃん!
失敗しかけてかろうじて難をしのいだ姿を見るにつけ、
きっとわが猫身の老いを感じているだろうし、ままならぬ体力の限界に心痛め、
自分のプライドに大きく傷がついているだろうと思う。
時々にノンちゃんは人知れず涙ぐんでいるのだ~ぁ。

猛スピードで、4人に一人の高齢者の超高齢化社会に入ってしまった日本。
いうまでもなく私たち医療・介護の職務に就くものにとって、対象となる人々の多くは高齢者。
私たちは、その人たちが意味ある道を生きてきた誇りを、
傷つけることのない柔らかい包容性を駆使して、
何らかの手を借りないと命をつないでいくことが困難になってきた
対象に寄り添う目線を注ぎ手のぬくもりを伝え見守っていけるならば、
大きな力の蓄えになりえると明日への希望にしたいものです。

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ガソリンのエネルギー

ガソリン(石油)のエネルギーを、
このようにたぎらせておくのはどうだろうか?

ガソリンの高騰が半端じゃない。
ついこの間、消費税の8%増税が始まったばかり。
力弱き国民に消費税増は厳しいとみるか
将来創世のため止む無しとみるか、
意見の別れるところだけれど、生活に直結するありとあらゆる分野に
大きく影響しているものだから、総じて出費が高騰している現状は、
庶民には、なかなか堪える~っ!!

ところで、あのガソリン価格、同じ大阪市内でありながら
店舗により166円~175円の格差値。
これは各店舗の商売上の一手なんだろうけど、
この一週間、毎日のように高騰値を更新。
目まぐるしいのなんのってありゃしない!
そして悍ましく恨めしい。

何故 悍ましく恨めしいのか?
世界中のあちこち(殊に中東・アフリカ地域、東欧・ロシア地域)の深刻な紛争、
戦争によるガソリン高騰と聞けば、受け入れ難いけれど受け入れるという
現状肯定せざるをえない痛みがあるよね。
ましてや日本では、ここ2~3年の間に、
未曽有の自然災害を受けて、未だ復興は、ほど遠いと聞く。
生活に密着したガソリンの高騰は、
こうした方々により大きくのしかかっているのだから、
尚更深刻度を増してしまう。

乞い願う「平和」なれど、戦争は果てしなく、
憎しみはもつれ合って解けることは無いかのごとし全地球の修羅。
なんて言ってはみるけれど…。感傷的にご託するわけではない。

私たち、医療・看護・介護・福祉の職務に就くものは、
基本的に平和への希求・いのちの尊厳に加担している誇りを感じて、
しっかり社会貢献すべきなんだろう。

「生まれた時から 肌の色や育ち 宗教で他人を憎む人などいない」。
1013年12月5日死去されたネルソンマンデラ氏の残した言葉だ。
惜しみなく限りない人間讃歌を此の胸内に沸々とさせておきたい。

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女性の領域

もしかしてだけど…!?私の偏見かな?
女性の領域の話だけれど…。
私は、中学生になって「月経」という現象に出会ったが、
何これ?少々白々しく構えながら、想像に難くない未知への自覚した始まりを感じた。
変化に気が付いた母には嘘ぶいた返事をしたものの、恥ずかしい気持ちが先立ち、
顔を合わせるでもなく、ま、いつも通りの行動パターンで通り抜けたものだ
(勿論母にしてみれば、我が子がこれから先、女道を歩んで行くことへの、
心づくしのお膳仕立てを用意してくれたものの、照れちゃいましたねえ)。

さて、いきなりとんでもない話をし始めたわけだけれど、
実は私中学生のころ器械体操部に所属していて、
生理の始まる1週間前くらいから体調の不快感を感じ、
実際の期間になれば激しい腹痛に見舞われ七転八倒状態。
体育系クラブは練習そのものが激しい。
女性期に出くわした場合、どうなのよぉ?休むのってある意味当たり前よねぇ?
って。でもそれって、女子部単独での練習ならば理由にもなるだろうけど、
男子部と合同、あるいは女子部の監督が男性ならば理由にして休むことなく
練習に励むということになるんだろうね。
ま、こんな甘い考えで通り抜けてきた青春時代でもあるんだよねぇ…。

先日、ちょっと驚いた話題が提供された。
確かに女性の生理に関しては表ざたにはしないし、
体調不良の理由が自己の生理のためという弁明にはし難い。
女性の生理に関わるコンディションには、個人差が大きく、
身体面に出る場合とメンタル面に出る場合があって、繊細な問題である。
そしてまた、女性間では解る解ると気軽な問題であるとしても、
男性には解り辛い問題でもある。
からして、社会に出て働く女性たちは、男性が上司の場合、
生理による体調不良を理由に休暇申請はしにくいから、
他の理由で休むか、頑張って働くって選択をするよね。
特に男女雇用機会均等法が施行されて以降、堂々と生理休暇の権利はないしね
(これはこれで良いのだけれど…)。

問題は、我慢して放置して思わぬ病気を招いているということ。
何も生理だけに関わることではないけれど、
子宮内膜症や不妊を招く誘因・原因となるならば気を付けなければいけない。
特に、近年は高齢出産と帝王切開による出産が増加しているという。
女性ならではの支え合う目線を養うことが大事だ。

ところでもう一つ。
帝王切開で出産した若い母親が、自然分娩した女性に引け目を感じて、
悲しい、自然分娩児より弱いと言われた、母親として情けない、
良き母親になれないのでは、母親として失格などと、
他と比べての心理的な悩みの発言をしている。
生れ出てきた赤ん坊は、元気で可愛いにもかかわらず、
帝王切開に負い目を感じて子育てしているという。

これってもしかしてだけど…、
何か成長の過程で育まれていない要素がある気がして…。
自分が皆と同じく普通のコースを辿れば、友人や身近な人々の中に異常とか
普通でない形を辿らざるを得ない選択をしたことに対して、
偏見を持ってしまう側に立つのではないかと。
私の偏見かもしれないけれど、そんな心配な思いを感じたものです。

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小宇宙の飽きない満足!万華鏡

小学生のころ(今はもしかしたら幼稚園で作るかも)、
図画工作の時間に万華鏡を先生や仲間と一緒に手作りしたことがある。

案外簡単にできるもので、その行程を皆でワイワイ言いながら楽しみ、
出来上がった自家製の万華鏡に満足感の笑みがこぼれたのを思い出す。

今頃なぜ万華鏡なのかというと、
先日我が家に昔の仕事仲間(後輩)が訪ねてきてくださり、
「此の万華鏡私が作ったのですよ。ちょっと見てください」と、
二つの万華鏡を机上に並べてくれた。
内心、気に入った方を私にくれるのかな?
そんなことを思いながら、
小さな筒の小さな穴から覗いてみて驚いた。
(そしてトドのつまり、彼女の処女作の
万華鏡二つは私の手に入ることはなかったけれど…)

昔作った万華鏡は厚紙筒で、
小さく切った色紙の具材が鏡を回すごとに、
バサッバサッと小さな音を立てて万華の世界を創っていたが、
後輩が見せてくれたのは、彼女が手作りした
アクリルタイプのオイル式万華鏡。
三面鏡の中のアクリル具材は、静かに緩やかに回転しながら
私を飽きることの無い小宇宙の世界へと。癒されましたねえ。

万華鏡のミラーは3枚のミラーを組み合わせたもので、
この部分は万華鏡の心臓部といわれている。
ミラーの大きさや材質で、品質が左右されるということですが、
ミラーの像が何回も反射されて、無限の広がりがあります。それ故、
反射率の高いスパッタリングミラーが必要とされるようです。

(為参考):万華鏡は、1816年にスコットランドのデビッド ・ブリュースターという物理学者が”Kaleidoscope”という名前で特許を申請したのが起源と言われています。彼は、灯台の光をより遠くまで届かせるために鏡の組み合わせを工夫している最中に万華鏡(kakeidoscope)を発見しました。それを元に開発をしたようです。その後アメリカに伝えられて、1800年代中頃にはガラスアンプルに液体とともに具が入れられたものが誕生し、その後、アメリカやイギリスで玩具として広がっていきました。

”Kaleidoscope”カレイドスコープはギリシャ語を元にした造語で、
”Kalos”=美しい、 ”Eidos”=形、模様、”Scope”=見るもの
の3語を合わせた合成の言葉です。

日本には、1819年(文政二年)頃に入って来たと伝えられ、
「紅毛渡り更紗眼鏡流行 大阪にて贋物多く製す。」
という記述が「摂陽奇観」にあり、
発明後わずか3年にして日本でも伝わり、
インターネットや通信手段が発達していなった当時にしてみれば、
その速さには驚くべきものを感じます。(後略)

今日私は、友人にお願いして、癒しの小宇宙!飽きない小宇宙!
万華鏡を作ってみましたの。
今夜は万華鏡を友にして眠りますから、よく眠れそう。

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やんごとなきユーモレスクな詩

「日本人は自分の国に誇りがなさ過ぎる」とは、よく聴く話である。

私の息子も、外国に留学してそのような感想をもったという。
とにかく歴史を語らない、語れない、そんな習慣になっていない自分がいたと。
彼は、留学先の大学で、それこそ人種の異なる学生同士が自己紹介し合うとき、
ほとんどの場合、自分がどのような国・家族のなかで育ってきたかについて、
歴史的背景を交えながら嫌味なく誇らしげに語るのには驚いたと。
それがきっかけになったかどうか定かでないが、無造作に机上に置いてある本を覗きみると、
息子は歴史的で社会的で文化的な本を読んでいるようだ。感心している。

実は私も、20代前半の頃、しきりに同級生の男子から
「のんちゃん、日本歴史、世界歴史はやはり大事だから、
この教科書(高校で使用した副本もつけて)をもう一度
きちんと勉強してみるのがいいよ」と進められたことがあった。

そして近年グローバル化に対応していくことが求められるようになり、騒がしい。
自国の歴史、自国の文化に誇りを持つことは大事であることは確かなこと。
ただ、穏やかな誇りであるほうがいいのでは?と思う。
身近なところで人間関係が争いに発展するとき、周りの人たちは関係修復を図ろうとするのだが、
その人が持つ絶対的なプライドが問題解決どころか
問題を異質な方向へ向けてしまうことがあると思うからである。
自国の歴史への誇りが、他国の歴史とそこに築き上げられた
文化性を受け入れる寛容さに繋がっていければ、グローバルな交流を、
スムーズに受け入れていくことができるのだろう…。

がしかし?…と思うところがあり、むしろ、
このグローバル化のスピードに追い付けなくて怖いと思っている。
しかし、今はグローバルな時代。歴史を知らないと
グローバル化を生き残れないとまでは云わなくとも
自他国の歴史と文化を受容する感性は磨いておきたいものだ。という結論に。

さてさて、日本は高齢社会。
認知症で居住場所が分らなくなってさまよう高齢者が、
そのまま行き着き先で保護され施設に入所されたままで
命を永らえているという報道をきっかけに行政が注目し、
何人かの高齢者が家族と再会でき始めている。
毎日新聞の余禄にこんなのが載っていたので紹介しますが、ノンちゃんは考えた。
高齢者福祉施設が時の流れに抗せずグローバル化するということは、
このようなやんごとなきユーモレスクの詩が満ち溢れてくるということだろうかと。

***
シドニーの高齢者福祉施設に入院しているジョージは
大声でしゃべる明るい男だが、時おり旧宅が恋しくなるらしい。
ある時、突然立ち上がって叫んだ。

「俺は今からこの塀を乗り越えて脱走する。賛成してくれる奴は、梯子を支えてくれ!」

よろよろと梯子を塀に立てかけると何人かの仲間が横から支えた。
ジョージが塀を乗り越えると、そこには施設職員が待ち構え手を差し伸べる。
「シドニーへようこそ」付き添われて周辺を一周したジョージは
仲間の拍手に迎えられ、満足げにソファへと戻った。
***
(認知症専門医の橋本篤さんの詩集より)

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人間の命

今年の梅雨入りは、例年より遅いらしい。
7月中旬まで長引き暑い夏になるのだという。
そのニュースを聞いただけで、もう既に夏バテの様相を呈しているようで、
とにかく下半身が重だるく浮腫みも酷くなっている。
高齢域にもなれば、ホルモンバランスも崩れて気分の晴れ具合は、
体調不良感に支配されそうな雲行き。
否! 今頃からへたり込んでどうするの? 歩いて歩いて!
女性の平均寿命が世界一なら、健康寿命も世界一を誇らなくっちゃね。イエィッ!!

さて、最近、平岩弓枝の文庫本を読んでいたら、興味を引く一文があった。
医家を引き継ぐ医者の伴侶の選択についての問答だけど、
(前略)
同じ医者でも、貧乏医者と金持ちの医者では違う。家柄のある者と無い者とでも違う。
(中略)
医者には二つの傾向がある。一つは人の命を重いと考える、もう一つは人の命を軽く思う。
どちらも一人の医者の心の中で起こりうることです。
始終、人の生死をまのあたりにして、時には、それに自分が手を貸している。
命の尊さ、生命力の強さに感動する一方で、人の死ぬときとは、
なんとあっけないかとも知っている。これが怖いといえば怖い”と。

この一文、人間一人一人に関わる本質的な問いかけだと思いながら、
まあ短編小説の成りゆきでそのまま読み進んでは見たけれど。
潜在心理というのか、良いとか悪いとかいうことではなく、
ふっと立ち止まらせられた一文で…。

改めて医療・介護に従事する私たちが、
人の生死をまのあたりにしたそのとき、何をどのような選択をするのか…。
一人の強権な選択に従うのではなく、ストッパーとなりうる意見も出し合える
というプロセスをとおしてコンセンサスに向かうことができるのだろうか?

“自分にとって大事な人間の命は貴重で、
かかわりの無い人間の命は虫けらのごとくというのは、
なにも医者だけではないでしょう”
(後略)

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ウレタン枕は快眠できる?

加齢と共に変化する睡眠の質については、確かに加齢が成せる変化だと思う。
24時間「体内時計」の変化によるものということですが、
私の友人はそんな変化に大きな不快感・苦痛感は持たないどころか、
睡眠時間が短くなったといっても「良く眠れる」とシャーシャーとおっしゃる。

私ことノンちゃんは、昔から(子どもの頃から)
快眠感を持つことはなかったといっても過言ではない。
ちょっとした物音、ちょっとした空気の移動、
ちょっとした気がかり(親戚の亡くなった人の顔など)で、
何度も目覚めるのではなく、浅き眠りで感知していたり
頭の神経を巡らせ続けているといった具合。
私の脳の中はどうなっちゃってんの? というわけです。

寝方というか寝る姿勢(枕)に問題があるようにも思われるけれど、
枕を変えてみても長続きしない。
何かしら、脳の中が、私の体中が酸化されて質が悪いって気がしてならない。

どうしようもない症状が一つある。
それは、車運転し始めたり、映画見始めたり、愛すべき大切な人とお茶タイムし始めたり…
という場面になると、生欠伸が頻回に出てくる。
生欠伸なので、気持ちよく思いっきりあ・く・びってことにはならず、とにかく中途半端。
涙が出るし、思いっきりの欠伸になるように、欠伸気配がしたときには
大きく息をすうようにしてみるが体内酸素不足状態は改善されず、
しばし10分間くらいは続くのであります。

今日は何を言いたかったのかと言うことですが、
ウレタン枕が、首・頭の形状にフィットして快眠を誘うと宣伝されているけれど、
このウレタンって、空気の流通が無いような感触で、
頭の熱が篭ったりするではないかと私はちょっと疑問をもっていて、
かえって緊張して寝ているのです(知人の枕をかりたからかな?)。

眠れないから、ということで病院を受診すると、睡眠導入剤で様子を見るか、
睡眠時無呼吸検査をするかで、悩みに即した解決的な医療アドバイスが得られないでしょう?
これってどうしたらいいのだろう?
ノンちゃんの溜息と呟きの記でございました。

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ちょっと立ち止まって「昭和の日」

小保方晴子さんの「STAP細胞」論文の不適切な作成疑惑が
センセーショナルなニュースとして異常なまでに取り上げられ、
かなりうんざりするしつっこさでTVや週刊誌で流されつづけてきましたが、
そこへまた山中伸弥所長の初期論文(2000年に発表したES細胞研究論文)の疑問点が
ネット上で指摘されたという問題が持ち上がりました。

28日に山中所長が、記者会見して「不正はなかった」と発表していますが、
一部データが保管されておらず、完全に証明できないのが悔やまれるとも。
ニュースで見た限りにおいては、誠実さが感じられた会見でしたが、
両者の論文不正疑惑説明と謝罪の記者会見に対する姿勢(というか向き合い方)の違いは、
あるいは研究者としてのキャリアの違いは、
私自身がこんなにも好感度に影響されるものなのかと感じました。

さて、29日は「昭和の日」。あらためて「昭和」を味わってみようというわけです。
「昭和の日とは、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み国の将来に思いを致す」
という趣旨が祝日法に規定されています。
が実は4月29日は、昭和天皇の誕生日であり、元号「昭和」の由来については、
国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味であるということです。
(Wikipediaより抜粋参照)

ところで昭和の時代は、国民の平和希求どころではなく、
満州事変→日中戦争→第二次世界戦争ということで好戦的な時代という認識が強くあります。
さらに第二次世界戦争の終結時には、
アメリカによる広島・長崎への原爆投下という大惨事を受けて、
ようやく激動の時期を脱し、それこそ国民の平和、世界各国との共存に向けて、
大きな経済成長へと向かい、 国民の生活に潤いがもたらされるようになった、
とまあこのように言えるでしょうか。

国民の平和、世界との協調共存、行うが難しい。
世界のあちこちで戦争・内戦が止むことなく勃発し、
日本もまた隣国との間で摩擦が一向に収まる気配なしの昨今であるのですから、
今、「昭和の日」を立ち止まって、歴史的に「昭和」は何を教えてくれているのかを
考えてみる必要はあるのだと思います。

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若い世代の夢と希望は褪せることなく

4月2日、高校野球観戦は、在ろうことか優勝戦を観戦するということなのである。
何十年ぶりのことかしら?40?年にはなる高校野球観戦チケットをゲットした
興奮を背負いながら、友人と二人で甲子園へ。

電車は姫路行きの通勤特急へと案内されるままに乗り込めば、
地元大阪と近畿圏京都の高校野球の勝負とあって、乗客のいでたちは、
通勤者はかき消されるほどに応援モードの賑わい。
ほっと快い安心感に守られて座席に座るや、
沿線沿いに咲き乱れる桜の花を楽しみながら
甲子園駅へと誘われた幸せ心地ではありました。

10時40分頃には、球場の4・5ゲート(一塁側)から特別自由席へと余裕の闊歩。
一塁側スタンドは大阪履正社高校、3塁側スタンドは京都龍谷大平安高校であることを知り
地元応援できることを喜んだ次第。 日差しがきつく暑いくらい(予報では20度)で、
既に陣取っていた観客も一枚一枚薄着になり始め、早々とビールに焼きそば・たこ焼きなど
店屋ものを買って食べ始めれば、私たち淑女おばさんも、そりゃあビールの注文となりました。
簡単な手作り弁当を広げ、めっちゃ美味しく気分良く出来上がっていきましたね。
こんなことも、ホンとに40?年ぶりの追体験、褪せることのない若者気分が蘇えらせつつ
試合開始のサイレンに興奮しましたよ。

既にご承知の通り、6:2で 龍谷大平安高校が優勝、
履正社高校は準優勝という結果に終わりましたが、
何しろ春夏通算最多出場の京都勢と
6回出場で初めて決勝に進んだ大阪勢による始めての決勝戦。
龍谷大平安高校のあの堂々とした整然とした落ち着きすら感じるあの、
本塁打や初回2塁打など長打絡まる着実な加点、好捕、継投策等など攻守云うことなし。
履正社高校も前日の素晴らしい逆転激戦からのチーム一丸体制で、
塁に出ながら得点に結びつかず残塁に終わるシーンが
何度か繰り返され息のつまりを感じましたが、あの金岡選手の仲間を励ます姿は、
遠くからでも伝わってきて胸に響く感動を味わったものです。
優勝した原田英彦監督の感極まったインタビュー、
選手たちには「かっこいい監督と慕われているようで、確かにかっこよかったですよ。

まあとにかく、若い世代の夢と希望は褪せることなく
近畿の野球王国復活の試合を思いっきり楽しんだ一日でした。

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レジリエント(Resilient)な看護

こんな言い方があるのだろうか?
最近、目にした言葉なのですが、
実は「本当は看護活動の中にこの力が必要なンだよねぇ」と頭をめぐるつぶやき。
ちょっとオチがあって楽しめるお話ができるのでは?
と思い書き連ねてみたのだけれど、読んでいただけるだろうか。

レジリエント=この言葉を、しなやかな回復力(弾力的な回復力)と意味づけ考えてみれば、
看護としてどんな関わりがその力になって回復力を促進するのだろう?
…などと思いいたらせてみれば、
なかなかインパクトのある発想が出てくるものではないかしら?

大概いつも通り、看護師さんたちが行使するコミュニケーション力(話術)が思い浮かぶし
私自身もそのたぐいではあるけれど、面白いワクワクする話って、
何かの刺激において発想が湧きあがり、それが自分ひとりで空想することも良し、
誰かに話題提供することによって膨らんで行くこともあろうしに快い話の広がりなって行きますよね。
つまり、いつもの私自身の範疇では及ばない話題が、
何かの刺激(新聞・本・TV・車中の人々の会話・仕草など等)から
新しい見聞・見分によって提供されてくるンですヨネ。

そんなことを思いながら2~3日後、真夜中に目が覚めてトイレに行った後、
寝つかれないままに時間を過ごしていたが、ふと電気を付けて、
枕もとの本(国語クイズなるもの)を手にとって読んで見ることにした。

なんとまあ、日本の古来より「雨を表現する」ことばが、
優雅さへの期待と面白がりたき気ごころにはまることしきり。
眠る策が覚醒の策になると思いきや、適度な疲労感に促されて
気持ちよい睡魔に誘われて眠りつけたというお話になりました。

雨に関する本は、何冊かあって限りないそうだ。
そこでちょっぴり、どんな雨降りがあるのか知る人ぞ知るのでありますから、
皆さんもお知りおきの限りを突破して、いろいろな雨降り模様を楽しんでください。

土砂降り 梅雨 肘笠雨 紅雨 緑雨 小糠雨 甘雨 霧雨 細雨 膏雨
霖雨 慈雨  喜雨 村雨 群雨 時雨 にわか雨 半夏雨 夕立 凍雨……∞

4月の頃の雨もたくさんありますよね。
春雨 菜種雨 卯の花腐し 虎が雨 五月雨

その他もっとロマンティックに降る雨、もっといろいろ。
今日は久しぶりにブログ更新をしたものの、
話のオチとしての止めどころが解らなくなってしまいまして、お許しのほど。

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