私が通った県立T高等学校は、太平洋の海原に神島と称する厳かに浮かぶ自然豊かな島(人の立ち入り禁止)と砂浜と湾沿いに植えられた防波用の松林が続く風光明媚で、私達の市街地ご自慢のデートコースでもある臨海道に面して建っていました。現在、その学び舎は、台風・地震・津波災害などの防災対策上、小高い山(丘?)の上に移転して久しく、現学舎への望郷感は湧いてこない(申し訳ない!)。最終学年の3年時のクラス編成は、普通クラス4組・進学クラス4組に分かれ、高校最後の1年を過ごしました。
私は一応進学クラスに入りましたが、私自身、勉強に勤しんだ記憶はなく、クラスの男女7~8人の有志グループで、山や海へのハイキング・キャンプを楽しむこともしばしば。高らかな笑い声は青春そのものだったかな?時々は自制の効いた時事討論とでもいおうか、真剣なディスカッションを展開したり、我がT市の将来像や地方新聞で話題になっているあれこれを話のネタにしたりもして楽しい時間を過ごすことができました。
こうした学生時代の経験は、後々の私自身の在り方というか一つの選択をして次に進めていこうとするとき等に、何かしら背中を押してくれる力になってくれたような気がしていますね。友人達もまた、その後に歩む道を経ながら齢を重ね、夫々のライフスタイルを創ってきたことでしょう。後期高齢となった今は、皆で時々に会合して、郷愁に浸るその時間は、私たちの得難いエネルギーの再生時間となっており、快い健全さに感謝し、生かされている命への感謝を想う時間となっているように思います。
さて、念願の看護学校への入学を果たした私。
初っ端の思い出話は、高等看護学校受験時のエピソードを述懐してみましょう。
入試願書は、私立1校、公立系2校(地元1校含む)の3校に提出して受験することになりました。私の本心は、地元から離れて、県外は大阪の学校に入学したく、私立の住友病院付属高等看護学院、公立の大阪市立看護学校に挑戦し、3校目挑戦は地元看護学校を受験することにしました。(註:大まかな私の認識になるが、その時代の看護学校は、戦後(昭和25年頃)のGHQの指導もあって、看護婦の高等教育の必要性を求めて、看護婦の名立たる先人方のご尽力の下に、看護教育の概要が整えられ、准看護婦養成所、高等看護婦養成学校、短期大学看護学校、大学医学部付属看護学校、高等看護教育の改善、新たな教育基本要綱の基、その発展途上にありました。)
受験時日程については、詳細の記憶が既に曖昧になっていて正確に記述できないが、入試の流れの前後誤認はあるにせよ、輪郭的に大きな間違いは無いと思います。
初回挑戦の住友病院付属高等看護学院の受験時のこと。
一次試験は筆記試験。確か9時から午後3時頃までだったかといます。定員20名に対して約70名の受験生でしたが、数名の欠席者がいたようです。筆記試験が終わるとそれぞれに散会して、翌日の午前8時30分頃には一次合格発表があり、看護学院の玄関に掲げられた大きな模造紙に一次合格者の番号が書き出されていました。合格者は、確かそのまま10時からの採血・検尿・X-P検査を受ける という段取りになっており、1階の教室に待機していました。まもなくベテランらしき看護師さん2名ほどが採血をして下さいました。とても手際よく、手早く、必ずしも私達と目を合わせることはなかったが、声掛けは耳触りが良く優しかったのを覚えています。その後、病院のX-P室にて胸部X-P撮影・検尿提出という順調な流れに従いながら、いよいよ私の採血の順番が回ってきました。
ところが、冬場の寒さが影響してか、緊張のせいか、血管がなかなか浮かび上がらなくて、ベテランの看護師さんが3度ほど採血針を刺入するのですが血管に当らず。やがて用意されたバケツのお湯に左右の腕を突っ込んで温めた後、看護婦さんが変わって再度、両腕の刺入を試みるのですが、血管に当らず。(私は神経の刺激痛に黙々と耐えて頑張っているのですが……)。
終に、小児科のお医者様が来られることになって、「楠本さん、もう一度採血させてください。小児科のベテランの先生に採血していただきますから、もう少しの辛抱をしてくださいね。ごめんなさいね。」と、看護婦さんの切なる懇願もあって…。まもなくお出でいただいた小児科先生に黙って両腕を差し出して……すると駆血帯で縛られた腕は、素早い間合いでチクリとしたと思ったら、私の血液が注射器の中にス~ッと吸い込まれているではありませんか…?!瞬時にほっとした時はすでに抜針という早業。先生は、『よかったね。もう大丈夫。』と、笑いかけて下さり立ち去って行かれましたが、見事な早業!無痛の採血!それまでの皆さんのご苦労と私の苦痛は何だったというのか?
第一次筆記試験、第二次面接試験も無事終了して、3日目の夕方に合格発表と相成り、私は「合格」を果たしました。住友病院付属看護学校は、第一志望でもあり、もうあの採血の苦痛は二度としたくなかったので、残る2校の受験はキャンセルということに。
合格20名+補欠5~6名であったかと思いますが、私は、住友病院付属高等看護学院への入学を決めたのでした。決めた瞬間は、静かな嬉しさが、体中に浸み入るように流れる感覚を味わいました。
看護学校の入学式は、4月6~7日だったかと思いますが、その時の新入生(住友高等看護学院5回生)は、20名の定員を割って16名。
高等看護学院始まっての欠員スタートでした。