古くから、人間も自然の中の一つの存在と考えられてきた。
この文章自体は、毎日新聞論説委員の(小倉 孝保氏筆)論説文の終盤で問いかけられているのですが、ここまで読み進めてきて、私は、静かに文全体が問いかけてくるテーマに気づかされたようで、氏が冠した表題「ビワの木は切れない」に引き戻され、再度初めから読み直しながら、ホットした気分になり、ここでお茶を一服。
まったり感のある冷め始めたお茶に、やや苦味を感じながら、新聞のこの文章の初めからは、主題の主張がどんなものなのか、その推察はできないままに読み進めてみた。
「ビワの木は切れない」という主題の神髄に、共感を覚えていくのを感じ、とても希望的な気持ちをもちましたね。
(実は私、ビワの実が大好き人間。6月生まれの私の誕生日には、いつも初取りのビワの実が添えられていました)私に飛び込んできた、「ビワの木は切れない」は、そんなわけで単純に共感的だったのでしょうね。
興味を持って、楽しみに読み進めていったというわけでして、共鳴感が先行して読み進め、所々に、論説者の文言にハッとさせられながら、山や川は人間のように思考したり、発言したりはしない。
保護の対象になっても、その主体にはなりえない。
そう考えるのが一般的だろう、と。
2月7日の毎日新聞の金言欄で、「ビワの木は切れない」と題して問いかけられていて、面白い問いかけだなと興味深く読ませていただいた次第です。
一応、下記に全文を掲載しておきます。皆様、「樹木がスタンディングを持つべきだ」との思考の勧めをご一読されてみてはいかがでしょう。
面白く有意義な、これからの思想というか思考の流れではないでしょうか?