昔(10代~2~30代初期の頃)は、「中学校生になれば、自主的に映画を見ることが許された」という時代でしたが、私は、経済的な制約もあり、映画への興味も薄く、積極的に見るほうではなかったが、母が、私を映画に誘って連れて行ってくれましたね。
そういう事もあって、年2~3回観る映画は、優しい少女系(いまでいうディズニーもの)が多かったなぁと思い返すのですが、時代背景的には、明治~昭和初期の物語。
村人の大人達が熊と向き合う視点が、凄まじい惨忍なシーン、毎年毎年、秋頃になると、同じ熊がやってきて、村の緊張が高まるという通説の背景の中で、映画の物語が繰り広げられたのでしょう。
実際、その時代の映画やTVで観た映像といっても、ほんの2~3本であろうし、また、きっとストーリーも、事件性のある衝撃度は、映像によって壮絶で衝撃的なシーンとしては、現実的な物語の素材として、恐怖感をあおるシーンではあっても、嫌悪感にはならない映画鑑賞の効果性は高くあったのだと思います。
私の脳裏には2回ほど見た別々の映画でのシーンですが、その頃の時代、熊の生態について、詳細には解明されていなかったのでしょう。
熊の生々しい闘争的で逃走的な表現は、どの映画も似ていたような気がしていて、大方詳細な記憶は残っていないにしろ、思い出せば、ひどい頭痛に見舞われる。
もしかして、映画に感化されてしまって、手出しのできない、受けつけることのできない「くま」像が出来上がり、「クマ」という音声を聞いただけで、身体が硬直するという素早い反応が、癖になっていたのかも?
であったにせよ、「森のくまさん」の歌を聞けば、振り付けまでして、可愛い熊さんを体現した可愛いダンスを踊っていた私は、ほっこり熊さんのポーズ10体くらいは、色鉛筆画で描いたりして楽しんでもきたのですけどね。
年齢を加え後期高齢者になった6~7年ほど前、従弟夫婦と3人で、高槻市にあるポンポン山に登った時、その登り口から既に「クマ出没に注意!!」の看板が、10mおきに掛けられていて、山中、かなり緊張しながらの登山。
こんな山でこんな看板ってどうなのよ~!?
白む気持ちに支配されないよう、殊更大きな声で話しながら山深く登っていきましたが、山頂で良き景色を眺め、ゆっくり弁当を食べて、何事もなく無事に下山し終えたのを思い出します。
が、それから間もなく、ここ2~3年は、クマ被害のニュースが多くなってきたので、急にまた、何故これほどに多くの熊が里山・街中に下りてくるのか?
熊による被害は多くなり、今年は特に多く報じられています。
痛ましく背筋がぞっとするニュースが多く放映されているのですが、この現実、こんなに悲惨で多くのクマ被害をどう受け止めればよいのだろうか?
と、この頃は、恐れをなす一方で、私は、他人事のような温度感でもって眺めているのですかね?(酷いですね)。
丁度、ラインニュースより、愛すべき熊の生態に関して、著述家・亀山陽司氏の著述を拾い読みしましたので、熊の特性情報を要約して以下にまとめてみました。
日本の熊の種類は、ツキノワグマ(本州以南に生息)と、ヒグマ(北海道に生息)の2種類で、ヒグマの方がツキノワグマより狂暴だという事です。
本来、熊は、動物を襲う事は多くなく、主食は野菜・木の実(蕗、桜の実、トウモロコシ)・昆虫であり、熊は基本的に警戒心が強く、他人に近寄ってくることは殆どないのです。
造林地のように、隠れる場所もなく、見晴らしの良い所であれば、熊は近寄らないのです。
(そういえば、高槻のポンポン山は造林のようでもあり何となく見通しのよいすっきりして雑木林だったかな?大袈裟に恐れることでもなかったのかな?)
しかし、ヒグマの危険性を侮ってはならず、不意に山道で出会い、ヒグマを驚かせてしまうと、襲われる可能性は高い。
そして、ヒグマの糞は大きく、他の野生動物とは段違いなので、熊の糞であることが直ぐ解り、糞を見れば、何を食べたのかも大方解るということです。
(最近の一連の熊捕獲のニュースにも、糞から人の肉片や頭蓋骨片が見つかったというのを聞いたことがあるように思います)
さて、こうも熊との遭遇件数や、残酷な被害が多くなったのか?
それは、山の中で十分な食糧が得られないから!!これが最近の山事情。
今の時代、これだけ山林が無味乾燥な住宅地に、開拓造成されたら、山菜・木の実のなりようがない。
木の実で熊の腹を膨らまそうとすれば、大量の数が必要で、特に秋口は冬眠に備えて蓄えなければならない。
(どれだけたくさんの食糧が必要か?想像しにくいが、そういえば、パンダは新鮮な竹の葉をしょっちゅう食べているけれど、あの竹笹にも色々な種類があって、パンダの好みも微妙に違っているようです。しかしあれだけしょっちゅう食べていれば、相当な量を運ばなければいけないようですから、毎日の竹笹が十二分にないと、多くのパンダは飼えないという事情があるようです)
少しばかりの熊情報を書き込んでみましたが、熊を恐れることなく+熊情報を得て具えてみるのも悪くないかな?
絵本の中の熊さんへの親近感 対 野性の熊を見た瞬間の警戒感、襲われた時の恐怖感は、相容れない感覚ではあるけれど、山郷に暮らす人々の「熊」への理解というか、共生意識は、優しくて厳しい眼差しがあるように思います。
山郷の季節季節の産物の様子を伺いながら、限りなく熊への愛情を注がれているように見受けます。
いつか、人間と野生の熊さんの共存共生しあえる(というか住分けて共存するという)環境が出来上がっていくのではないか?との期待感は、ものすごくあります。
私達が、無下に恐怖感に縛られて逃れ無き環境からの打破に、信頼と理解をもって生命を営む日がやって来ればと願っています。