看護学生生活3年間の不自由感は、大袈裟かもしれないが日々、心理的に追い詰められていくようで、その心理の行き先は、解放感を感じにくい箱の中に納められていくようで息苦しいものでした。生活上の営み全てが自動的に進み、決められた何時も通りの時間が過ぎゆくままに、明日を迎えていました。ですが、そこは青春のエネルギーがそこはかとなく漂っているのですから、じっとしているなんてことはありえなく、ちょっとした事にも大袈裟なくらい弾け合って賑やかでした。与えられた空間は、狭いながらも楽しい我等の住処と心得、狭い箱の中に笑い声があり、喧々諤々の騒音があり、そうよ~!そうじゃないよ~!良いじゃないの~!の歓声が交錯していたと思いますから、案外、学則には素直に従い、心地よい不響和音の青春の響きに酔いどれながらも、日々感謝の心を持って迷路に陥ることなく仲間に支えられて過ごすことができたと思います。
さて、大学生活を始めた私は、この1年をどのように過ごそうとしていたのだろうか?
私は郷里の同級生の大学生活を遠目にして、羨ましさを募らせ大学生活の自由な学びを経験したくて入学したのですが、1年という期間は結構慌ただしい日々と心得て、大学の先生方や学生たちと自由に語り合える時間を持ちたかったですし、広い学びがあることを願っていました。当初は臆病さも手伝って静かにその場(教育学部保健研究室)に身を置いて模様眺めでのんびりしていましたが、まもなく早い時期に、好きなダンスをし始めてみたくてフォークダンス部(F.D)に入部し、他学部の学生たちとの交わりができるようになりました。
この時代の思想軸は、いろいろあったと思いますが、私が影響を受けたのは、フロム著の『自由からの逃走』などが上げられ、それを学ぶ機会ができたように思います。
また1960年代の学生活動は、先鋭的行動が繰り返されていて、学生運動は、アメリカのベトナム戦争(侵略)反対運動に呼応するかのように活発化し、やがて管理体制化を求めての方向に向かっていくであろう境界にあったと思います。混沌とする世界的な反戦運動のうねりの中、なかなか止まぬベトナム戦争は、解決なき敵対連鎖が長期化しており終息に向かうには遠く、世界全体が、疲弊感・無力感・空虚感に支配されていたのではないでしょうか。そして、フロムのこの著書は、広く読まれており、私も多少影響を受けて、難しい本著を読みました。ただ単に読み始めたのであれば、私は途中で放棄していたと思いますが、触発されて読みはじめたって感じですかね。教育学部の教授先生方や研究室の若者、F.D部に集う学生達ともちょっとした話し合う機会があるなど、話題になりました。
F.Dは、週2~3日、3時間ほどの練習で、学生達は男性が多く女性達は男性の3分の2ほどでしたので、大事にしていただきました。練習の内容は、選曲・振り付け・新作への挑戦など、運動量は多く研究的でした。金沢にやってきて初めて、北陸3県(福井・石川・富山)はフォークダンスが盛んであることを知り、本格的な運動量の多いダンスでしたが、踊りは、エキゾチックで浪漫的で民族的で融和的なのが楽しく魅力を感じましたし、練習を終えれば、夫々に帰路につきますが、三々五々に分かれては、喫茶店や居酒屋に立ち寄って、色々語り合うわけです。これがもう楽しくって、学ぶことができて、恋に陥るカップルもできて…と、青春を謳歌してるな!自己満足感多々でした。
残念!ながら私は、恋人は出来なかったものの、1年間をエスコートして下さる若者(法学部)が現れ、古書店、和菓子店、レコード店を回り、クラシック・レコード鑑賞、絵画芸術鑑賞・金沢散策など、未知なる世界を幅広く案内していただき、多くの知的な栄養を得ることができました。きっとその頃の私の顔は、輝いていたのではないでしょうか?
私の学生本来の学びの軸は、教育学部保健研究室に所属して養護教員養成課程の教育カリキュラムに沿って展開される授業です。看護学校時代の教育と違うのは、教授たちの存在が身近であり普段的であり、緊張感を持つことが無かったのには、びっくりで新鮮でした。授業の中では、紹介される諸本が多くあり、全て読破できはしなかったが、勝手に重厚感を感じ、自己満足感は高かったのですから、単純な人間だったのだと思います。こうして私は多くの人々と出会い、未知の著書と出会い、金沢にマッチングする郷土の産物や歴史的な町並や武家屋敷路の散策、古書探し、老舗和菓子とお抹茶の味わい、九谷焼との出会いなどなどを通して、一歩一歩金沢の学生生活に馴染んでいけました。
さてフロムの「自由からの逃走」について端折って要約してみると、「自由-心理学的問題か?」「個人の解放と自由の多義性」へと進み、子どもが成長し、第一次的絆が次第にたちきられるにつれて、自由を欲し独立を求める気持が生まれてきます。子どもは個性化が進むにつれて強くなっていく一方、孤独が増大していきます。孤独な子どもは、権威への服従か自発的行動かの二者択一を迫られるということです。そして「近代人における自由の二面性」人間はよりいっそう独立的・自律的・批判的になったことと、よりいっそう孤立していく「逃避のメカニズム」「自由とデモクラシー」へと展開し、われわれの社会では、感情や思考、意志的行為における独創性が欠如している。自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲にすることなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道です。云々…。ほとんど解らないに等しいのですが、このような著書と出会ってこなかった私は(勿論、読みこなすことはできないにしろ)、読書する機会に出会ったこと、周囲の人たちによって読破して、中味を吟味できたことは大きな体験学習となりましたし、「学生を味わえた」と思えたのです。
金沢大学の1年は、時間軸としては幅が小さいものの、10年くらいの学びを得たという感触は、大阪に帰ってきて以降いつまでも忘れ得ぬ思い出となり、私の働き方、働く姿勢に、長く大きく影響を与えてくれました。
さて、次回は、どんな思い出を切り取ってお話ししようか考えあぐねます。が、楽しみにお待ちください。