6月はノンちゃんの誕生月。
歳を重ねることの意味について、こんな機会には、
じーっと落ち着いて思考するという持久力が半減しているこの頃。
独身の息子からは「おめでとう。いつまでも元気でいてな」のTEL受けるも
このあっさりした優しさに、高齢になりゆくわが胸内は、ホロッとさせられる。
友人から、お祝いの食事を誘われて
「年齢を加えながら、そのことを意識して生きるとき、
何が奮起させられる力になっているのか?」と、
話は日頃の健康状態の確認から始まり、否否、負けちゃあだめ!弱気はだめ!
なんてシュプレキコールでこぶしを上げてみるが・・・。
一つ一つの所作に老いを感じることの多くなった昨今、
「フィジカルな成長」って認識は持つべきだろうか。
早々とくたばっちゃ~いけないよ! ってのはお互い同世代のかけことばではあるけれど、
老いの形、老いの内容は一様ではなく、人それぞれさまざまで、
元気印のパワーがフル回転していると、
わが身の「老い」に馴染めなく口幅ったい語感になる。
それでも確かに一つ一つの行動は、これまでの人生の過ごし方によって大きく異なり、
一老人の個性として認識されていくのだろう。
6月9日付、時代の風(毎日新聞)に、京都大教授の山極寿一先生が投稿されていた。
かなり意訳すれば、
人類が言葉を獲得し、この言葉によって過去の経験が
生かされるようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。
しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけいるのではない。
青年や壮年とは違う時間を生きる姿が、
社会に大きなインパクトを与えることにこそ大きな価値があると。
そして、老人たちはただ存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか、と問う。
目標なく生きる重要性の問いかけに納得!ながらも、
目標を持たない、存在だけで価値ある生き方に確信が持てない
ミストな不安を感じているノンちゃんではある。
梅雨とは名ばかりの渇水・猛暑からの涼呼ぶ話題が、
このようなつぶやきになってしまいました。
今でなきゃだめなの?ミストなつぶやきでした。