どうやら萎縮しているらしい 十三夜の独り言

この頃ゆっくりと立ち止まってあたりを眺めることがない(少ないのだ)。
時間の流れのままに身を任せ過ぎているらしい。
思考をめぐらせて頭を刺激していない。
自分の時間をどう過ごすか?近頃は几帳面に段取りをしてみることなく、
どうも面倒になってきているから、
一日の過ごし方にけじめがついてこないような気がしていて、困った症状が出始めたなと。

友人からのお誘いが、私の横着な思考停止からの脱却に大きく関わっていて助けられている。
私の友人から、私の活動を促すアプローチを受ければ、
フットワークよろしく乗っかれば占めたもの。
大概は乗っかっていて、一定の間隔をあけながらスケジュールが組まれてもいるが、
ほどよい結構な活動スケジュールが疲れもする。
難儀だな、困ったことになってきているなと思うのは、
「一人で行動する、一人で楽しむ」という方策を生み出す力が、
どんどん後退しているような気がして不快に感じている。

一人の時間を持つことは、高齢になっても必要だと思っているが、
近頃の日常生活が、基本的には会話や談笑という
音の少ない時間が多くなっていて、それはよろしくないなと。
響きあう、交し合う音がないと、
心が刺激されないし脳に伝達されていくこともないからまずい。
まずは話にならない。

しかしまあ、我が家には老描(雌)がいて、日常的には何かにつけて、
「みゃーぉ、みゃーぉ」という鳴き声のイントネーションを変えて会話をしてくる。
これが私の心に響いてくるありがたい情景。
猫(ながら)、怒り,恋しさ、寂しさ、気分のよさ、美味しいものが欲しい、
早く帰ってきてよという欲求、などなど、結構な会話ができるのだ。
彼女のおかげで私の生活は、助けられているというわけだ。
彼女の凛とした風貌(美貌)、彼女(猫)が受け入れる我が家への訪問客に向ける
悩ましげで大きく見張った目は、とにかく惹きつけられたちまち癒してくれるのだ。
飼い主に変わるおもてなし。このおかげで、場の空気は大いに盛り上がり打ち解けるのだから。

十三夜のお月様は、木枯らし1号が吹いたせいか澄み渡る。
嵐山の夜空は秋冷が冴えわたり、
所々につつましく漂う雲が愛らしく昇る月はほとんど円く輝いている。
横笛の音色が夜空につんざき、しばし水面を撫でて流れる。
嵐山の川面に揺れるお月様、静けき山間の時の流れはいと楽し、良き名月詣でとなりました。
ほろ酔い気分で家に辿り着くや、我が家の老描は、
玄関で「みゃ~ぉ。遅かったねぇ。私は独りで待ってたんだニャオ~ン。
ごはん食べたけど、ちょっとおやつちょうだ~い」なんてね、すり寄ってくる。
もう!!なんでそんなに可愛いいのかニャ~ン!!

この子がいるおかげで、私の心・脳は、そう簡単に萎縮しないよね~!
気持ちが小さくならないようにと、気をつけながら、まだ潜んでいる可能性を見つけながら、
身近なところに心ときめく落し物・忘れ物があることに気持ちを向けていけたらと、
そんな風に思っているこの頃、萎縮しないで高齢路を歩もうとしているのでありますよ。

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ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。