【第五章】1節 看護婦(師)の道半ばの頃①

私の生き方の主たる選択は、看護婦(師)人生を生きる、ということであろうか!と思います。振り返れば18歳の看護学生から看護婦(後に看護師)として63歳までをとにかく生きてくれば、なにかと小さな石に躓いたり大きな石にぶつかったりー。大小の痛い思いは、私の人としての具えに必要な影響を示された事と受け止めてきたのですから、大方の一つ一つの場面が幾重にも浮かんできます。

さて今回のお話を展開していきましょう。
看護学生を卒業して、一年間の大学(教育学部)生活を経て、休職中の病院に復帰した時、子どもが好き・嫌いのレベルで捉えていたわけではないけれど、小児病棟配属となった時には、「私が…?」と驚いた話は、以前に記述しました。

配属に関する驚きの気持ちは、意外性の感覚が即座に働いた理由は、私と小児の接近感を経験したことがない、ということになるでしょうか?
大学時代の教生実習は、小学4年生を二組、中学1年生・2年生の合計3~4週間で展開したと思います。指導の教官とのやりとりを徐に覚えていますが、子ども達との交わりは、授業展開に一生懸命だったけれど、接近感を持つ対話時間ということへの関心・工夫は、施すことなく過ぎた、ということだから…?の弁明あるのみ。とにかく復職した私は、小児との距離感が解らず小児病棟配属などの予想だにしないままに、意外性の感触で配属となったという事です。

 

一つの物語は、ここから始まります。
小児病棟看護婦の道を歩み出した私の心のザワツキ?!小児科部長先生は、入学試験の時に困難な採血トラブルを難なく解決して下さった先生なのです。やや緊張でしたね。

部長先生は、基本は静かで書物の読破力は半端じゃなく、頭に記憶されていらっしゃる。朗らかによく笑い、こよなく阪神球団を愛しておられ、高校野球の開会式には必ず、半日休暇を取って観戦。プロ野球が始まれば阪神球団を応援し、昼食時には、巨人応援の先生方と、負けた・勝ったの賑やかな談義を展開していましたが、部長先生のお名前は「虎太」ですから、話の先は、良くも悪くもオチがついて終わりになるといった具合でした。子ども達も部長回診時には、虎太先生を待ち構えていて、先生が病室入口に立てば、「六甲おろし」の大合唱が。これだけでも当時の病棟の雰囲気がお分かりいただけるでしょう。今では、許されないことかもしれない伝説になったというべきでしょうか。

部長先生は、小児科外来を含む小児病棟の絶え間ない多忙さにも泰然とされて慌てることなく当然に指示が飛んできます。と、私達は悲鳴を上げる。エ~ッ?先生~?!それって~!!今から~!!!不愉快・拒絶の悲鳴ではなく、覚悟の悲鳴とでも言いましょうか?

「小児の病気は待ってくれない」「小児の病気は勝負が早い」「私たちは直ぐに、何をどうしなければいけないか?」「判断を遅らしてはいけない」「拙速に判断してはいけない」「子どもの命は、親御さんにとって全てなんだ」これらは、常々発せられる言葉でしたし感情的に舌鋒鋭く命令的に私達に、指示を飛ばしてくることはありません。医療観(殊に、小児医療観)を秘めて活動されている姿には、「小児の命とその家族」への医療人としての在り方、人間としての命との向き合い方 を受け止めておられその覚悟が伝わってくるのです。一つの医道(哲学)を持っていらっしゃったと思います。常に、一つ一つの場面が、その児の性質、病気の重さに対して、心尽くされ配慮されていることが思い出されるのです。看護婦たち個々の中に、しっかり浸透していましたね。その教え、伝え方が、殊更ではなく、自然にと言えばいいでしょうか?

約2~3年たった頃と思いますが、大学紛争が結構激しくなって、臨床医学部でご活躍されていた中堅やベテランの先生方が、2~3人赴任されてきて、Dr.の特質、特性が示される中で、一層、症例の多様さ、深みが出てきました。そして間もなく、京都大学医学部出身の若手Dr.が、我が病院の小児科医として就職していらっしゃいました。小柄で華奢な先生とお見受けしましたが、胸中にはやる気を秘め、アウトドア派のご趣味をお持ちでした。早朝ボーリング、卓球、バレーなど、お誘いすれば、乗ってきてくださるというエネルギー感あり、笑えば可愛いロマンチスト。その頃は、大変な症例が多くあり、勉強熱心で、私達看護婦には、論理的臨床解析をして説明して下さるので、学びの満足感があり楽しくもありましたね。当然(断然)看護婦さんから頼りにされましたから、病棟の雰囲気は活気づきいつも笑いが巻き起こっていました。

さて、今日のお話はこの辺で終わりにしましょうか。次回編をお楽しみにお待ちください。

 

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
よろしければクリックお願いします♪


◎看護師のお仕事探しはメディカルステーション

ノンちゃん

投稿者: ノンちゃん

大阪・住友病院で教育担当副部長を経まして、系列看護学校の副学長を歴任。その後、活躍の場を他の総合病院に移し、看護部長として就任いたしました。現在はワークステーションで登録スタッフの方の相談役として、様々なアドバイスを行なっております。長年の臨床経験・指導経験を元に得た知識を、皆さんにお伝えできればと思います。