記憶を辿るは、最近のことであれ、永い時間が経過したことであれ、やっぱり何処か肝心の事を記憶漏れさせていることが多い。
一つの事柄を共有しあった仲間と思い出・振り返りを辿るとき、こんなにも記憶から漏れようとしてるなんて…と、唖然としてしまう時がありますよ。皆さんの力を借りて、正確さを増した記憶に繋ぐことが結構多くて。
僅かなことでも、時々にメモに残しておけば記憶がつながり、ほぼ正確な記録になるのが解っていても、記録にとどめて記憶の蘇りを助ける習慣は身につかない。こんな我が身を嘆くこの頃、確実に認知領域が縮小されてきているのを感じるから恐怖ではあります。
世の中、うんざり編が騒々しい。国家レベルで、事業交渉・決定に至る記録(概要・要約)や、要人の面会(接見)記録の保管期間がうやむやで…記録破棄はないでしょう!
中身の真実がさっぱり解らず。大人の先生の質疑応答がかみ合わず、議論の中で建て直そうという気迫はなく、破廉恥なこっけいさが情けない。
「記録に残す」は、公的であれば当然の事と思っている人が多いのとちゃいますか。医療に携わってきた私達(看護師)ともなれば、常に、この「記録に残す」のは重要な仕事の一つという認識が強くてね。記録に残さなかったなら 結構肩身の狭い思いをしなきゃならないでしょう?それが当たり前になってるね。
質疑応答のやりとりが、この国の、歴史観というか、仕事観というか、政治観というか…?!「国民・市民のために良き仕事をする」こんな心根・覇気を見せていただけるどころか、どうも説得性を持った政治運営をしているとは思えない。
心に響いてこないよ!と、あきれ顔で呟いてしまう。
まあ、そんな大きな問題をここで取り上げるつもりはなく、穏やかに私的でわが生涯の生き方の問題として、「記録に残す」をしていますか?という問いかけです。
日記を書く、を実行している方、イベントの実施・参加に関しては記録する方、悩みや課題解決に取り組むときに記録して残す方、色々記録を残している方々がいらっしゃるでしょう。また全て何も書かないで自身の記憶に残す方、ってのもあると思います。
が、いずれにせよ「記録に残す」は、総じて良きことといえそうです。
特に、老後の生き方としては、「記録に残す」は「記憶にとどめる」大事な手段・活動の手がかりであり、自分自身の支援対策であって、自身の大きな支援になるのだと思います。(最近、高齢を意識した文章が多くなりましたが。)