Nちゃんは小学校に通いながら、年2~3~4回と、輸血もしくは検査・治療、継続治療上の調整、などで入退院を繰り返し継続してきましたが、小学4年生頃には、貧血治療の効果は、次第に厳しさを増してきていました。
ある日、小児科外来を受診した時、「最近検査結果が悪くなっているから、ちょっと入院して、元気をとりもどそうか?お薬の調整を早い目にしといた方が、Nちゃん、楽になるからね。」と主治医に進められて、そのまま入院となりました。状態は、本人が自覚する元気さとは、裏腹に検査値があまり良くなかったという事なのですが、入院して1時間後には、輸血を開始するという段取りで、Nちゃんを迎え入れました。私達の目にも元気良さげなNちゃんでしたが、まもなく(主治医の先生は外来担当日でしたので)、ベテランの上部の先生が輸血を担当することになり、血管確保して輸血開始しようとしたときのことです。
輸血管側の接続部の空気抜きのために、一滴の血液を管から流し出すのですが、この時、私はガーゼを敷いた膿盆で輸血の一滴を受けるために、Nちゃんの目線に“一滴の血の廃棄”を晒すことのないように手配したはずなのに、真顔のNちゃんは零されたに違いない一滴の血液の方に目線を落として、こう言ったのです。
「看護婦さんや先生にとっては、“たった一滴の血”かもしれないけど、僕にとっては大事な大事な命なんだ。」
思わず、先生と私は、絶句!何秒かほどは、声も出ず、出す言葉さえも解りませんでした。
Dr.先生は、「先生もそう思って、N君に輸血してるんだよ。これからも血液を大事にしていくよ。気を付けるからね。」
あわてて私も「婦長さんもね、これはNちゃんの大切な血液なんだと思って、先生と一緒に輸血のお手伝いしてるよ。ずっとNちゃんの気持ちを大切にしていくからね。」 本当は、何を言ったのか?こんな風に言えたのか?しどろもどろな言葉でしかなかったのではないか?
先生には先に退席いただき、私は、事後処理の調整を図るためにNちゃんの気持ちを推し測りながらベッド環境を整え、彼の苦痛の不都合を確かめるように、彼の表情が緩んでくれないか、そんな期待感に願いを込めながら、間合いをとりつつ、彼の心理が整えられていくことを願って、自分自身が「慌ててはいけない、びくびくしてはいけない、何時もと同じように、Nちゃんとの時間を過ごし、ここに留まっている間に、自身の立ち居振る舞いを整えなければ。」との思いで、心が委縮しているのを解きほぐさなければ…との焦りと闘っている動揺は、大きくありました。
その様に入退院治療の日々を、繰り返し過ごしていたNちゃんが、5年生になる春休みを迎えたある週末の土曜日だったか日曜日だったか…。私は休日の管理者当直勤務で、当直医は外科のDr..が登板していた昼過ぎの事です。玄関に待機している事務当直者から、「小児のN君が来院してきたのでよろしく。ちょっとしんどいようで顔色も悪いです。」と。
すぐさま飛び出していくと、N君が「婦長さん!居てくれて良かった!…僕いつもと違うねん…あ、…口から……」 口から、僅かに泡沫様の出血を認め、そのままストレッチャーに乗せて小児病棟へ。看護婦は、血管確保の点滴を至急準備し(他方では輸血確保に向けて準備)、当直医も直ちに駆けつけ、呼吸・気管及び血管確保の良肢位をとり、Nちゃんは逼迫する緊急処置を施されながら、次第に呼吸困難、意識混濁、ついには意識消失の経過をたどり、とにかく私達は、大きく声掛けを繰り返しながら、ようやく血管確保できたところへ、ご両親がお見えになりました。
ご両親は、無言の対面となりましたが、「N!今日はしんどかったんやね。いつもと違ったんやね。よく頑張ってきたんやね。一生懸命生きて来たよね。お父さん、お母さんだよ。遅れてきてごめん。N!今まで良く頑張って生きてきてくれてありがとう。…」
最近のN君の様子から、ある意味、ご両親の覚悟めいたものは脳裏にあったのでしょうか?ご両親が病院に到着された時は、よろけるように声を抑えて泣き崩れていらっしゃいましたが、懸命の言葉を掛けられて…。やがて気持ちを整えられると、静かにDrの説明を聞かれた後、身体を整えられたNちゃんとご対面され、そのままご一緒にご退院されました。
看護師となって初めての経験の場=小児病棟であり、数年間を共にしたN君と私(20代後半~30代初期)の看護物語をお話しいたしました。衝撃的な症例でしたし、私自身、意味ある学びをお伝えできたのか…?どうか解りません。が私は、小学生のN君がつぶやいた
「看護婦さんや先生にとって、管より零された血は、たった一滴の血であるかもしれないけど、僕にとっては大事な命の血なんだ。」
の一言は、命の大切さを十分に想起させられた言葉であり、生涯忘れ得ぬことばとして、私の看護職務を支え続けてくれました。
この世に生まれ出てきたその時から、一部正常ではなかった身体上の問題を持って生まれ、生まれたばかりの新生児の末端部の身体にメスを入れ、正常の形に整えられて、Dちゃんの人生が始まりました。その時に私は、看護学生として手術室実習をしており、その場所に、Dちゃんが来られて手術を受けたのです。そしてその後、成長した彼が3~4歳になり、再び小児病棟で出会ったのです。彼は生まれ出たその時から「与えられた未知の命」を生きて、Dちゃん、Nちゃんとして、覚悟のその時代を一生懸命、果敢に生きてきたのです。
私は、看護学生時代に「児の誕生直後」に出会い、3~4歳頃に再会してのち、数年間の長期を、児と関わり、命の終わりを見届けさせていただいたというプロセスを体験しました。私は、壮絶で重くて尊い命の変遷を生きてきた「この幼い児の命」に恐れ入るしかなく、ひとときも忘れたことなく過ごしてきました。また、ご両親の在り方に於いても、消えることの無い感銘を決して忘れることはありませんでした。
現在は、医療の著しい進歩の恵みの中に、多くの命が救われております。そのような状況にあって時代の変遷を感じながら、人の命の重さが、どのように受けとめられていくものなのか…私には表現のしようもないのですが、皆様にはどのように伝わりましたでしょうか。