100歳過ぎても現役医師を貫き通したユーモアな情熱先生に黙祷

105歳の命を生きて、人の枯れ行くに抗せず、自然体の生を全うされた日野原先生。
その生命の質は、深くて格調高く全うなさいました。
超高齢を生きる日常は楽ではないだろうにと、
遠くから他人事に眺めていた昨日までであったが、早朝のニュースにて、
自然と頭をひれ伏すような感慨に促され、ご冥福をお祈りさせていただいた。

やはり近年、転倒や発熱などで入退院を繰り返しておられ、近々の3月には、
消化器系統の機能が一段と低下していたようで、
主治医の福井院長が経管栄養や胃ろうを提案された由。
しかしながら日野原先生はこれを拒み自宅での療養を希望なされたと。
福井院長先生は日野原先生が拒否された理由について、
「人工的で自然な人生の終え方ではないと考えていたのではないか」
と推し量られている。
日野原先生らしく素敵で幸せに満ちた意思決定。異論を挟むことはないですね。

先生については、国民の健康問題・生命の質に関わるご活躍は、
広く多岐にわたり、看護師ならずとも国民の多くに知れ渡っているのではないでしょうか。
そしてまた、大正・昭和・平成における歴史的惨禍、事件の現場に直面してこられた
(東京大空襲・よど号ハイジャック事件・地下鉄サリン事件 等々)のですから、
惨禍・事件の悲惨から受けた深い痛み、これらから学ばれた知見への思いは深く、
必ずや確かにそこ彼処に活かされていらしたと思う。

私たちの記憶に生々しく残っているのは、
地下鉄サリン事件における聖路加国際病院:日野原院長の決断である。
新築の病院は、全国からの見学者は耐えることなく押し寄せていたが、
私もその一人ではあり病院設計の先見性に驚いたのを覚えている。
病院の廊下に酸素吸入設備が設けられ、
緊急事態に多数の患者が収容できるようになっていたからこそ、
堂々と即断できたのでしょう。
事件発生時、即一般診療を中止し、事件に巻き込まれた多くの方々を受け入れ
治療に当たられた当時の様子を、覚えている方が多いのではないでしょうか?
そして、日本の長寿社会に向かっては、自らが当事者として、
予防医学の概念を社会に根づかせるという偉大な貢献をされたし、
患者のための医療について問い続けていらっしゃいましたよね。
後年、可愛いおじいちゃまになりつつ、TV出演など、私たちの手の届くところで、
お目にかかりながら、高齢を生きる、高齢者の生き方、子どもたちの命と向かい合う、
そうしたテーマを果敢に発信されてこられましたよね。
日野原先生について語るには、役不足の失礼を承知で語らせていただきました。
改めて 先生の安らかな眠りにありて、ご冥福をお祈りいたします。

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ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。