「it」が導いてくれるImagination(想像力)は、
とてつもなく自由であり、何を想起しても恥じることもない。
まさに「私は私である無限の確かさ」に繋いでくれる、とノンちゃんは気づいた。
小さな子どもは、観念的な概念に縛られない分、
「it」に強烈な好奇心を持って、想像の世界を創り出していて恐れ入るばかり。
あの絵本(及び童話?)の世界は、
限りなく抽象的でありながら(あるからこそ?)個々の子どもたちなりの
具体的な空想の中で可能性を引っ張り出してくる。
恐るべし「it」からのImaginationは、
やっぱり子どものときから刺激されるべきだとつくづく思う。
ノンちゃんの癖は、とにかく何者(物)か解らない「it」に講釈を乗せたがって
世界観を小さくしてしまう(ってことは、いつもとおり変哲のない
奇想天外っぽさもない想像に留まってしまうってこと)。
後日、新聞や書籍文章内に、「it」の可能性にフィットする表現が出てくるが、
「嗚呼、悲しかるかな…、私もそんな世界を表現したかったのに…」と
後の祭りの嘆きやら、癪な思いを洩らすことしばし。
(そんなノンちゃん、あつかましいね)
今日は何故こんな話題をつぶやき始めたのだろうか?
最近、難治分野の医学系研究成果が多く発表されていて、
それは私たち人類にとっての(福音)朗報な贈り物と感じ入るのです。
まさに医学系研究に携わる人々の
「it」への疑問、関心、不可解へのこだわり、不思議への好奇心などの小さな感性が、
こんなにまで可能性を引き出してくることに感心する一方、
近代兵器となるコンピュータの力によって、即座に解明されていくというコラボレーションに
意味深き技を感じたのだと思う。
支離滅裂な文言になってしまいましたが、少々興奮気味なので、この編で終わりにしましょう。