看護を通して何かを成し遂げるとき、そこには職業に伴う責務があり、
ある意味不自由でもあり、全神経をその看護の技に注ぐのですから疲労感を伴います。
ですが、医療チームの一員としての看護実践ではあっても、
看護を展開する技は「個人の自己実現そのもの」であるというのが、
このブログ「ノンちゃんの猫目線」の基調となります。
看護師さんたちは患者さんからの「ありがとう」に癒され元気付けられることが多いようですが、
この一言の力強さを“元気を再生するエネルギー”と捉えてみると
色々な感性の広がりがあるように思います。
私の看護経験のなかからちょっとエピソードを告白してみますと、
農家の笑顔がかわいい高齢の婦人が内臓疾患で入院をしてきました。
約3ヶ月過ぎたころには病状も安定期に入り、主治医から退院を勧められました。
彼女は入院当初、早く帰りたいと懇願していましたが、次第に看護師たちにも馴染み、
遠慮がちではありながらもよく話しかけてくるなど、良い関係になりましたから、
今度は「退院したくない!ここに居させて欲しい!」と涙ぐんで懇願しました。
家族関係に問題があるとは思えず、とにかく「具合が悪くなったらまたいつでもいらっしゃい」と
なんとか説得して退院することになり、退院の日には何度も何度も
「看護師さんありがとう!!」と涙ぐんでいました。
それから1週間後、この患者さんは再入院してきました・・・。
不安感におののくように、患者さんの人が変わったようなその状況に唖然としたものです。
この話には、いろいろとその後の分析があるのですが、
「ありがとう」の言葉が、喜びから無力感に変わったエピソードとしてお話しました。
ともあれ「ありがとう」の一言は、
新しい何かを生み出してくれる力があるように思います。
医療の現場で「ありがとう」の一言は、どんなときに発せられるのだろうか?
失敗の向こうに「ありがとう」の一言はあるのだろうか?
「ありがとう」の一言は、それまでの嫌な思い(負の思い)をすべて飲み込んでくれるものだろうか?
皆さんの「ありがとう」にまつわる深良い話(エピソードやご意見)も是非聞かせてください!