最近、宮沢賢治の本「いのりのことば」を読んでいたら、
どうしたものかナイチンゲールを思い出してしまいました。
私のどんな琴線に触れたのか…?ちょっと不思議な気分ですが…?
ナイチンゲールについて語るのもずいぶん久しぶりです。
ナイチンゲールは私たち看護師に
「看護する力」「看護することの意味」「看護の先にある希望」
という事に関して多くの言葉を残してくれていると思っています。
個人(患者)が持つ自然治癒能力を引き出して、ケアする看護の力は
『命の尊厳性』に問いかけることのできる力であると思っています。
看護の現場はとにかく忙しい。
看護師は常に、歩きながら(というよりは走り回りながら)、
何気なくそこそこの場を往来していながら、しっかり場のエネルギー、
患者・医療従事者チームのエネルギーを感じ取り(看護体感)、構造を読み、
何らかの意思決定に向けて思考を整え協働への作業に向かって歩いています。
ここで言う「看護体感」というのは私流の表現ですが、
医療現場を隈なく歩いて看護り立ち止まりながら、
そこに患者さんがいる限り、プラスマイナス何らかのエネルギーを感じとり、つらい悩みに共感し、
闘病に疲れ、無気力になりそうな患者に寄り添って看護り観察するということなわけです。
さて、ナイチンゲールへの切込みをしてみようと試みてみましたが、
なかなか彼女の残してくれた言葉は深くて遠大です。
到底及ばない話に首を突っ込んでしまいましたが、
どなたか彼女の残した看護論から学びえた一辺の看護体験を教えていただけるとうれしいです。
私たちの看護疲れからのリセットは、自然の風景や小さいころの思い出に巡らせて見ると、
知らず知らずのうちに癒されている自分に気づくことがあります。
私たちの足は前を向いていますよね。
その足は否応なく前に向かって進むようになっているのですから、
仕事中歩いているとき、ちょっと意識して想いを変えてみてください。
どんなに嫌なことに出くわしても、前を向いて歩けば、
どこからともなく顔がほころんで勇気が湧き出でてきてくれますから。これほんと!