わが故郷 紀伊田辺の高校同窓会は、40代頃から、5年に一回というベースで始まり、
それなりに盛会に行われ、余韻の残り火とでもいおうか、
関東は東京・関西は阪和圏で毎年地区別のミニ同窓会が開かれている。
還暦を迎えたころより物故者が増えてくるに、わが身の身近な問題として感じ入れば、
やはり3年に一回の再開を望む声も多くなり、
今では、地元本家の同窓会が3年に一回開催されている。
さてさて今年の同窓会は、古希を迎えて参加した面々が、
これまでを生きてきた生活臭を漂わせ、大事に磨かれてきた自己の感性を
顔、容姿に漂わせながら、屈託のない再会の喜びを確認し合ったものです。
流石にいつもの常連メンバーの不在に、一抹の悲しみも共にしあったが、
いずれわが身も「不在」となる身と受け止めているかのように坦々としている。
これは年を重ねて生きる中で、肉体が教えてくれる真情のように思われて、
不思議な感覚を覚えたものです。
これなかなかの滑稽な風景と言えないだろうか?
ところで和歌山県は、高野山、熊野古道が世界遺産に認定されて以降、
結構な観光客を誘致して潤沢な経済が巡っているようだ。
道路、街並み、海岸沿線、全てに装い新たにするなど身づくろいを整えていて、
まあとにかく賑やかに過ぎるほどである。宣伝効果高らかにというか、
可視化がぬかりなくほどよく徹底されている。
観光センターなる建物もできていて、歴史表記や道路マップのパンフレット、
看板があって、碑・歌碑や記念館、ご当地ユニホームで観光客をもてなしている。
~いらっしゃいませェー~ 張り切った声でご挨拶いただけば、
活気あり、うるさくもありの複雑な心境になってしまう。
トイレひとつをとってみても、
目につきやすい場所に堂々ときれい化された明るいし、悪臭も緩和されている。
おまけに掃除チェック表も目につきやすい形でぶらさげられていて、
「清潔」維持を誇っているのか、労働監視なのかといった風景に感心するやら驚くやら。
店構えも、新旧入り混じりながらも、現代風に装いを凝らし街並みを整えてもいるが、
コンセプトが分からない派手な色彩の店も目に飛び込んでくる。
こぞって世界遺産、重要文化財などの認定・指定を受けたくて
必死に盛り上げようとする背景は、観光誘致という最強手段を通して、
金儲け主義にはしすぎてはいないかと思ってしまうほど。
経済的潤いは必要だけど、この賑わい方は、危うげな滑稽さも感じ、
もう少し静かな故郷であってもよいのでは?と。
まあ、元県人今他県人なる者が言うことではないっかぁ~。
私の意地悪考でございました。