「高齢である」をしかと知る!恥ずかしがらずに!ためらわずに!

60歳還暦を迎える、という響きには、
何かしら当事者自身も周辺も華やいでいるように思われ、
お祝いごとの行事も抵抗なく滞りなく
済ませることができるものなんだなあという気がする。

さて、それからの5年、10年というのは、時間通過が速くて敵わない。
要するに健康年齢という概念を思い切り体に感じながら過ごしているのだ。

実際、おしゃべりは緩慢な流れになり、声は張りあがっている。
場の空間の広さや、雑談する人たちと
どのくらいの距離間で話しているのかにはお構いなく、
自分が聞きやすい出しやすい音量でもって始まる。

気持ちの中にはまだまだしっかり人に迷惑をかけないマナー基準を持っていて、
体裁よく身構えて行動しているのだけれど、
どうにもこうにも複数の音が重なり合ってくるとボリュームアップさせているのだ。

近頃息子は、私と一緒に出掛けると、私の歩き方や姿勢を観察したり、
私が左右前後に行き交う人々への気配りを観察したりして、
「わァすごい!お母さん、平衡感覚すごいね」と褒められたり、
「お母さん!急に立ち止まると後ろから来ている人が
急に避けることできないから、気を付けないとお互いに危ないよ」
と注意されたりもする。

息子の辛辣な注意に、時々は腹を立てて抵抗をするのだが、
息子は、私が老けていかないよう、認知度を維持しつづけるようにと
刺激をしているのだという。ありがたい話と受け止めるべしかな?

ま、家族とあるいは親しい友人たちと、忌憚なく喜怒哀楽を表現し合って
日々を過ごせればいいのだな、と思うこの頃ではある。
一つ一つの活動を終えて一段落してみると、
結構なエネルギーを消費しているので疲れを感じるが、実際疲れやすくなってきている。
やれやれと一休みをしたくなって、動作緩慢にゆっくりとお茶を飲む。
一つ一つの活動の区切りをつけながら(否、区切りをつけながらでないと、
次の行動に移っていけないというパターンになっている)、
あァ楽しかった!あァ嫌な時間だった!あァあの人は素敵な人だった!
やれ、きれいなお花だの、おいしいお食事だっただの…
いろいろ思いつくままに味わいつつお茶を飲む。

区切りをつけて次の行動に入るまでの間合いを感じながら、
穏やかに緩やかにスイッチが入るという仕組みになってきている。

このように書いてみると、いかにも元気のない高齢者の域に
踏み込んでいくかのように思われるでしょうが、そうではなく、
「高齢である」をしかと心得ていっているのであって、ゆるゆると、
高齢を受け入れて健康的に時間を大切に使って、
結構、安全に人に迷惑をかけぬよう、恥ずかしがらずに、
ためらわずに生きようとしているのだと解ってほしい。

医療介護の現場に入院・入所する高齢の方々は、認知の症状や難聴、動作緩慢、
視力が弱いなどなど、加齢に伴う症状をいろいろと持っている方が多いと思います。
医療介護の従事は、やはり環境を整えて、
コミュニケーションをしっかりとる配慮をしてくださいね。

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ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。