社会に出て一人前の収入を得るようになってからこのかた、私のお引越しは、5~6回もの経歴を持つ。自慢にもならないことで、改めて振り返って眺めていたら、「私って、落ち着きのない人に見えてしまいそうだな」とマイナス思考がよぎる。深刻に回想するわけではないし、私のお引越しには、私なりの必然性からそうなったという一応の理由があることではある。
今は亡き母との同居を求め、新築マンションの高層7階に。土いじりが好きで、友達付き合いの良い母の希望する住居ではないのは明らかで、不同意ながら私に応じてくれていました。
やがて子供が生まれては、今度はパートナーが、男の子の養育上、高層でベランダの真下は土や樹のないコンクリート道ってのは、良くないじゃないかと。ごもっともな思考の雰囲気を察知して、奈良の山を開拓して作られた戸建のニュータウンへ。勿論、私単独で決めたという事ではなく、母たちと共に現地を見学して、緑の樹木の恵み、奈良地の景観の良さ、日当たり、地盤層(?)等々の環境条件を確認して購入を決め、移り住んで23年を過ごし、息子にとっては、奈良が自分の故郷と自認しするほどに良き住まいでした。
母が他界し、息子は県外での大学生活→海外留学、パートナーも高齢を過ごすという状況になり、家の広さは重くなり、健康上の問題に対処するには不自由さが負担になると確認するようになって来れば、交通の便がよく医療環境の良い都会へと。大阪のそうした条件に敵う町、従姉たち家族も近場に住む町に移住して15年。
そろそろ家族の形も変化して、子どもの独立、パートナーの死去に伴い、私は、独居暮らし。結構自由に楽しく自立性高い生活をしていると思われたのですが、2019年末に発生したコロナ感染症の猛威禍が続くこと2年余、今尚収まりきらぬこの状況は、大きく社会環境に影響したことは確かで、生活の在り方にも変化が生じ、大きな学びもできたのではないかと思うこの頃です。
そして私自身、昨年後半より体調不良の重さが、こんなにも生活の考え方・形に変化を及ぼすことになるとは…?!
道路に面して向こう側5分ほどの所に居住している、従姉たち家族とは、平素より仲良く行き来しているのですが、年末~お正月半ばにかけて、立ち上がり様もない大きな体調不調に見舞われた時、夜中の不都合時の対応、昼間の不都合時の対応がままならず、動くことそのものに弊害を来した状況で、電話する、電話の不都合に繰り返し対応し直す、何処に電話しないといけないかの判断もままならぬ動きようのないまた再度やり直してみる意志・意欲が減速していく状態に陥ったことがありました。世にいう孤独死と表現される状況って、こういう事から始まるんだと、呑み込まれていくような思いで凌いだ状況がありました。特に、夜通し「怖いなあ、これではいけない」との思いが交錯しながら朝を迎え、とにかく水をゆっくり飲みほしながら「朝になれば、お医者さんに何がなんでも行かなければ…その力だけは持って受診しよう」と。
平素の私は、体調不良時の不安は、従姉に早めの連絡を取って、受診に付き添っていただいたり、食事の面倒を受けたり、と結構な連携の恩恵に与かっていたのに、それが頼めない。真夜中の救急性を、簡単には、従姉や東京の息子に連絡できなかったのだ。怖さに逡巡を巡らせど、親族に連絡する覚悟というか思い悩む、迷い悩みの吐露ができなかった。
これが私なんだ!と思い知ることになり情けなく思った。がしかし、元気の回復時にあったのか、情けない思いに捕らわれることなく、私の頭は、今の生活環境の脱却とでもいうか、対策を考えて、成しうる方法を見つけ出そうという気になってくれたのが有難い。
数日後、新聞のチラシに、セキュリティー完備、医療・介護との連携した環境、、自立したライフスタイルができるシニアマンション の販売広告が載っていたのです。完全にそれに飛びつき、早速見学申し入れての現地見学を敢行。自己の出資金の可能性だけは、きちんと捉えておいて、私の信頼するしっかり女性に同行をお願いして、マンションの詳細の説明と見学させていただきながら、現実的な質問なども興奮することなく、落ち着いてお聴きすることができ、ほとんど即断的に、購入の意志を伝えたものです。資金繰りには、心配がなかったとは言えないが、きっと何とかなるという強気が働き過ぎていたかもしれない。
マンションの佇まいは、周辺の医療・介護ゾーンの街づくりとしては、緑地帯を比較的豊かに確保されていて、緑の街路樹で囲まれている。広々とした3つか4つのシニア・家族マンション群があり、それらが共有する医療施設や介護施設・セキュリティー管理会社の隣接など近場に構えている。肝心なことは、末永く人の命が自立的に、活かされ守られ生活が整えられる という事であってほしいと願いながら、話をお聞きする限り、それは保証されていくであろう市政の力が信頼できそうだと思われ、同行下さった友人も、信頼できるのではないかとの弁。
息子に相談掛けると、お母さんがそれが一番と思う方法であったのなら、良いのでは?と資料と現地写真や、候補にしている部屋の写真を送って吟味していただいた息子の弁でした。そっけない返事のようですが、資料などきちんと見て私の資金力との関連性も見届けてくれていて、決して「僕が少しは援助しようか?」とは言わなかったけれど、有難い賛意を示してくれたのが、嬉しかった。
そうした経過の中で、引っ越し準備が始まり、1か月の期間もない中での荷物整理は大変でしたが、無事引越し完了した現在、既に1か月半を過ぎてしまいました。生活は快適で、朝夕の散歩は生活べースで身近にできるのがうれしい。まだまだ、引っ越し人がこれから賑わうのではないかと思いますが、マンション管内で色々な方々とお会いしながら、会話を交わせるのが良いです。高齢者にはこれが一番!そして何らかの変化のある生活が、必ず待ってくれている期待感が、あちこちに散らばって、街のコミュニケーションさながらなのも良い。管理人さん達の身近な、しかし、やり過ぎない親切・声掛けが、コミュニティーとしての良き働きになってくれていると思う快適なこの頃です。
私事を述べてきましたが、今後の高齢社会を生きるを考える一つの在り方として、皆様の思考の一環になればと思い、記述させていただきました。