先日、東京で高校時代の同窓会が開催された。
ま、毎年5月の頃に開催され恒例となっているのだが…。
今年は、73歳クリアー年でもあり、そろそろ健康上の問題、
高齢者特有の症状等々懸念される出席状況は如何に?
関東組が開催する「燦八会」への出席数は、30~35名は維持してきた誇りは高く、
親密度はええ塩梅という、狎れ合わず楚々とした白けもない、
何時も参加したい度をキープしていたが、
今年はどうも恐れていた健康上の問題が影響して、参加者は22名という状況。
なんとなく寂しさ悲哀感を共有しての開催だったかなぁ???
思いっきり上等のホテルで開催ということで、料理は満足度の高い、
さわやかなご馳走仕立て(私たちにとっては、量的な圧迫感や濃厚な味付けの嫌味はなく、
質感の良い自然に食が進むというシェフの読みは流石でした)。
食後の腹ごなしというか、二次会への合間には、ホテル庭園のホタル観賞。
暗闇の森と川のせせらぎに憩われながら、そぞろ歩きで歩けば、
ホタルの光がポワァ~!青灯がふわぁ~!蛍光の乱舞する細道を、
満足げな感嘆の溜息を漏らしながら、二次会場への移動。
これも恒例となってはいるものの、この乱舞ショウは、何回観ても見飽きない楽しみだ。
そこでまあ、一次会での話に戻るが、宴たけなわになるころから、一人一人の近況報告。
意外とわが同窓生は、芸術家が多く、ピアノ・歌唱・絵画(油絵・水彩・水墨・日本画)
書道・俳句・和歌など、広い分野の全国版の賞を受けている人たちが多いのだ。
そして、近況報告にも名言エピソードがご披露されるから、
なんとも楽しい時間が展開されていく。
今日の主テーマは、そこから始まるそこでの拾い噺。
私のスピーチになって、これまでの人生の道程を振り返り、
私は如何に親友の一人に支えられてきたかについてご披露した際、
次なる親友は、私の一言にいたく反応しておっしゃるに、
「2~3年前に他界した親しき男性が、会う時はいつも私のことが好きだという。
照れもあって、何故好きなの?と問いかけると、そうだね。
好きっていう言葉の中には、希望があるんだ。
重い希望ではなく、さりげない日常的な希望ということなんだけど、
喜びがあり楽しみがあり、心がめげないで明日に繋がっていくんだ。」と。
そういえば、好きって言葉、たくさん創れるよね。
私の言葉を拾ってつないだ彼女の人生のドラマ性を感じながら、
「好き」ってことばが耳障り良く残りました。