【第1章】1節 枇杷の実が熟れる初夏の頃

枇杷(びわ)の実の熟れる頃を…! 想い出してごらん?!
それは何故って?私は何時も、丁度今頃こんなことを想い出すわ…。
懐かしい香りがする枇杷の実を。サラッと甘酸っぱい香りと面長丸型の柑橘色の実。モジャッた産毛が卵大の実を覆っていて、それが掌の肌に優しく触れる。
そして、枇杷の実が熟れて香る時節は初夏のころ。ノンちゃんの誕生月でもある6月(双子座)って頃になりますね。想い出しますあの頃の懐かしさを…。

こんな思いを巡らしていたら、私は何故看護師の道を選び、よくもここまでを生きてきたもんだ!と。そして最近、ワークステーションで働く社員仲間(私よりも随分お若いお世話になっている仲間)から、私の看護師物語を一度、聴かせて、教えて、との提案があり、せっかくならば、この機会を活用させていただき、書いてみるのもいいかな?しばらくの期間、私の人生・看護師を通しての歩みなど、色々な思いを綴るのも良いことと思われ、書き始めることにしました。当分の間、そのような思いで、ブログを展開してみます。何が語られるのか、何を伝えてみようと思うのか、私なりに吟味しながらブログを書いていこうと思います。
皆様には、興味津々の思いでお読みいただければ、うれしいなと思います。


『私と枇杷の実』

私の幼少の頃、枇杷の木々は、家々の軒先や庭先の畑の畝(うね)沿い、原っぱになった丘や、山の木々の合間に生育していた。目立たないと言えば興味を示す対象ではなかったと冷たく言い放してしまいそうですが、何の変哲もなく立っている深緑色の大きなゴツゴツした葉の木ではあり、確実に目に入ってくる木。しかし可愛さや親しみを感じさせる身近な木ではなかった印象が残っている。そのようなわけで、日ごろは見過ごしているが、小さな白い花が咲き花の甘い香が漂う頃から柑橘色に実が生ってくる生育過程は、やはり子供たちの間では、小さな稔りゆく変化を愛でる心の灯が点る(少し大げさかな?ご想像いただけるだろうか?)。

余談ながら「びわの木」は成長が早いため、手入れを施さないで放置してしまうと、すぐに樹高が高くなってしまい、大きくなり過ぎたことで手入れが困難になる。
そもそもびわは種から育てた場合、8~10年、苗木から育てても植え付けから実をつけるまで数年かかることがあると言われてますが、小さい子供たちにはそんな実りの物語には興味はなかったようですね。「この枇杷はいつもおいしいけど、こっちの枇杷は酸っぱいよ。」とか、「この木の枇杷は実が生り過ぎて小さいわ、もう少し大きいのが良いやね。」とか…ランドセルを背負って、ブツブツタラタラ好き勝手な会話を交錯させながら、幼稚園・学校に通っていたのですから、ま、可愛い純な子ども集団でしたよ。

枇杷の木について、もう少し知り得た知識を申し上げるならば、枇杷の栽培において肥料の欠乏はよっぽどのことが無い限り起こりにくいらしい。だから戦後復興期の時代にあった私の幼少期の風景は、其処彼処に枇杷の木が植えられていたのかもしれない。
枇杷の木は、与える肥料によっては花が付きにくくなることがあると。肥料には主に窒素・リン酸・カリという成分が含まれていて、窒素には葉を大きくさせる効果があり、リン酸は花や実を大きくする養分、カリは根を育てる養分とそれぞれ植物に必要な養分となるそうです。けれど窒素の多い肥料ばかり与えてしまうと、枝葉ばかりが茂ってしまい、花が付きにくくなるということなので、花芽を付きやすくするためには三つの要素のバランスを取りながらリン酸が多めの肥料を与えるようです。
私の小さい頃の枇杷の木は、そのように守られて実を付けていたとは思われないけれど、先に言ったように枇杷はほかの果樹にくらべて栽培が簡単なようですから、自然にまたその時代の生きる知恵として、居住地の身近な場所にたくさん植えられていたのでしょうか?今では、枇杷の木、枇杷の葉、枇杷の実などの効用は広く大きく、例えば枇杷の葉から作ったお茶にも豊富な栄養があるということで出回ってますよね。消費期限は短いながら、そのまま食べるだけでなく、びわジャムやびわ酒など他の楽しみ方も様々に開発されているのですから大した植物なのです。

扨て本題に戻りますが、この枇杷の実と私、どんな関係があったのでしょう?
私は、物心つかない早い時期に寺の住職をしていた父を亡くし、母は女手一つで私を育ててくれました。貧しい暮らしながら、3年間も私を幼稚園に通わせ、小・中・高へも順調に通わせてくれました。その間、お正月、節分、ひな祭り、お誕生会、七夕、クリスマスなどの諸行事は、母なりの工夫をして必ず支度をして楽しませてくれました。ここで取り上げるのが、「私とお誕生日と枇杷」の関係ってわけです。

私の誕生月は6月。
枇杷の実が、店頭に並ぶか並ばないかの瀬戸際を縫って、必ずや私のお祝い膳に添えられているのです。旬の産物を添えてくれるのですから、何とも貴重で新鮮で、その香りたるや懐かしさを覚える私のお誕生日の食卓なのです。お膳にはこれまた料理好きで上手な母が、素材的には仰々しく高価なものは並びませんが、彩りよくいつもと同じではない盛り付け、食材(小魚ながら、きちんと御頭付に仕立て上げるなど、滑稽ながら何が出てくるかと楽しみでした)で満たしてくれてましたね。私は、この満たされた誕生日のお祝い膳が、毎年楽しみでしたし、枇杷の実を何が何でも取り揃えて添えてくれ(たとえ、熟れ度の満たない枇杷であれ、小さかれ、酸っぱかれ、少し膨れっ面をしながらも)、美味しいと言いながら味わいを深めていたのを想います。この習慣は、中学生までは続けてくれた母ですが、その間の母の苦労は計り知れず、今なお、私の胸に甘酸っぱく新鮮に蘇ってくるのです。

私の感性が、こうした幼少期の体験から、醸成されているのかどうか解りませんが、私は、論理的に物事に興味を持って追求するという仕草があったようには思われず、母のしてくれることに一喜一憂の感情をあからさまに出しながら、母に寄り添って生きていたなと思い出されるのです。勿論、枇杷の実は今でも大好きな果物で、旬の実として味わえる果物としては最高だと思っているのですが、中々近年は、お高い果物として売り出されているのです。手が出にくい時もありますね。

皆様は、如何な果物がお好きですか?何か果物とのエピソードをお持ちですか?大事な思い出として、大切な物語にしてみても良いでしょうね。

では、次回のブログをお待ちくださいね。


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ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。