山極寿一さんは、京都大学霊長類学研究科教授でいらっしゃる。
次期(2014年10月)、京大総長に決まっており
6年間の任期を務められる(ことになっている)。
初の戦後生まれの総長誕生だということだから、
団塊の世代ということでもある。
同教授は、私たちにはゴリラ研究の第一人者として有名であり、
ユニークなお人柄に好感を持つ方が多いのではないだろうか。
彼は、毎日新聞の「時代の風」日曜日を担当されており、
いつも含蓄のある一文を投稿されていて、私はこのコラム欄のファンでもある。
最近、台風情報は被害規模の大きさが予測されての警報に近い。
そのためだろうか?全国あちこちの情報を丁寧に見る癖がついてきている。
今までとは異なる台風や集中豪雨のありようは、やはり悲惨である。
被害にあわなかった者にしては遠巻きにして悲しみを想像しながら
わが身の安全を噛みしめるのだけれど、
他人事の域を出て感じることができているだろうか?
もっと根源的な物の見方をしてみる必要があるように思われるのだ。
自然のしくみというか、自然がもたらす恩恵や悲惨に対しての尊厳を
語れる方々にお目にかかりたい思いが膨らむがために、
今日のブログ展開となったかな?
山極教授の日曜「時代の風」は、私に一石を投じる感動を与えてくれ、
謙虚な気持ちに満たされる。
前述したテーマに沿っているわけではないが、
そこから始まるという感じを持って紹介してみます。
自然界の豊かな生命のいとなみが主題となる一文を抜粋しています。
強烈なメッセージが届けられていると思いませんか?
(前略)…今度は人間を超えて生きル作法に目を向けてほしい。
…限りなく生活領域を広げている私たちには、
他の生物とともに生きる方策が必要だからである。
熱帯雨林で暮らすゴリラをみると、
母性の強さとあっさりとした子離れに感心することがある。
派手な身振りでメスに求愛するオスも、
決して強制的にメスを意のままにすることはない。
そして他の生物たちと見事に調和した生活を営んでいる。
そこには自然の作法とでもいうようなエチケットが存在する。
私たちは昔から人間だったわけではなく、
つい最近まで多くの生物に囲まれて生きてきた。…(後略)
さて皆さん!
今年もまたお盆がやってまいりました。
それぞれの郷里に帰られてお墓参りを済ませるのも
私たちの心の置き方によき影響を与えてくれるのではないかな?
暑さに参っているこの時期、お墓を引き合わせにして、
集う人々と涼をとってみるのもいいでしょうね。
よき夏休みをお過ごしください。