折れない心の源=健康観の核心

「健康」について、気にはなりながらも普通に暮らしていた人が、
ある日突然、自身のこと、夫・子供・家族のことで、
不治難治の病気や障害を持つにいたった事故などに遭遇したとき、
途方もなく打ちひしがれ、死のうとさえ思う。
また、とりあえず回復はしたものの、生涯、
症状の不安定なぶり返しなどに悩まされながら生きていかなければならない、
という状態を、わが身は何者か?わが身をどのように支えればいいのか?
悩みは大きく深い。(と、そのような状況を想定はしてみることはできる)

でも、驚くべき生命力というべきか…!?
私の身近にも、あるいは新聞や出版物、
TVインタビューやドキュメントで紹介される方々は、
一様に「この病気になったから、この病気があるから、
この事故にあいこの障害をもって生きなければならなくなったからこそ、
これは神様が私にくれた試練なのだと受け止めて前向きになれば、
多くのことを学びえる人生の喜びがあり、生きることができる。」と語られている。

嘘ではない。だから余計に恐れ入ってしまう尊いことばとして響いてくる。

そして「健康」なのである。
WHO(世界保健機関)定義では、
「健康とは病気でないとか弱っていないということではなく、
肉体的、精神的、そして社会的にもすべてが満たされた状態」とある。

つらい経験(強いストレス)を糧にそれをバネにして高い健康状態で生きることができる。
つらい経験に耐えるということではなく、自尊心や自己肯定感を高め得る、
柔軟な心の在り方や考え方を養えば、健康が生成されるという。

全くそうだと思う。
ではあるけれど、それは苦痛の経験途上にあって
悩む人ではない周りの多くの人々に関わってくる問題だと思う。

当事者を避けず、見ぬ振りせず、当事者のありのままに関心を寄せることから始まり、
何らかの光(対話)の経験を積極的にもたらしていくことだとつくづく思う。
一つでも多くの対話の提供は、時にはしくじることもあろうけれど、
当事者の自己経験の言語化を導き出せば、
当事者への柔軟な心を自らに導き出せるようになり、
私たちの助けをも受け入れてもらえるようになる。
要は日の当たらぬ、日の当たりにくい人たちへの向きあい方が、擬古地ではなく普通に、
お互いに「折れない心」をやしないあえることになるように思うこのごろであり、
私の気遣いがそのように向き始めている。

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ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。