大暑とは、二十四節気の第12。
6月中とあるが、要するに熱さが最も厳しくなる日で、
大暑の日から立秋までの15日間なのだ。
ちなみに小暑と合わせた1ヶ月間を「暑中」と言い、
暑中見舞いは、この期間内に送るのであると。
あまりその辺のところを考えずに闇雲に大概の感じで、
暑中見舞い状をお届けしていたと思う。
1年で最も暑いとされる大暑の日には、あちこちの動物園などでは、
動物たちに「氷柱」のプレゼントが贈られるTVニュースが流れるが、
今年は何しろ人間であれ動物であれ植物であれ、
生物のほとんどは、連日の猛暑に闘うことも萎えてうな垂れてしまうのみ。
私たち人間の世界でも、「土用」というお馴染みの
恒例行事「土用鰻」の食に預かる楽しみで酷暑を乗り切ると言うわけです。
さて、「闘い」ということに関して、こんな記事があった。
「闘病」って言葉は無理して病気と闘うイメージなので使いたくない。
うまく付き合って良い方に持っていきたいと不屈のカメラマン南健二氏はおっしゃっている。
果たして病気と向き合うとき、特に治療そのものが非常な苦痛を伴い、
将来の生死さえも保証されない場合、そのように言ってのけられるものだろうか?
現役であったころの患者さんのあれこれが思い起こされた。
一過性に苦痛の期間を通ったとしても、将来健康を取り戻す過程にあるときは、
そのように云えるかも知れないが…?
なまじ私の気持ちなのである。
やはり、「闘病」って言葉は、病気の凄まじさにおいて、
耐えがたきを耐え忍ぶのではなく、自分との闘いであり、医療への挑戦でもある。
誰も手の差し伸べようのない孤独な闘いは「闘病」である。
わが身に対して、生はんじかな優しい眼差しを向けようのない
「生」への挑戦の厳しさがあって、その姿には厳かな怖れを感じる。
猛暑との闘いの話から、大変な展開になりました。悪しからず。
皆様のご健康をお祈りいたします。