齢65才を過ぎてくると、体全体のあちこちから
「もゥちょっと、体に優しく体を鍛えて、せめてもの錆び磨きをしながら、
老いの領域をゆっくり味わっていっても良いんじゃない?」
ってなメッセージが伝わってきて、
ほんとに若いころと同じようなスピード感で
立ち居振る舞うことができないのを思い知らされていく。
どこか危なっかしげな動作を意識して体が縮み
どこかにキリっと瞬時の痛みを感じて顔を梓からめ、
ま、別になんともないわ、と普段の私の動きに整えながら
やんわりと用心しながら行動しているのを感じるようになっている。
これまでの人生をどう生きてきたのか?
多かれ少なかれ、しがらみの中に生き、揉まれ揉まれて強さを獲得し、
ある意味、波乱万丈の日々を送ってきたようにも思うけれど
過ぎてみれば優しさも伴って、紡ぎだされた人生を感じることがある。
失敗や困難に泣き暮らし、夢破れて目的地に辿る道は暗闇に消えて
自分自身を認めてやることもできないで、小さく硬く固まってゆく。
でもネエ、女人は谷底に落ちこまないンだよね。
深い淵の何処にしがみついて足場を探るのか解らないけれど、
泥沼から這い上がるパワーを行使している。(もしかしたら形振りかまわないパワーかも)
考えてみれば、結構道草を食って、あわよくば損しないで楽しい味わいをさせてもらって
儲かりものをした気分で、目的への旅をしてきた(のかな?)ようにも想う。
何かしら?ノンちゃんはマシュマロ人生のようで芯を語るのが照れくさい。
老いを語るには、まだまだ早いように思われる。
ご高齢の先人達が語る人生観には、的を得たその人ならではのコア(芯)性があり
安心してその言葉を受け入れることが出来て私たちの心にピカッと光る。
先人たちが投げかけてくれる言葉に関心至極することが多くなっている。
老いぼれず、慌てることなく人生を楽しみ優しい人に進化していければ良いかァ?
道草する余裕はないけれど、悠然と時間を楽しめれば人生を飽きなくて過ごせる
と思う此の頃。人生訓の達観ムードを漂わせてしまいました。悪しからず!!
お若い皆さん!失敗や困難は、後になって人生の楽しみに変えてくれます。
大いに道草をしながら(楽しみながら)人生の目的への旅を続けてください。