わが家の猫ちゃん!得意の仕草

わが家の猫ちゃん(人呼んで、Qちゃん)は、かれこれ16歳の高齢猫。
とはいえ、近年の家飼い犬猫たちは、20年前後の寿命を全うするという、
大往生の犬猫物語が多く聞かれる。だから、わが家の猫を飛び切り、
「高齢猫」と自慢するわけにはいかないが、このQちゃんのおかげで、
わが家はどれだけ癒され、助けられてきたことか……。
大いなる感謝あるのみ。

ところで16年を生きてきた猫ちゃんの心根はどんなものだろうか?
三毛猫美人というこの猫ちゃん。
容姿端麗(飼い主が自画自賛してもしょうがないが)、
スマートで艶な猫。賢くて、人と会話する(会話できる)というわけ。
彼女がわが家に来たときは、その3~4カ月前に雌の雉猫が先入りしていて、
それがどうも気にくわない三毛。雉が近づくとファ~ッ!
と息を噴き上げて威嚇して2階への階段を駆け上がる。
階下の私たちがどれだけ呼び寄せても一向に来ようとはせず、
しばらくというか静かに目と耳を凝らして中階段のところで見つめているのである。
そのいでたちは、まるで豹のような鋭い眼差しにスラーっとした姿態。
もうぞっこん惚れ惚れしましたね。
そのうち私が、中階段まで迎えに行こうとすれば、
ササーッと上階段を駆け上がって、素直じゃない。近寄ってこないのだ。

ところが、雉猫が2年後に病死した際には、弱っている雉ちゃんのところに寄ってきて
鼻を摺り寄せてからだを舐めてやったりして、ちょっと不思議な行動をしていたりしてね。
雉猫が亡くなって2~3日後には、Qちゃんは私たちに、
頭突きしてきたり猫なで声で何やらおしゃべりをしてき始めましたね。
それ以降、この家の主は私ってな風情で向こう三軒両隣の庭庭を悠々自適の闊歩。
夫々の猫には猫の得意技、仕草があるのは、もう皆さんご存知かと思うが、
Qちゃんは、時に舌出し猫の幸せ、日向ぼっこの幸せ、木登りの幸せ、
木の上の昼寝の幸せ、人気スポットの主人的な幸せ、
動くものすべて(小鳥やネズミ、ヤモリなど)獲物取りの幸せ、
をおう歌するといった自由猫になりました。

ある夜半、階下でドタドタバタバタのけたたましい物音に、猫も私も飛び起きた!!
そぞろそぞろに階下に降りてみたら、トイレ方向に物音しかり。
入口ドアが開いていたから、人間が忍び込んでいないのは確か。
でも大きな狸の類でもない。Qちゃんがそぞろに忍び寄って
獲物めがけてとびかかろうとしたその瞬間、
2~30cmほどの茶色物体がササッと素早く走り出てきたが、
私はギャッと固まってQちゃんを見ると、
Qちゃん目をしばしばシバかせてぐるぐる回っている。
と見るや、なんとまあオナラ臭いが充満しているじゃありませんか。
イタチはそのまま逃げおおせてしまい私たちは、
しばしオナラ臭を鎮めるために、そこかしこの窓を開け、夜の珍客騒々の後始末。

Qちゃんとは、こんな風にたくさんの時間を共にしてきましたが、
あれだけ飛び跳ねて高所登りを得意とした彼女の仕草は、近頃は悉く失敗を重ね、
高所の高さもだんだん低くなってきている。
それでも失敗する時があり、そのたびに私は、
Qちゃんの心に負うだろう痛みを切なく感じている。
ずーっと寝ていることも多くなってきているが、
私が外出から帰ってくれば玄関に迎えてくれ、友人たちが来れば、
挨拶かたがた顔見世をして何やらおしゃべりをして静かにそばにいてくれるのである。

あとどれくらい一緒に生き合えるのかわからないけど、
やはりお互いに癒しあって優しく生きていこうねと、
ぎゅっと抱きしめて確認しているこの頃なのです。

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駅のホームは「欄干のない橋」の危険

いよいよパラリンピックが開催されますが、
彼らは、自身の身体上の障害を乗り越え障害者というその表現に
縛られてしまいやすい自己確立から解放されて、
社会に人として生きる共存者として自由な自己確立を築き上げて、
逞しく明るく、私たちに感動を与えてくれる存在になっている。
まもなく、リオでの戦いを思う存分に私たちに見せて魅せて観せてくれる。
期待したい。

遅まきながらの話題ではあるが、8月15日、視覚障碍者のホーム転落事故で、
盲導犬を連れた男性が線路に転落して死亡したという痛ましいニュースが流れた。
1994年以降、視覚障碍者のホームからの転落事故による死亡、
または重症を負った人は、47人にのぼるという。
実際、視覚障碍者でなくとも、駅のホームは、欄干のない橋として危険なのだ。
近年、駅のホームには、ホームドアが設置されてきている。
費用の関係上、まだ全体の3割程度らしく、
全てに設置されるには長い時間が掛るという。

それにしても目の不自由な人にとって、ホームがどれほど怖い場所なのか?
私は、看護学校時代の実習で、目隠しをして杖をもって、
車道に面した歩道やら、駅のホーム(視覚障碍者用に設けられた黄線、白線に沿って)
を仲間の学生に介添えしてもらっての歩行体験をしたが、
歩道路ですらおぼつかなくて足が竦み、ましてや駅の構内、
ホームとなると、恐怖の想像逞しく動けなかったのを覚えている。

視覚障害の方々は、音に敏感で手先に伝わる杖の感触の察知は鋭い。
であっても駅は構造が複雑で騒音もすごく、勘所は油断ならず、
近辺を察知しかねてしまうという。

筝曲家で盲目の宮城道雄氏(彼は夜汽車内での移動時、誤って転落死された)は、
こんなことばを残している。
『自分の歩くところは、狭いが、耳や心に感じる天地は広い。』
この言葉を紹介された解説者曰く。
少しの想像力が、人の安心して歩けるところを広げていくことができる。と)、
極めて明るい光ある温かい解説だ。
目の不自由な人にとって、ホームがどれだけ怖い場所か?少しの想像を働かせよう!
障碍者、例えば、視力が無い(もしくは光を感知することができる程度)の方々は、
日常的に五感神経を研ぎ澄ませながら感知能力を高めていらっしゃる。
そしてやがて彼らの能力に沿う生活スタイルを作り上げて、
自分らしさをしっかり主張できる生活手段を獲得しているのだ。
障碍者が普通にアイデンティティーを持つのだ。
「咲かなかったら枯れる」「咲かなかったら 咲かない花になる」(中略)
自分が、どんな考えで、どの立場で、できるのか?
できることをしようと思わない限り花は咲かない。
…自分の花を咲かそうと思えば、どんなにつらくても咲く力がある。

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ノンちゃんのリオ;オリンピック考

リオ;オリンピックは終盤戦の熱気さながら、
あっという間に8月22日の閉幕セレモニーとなった。
日本は史上最多のメダル数を獲得し、2020年東京オリンピックに
幸先よく繋ぐことができたとは、誰しもが認めるところで、やはりうれしい。
初の女性東京都知事の会見、メッセージ、日本の存在感、固有のおもてなし感が、
南国の陽気さと華やかさにマッチングして
好感が持てたのではないかと、ノンちゃんは思う。

いつのニュースを見ても、メダル獲得数が報じられ、
何かしら戦利品の金銀宝石品をかき集めて喜んでいるような感じにもなって、
ちょっと静かにしてほしいとも思ったが、各選手にとっては、それが命の戦いをした証。
凄まじいパワーを発揮されたわけですが日本の威信をかけた活力・実力を
世界に鼓舞すべく責務を担った重責に、素直に応援よろしく喜ぶべきとは思う。

新人選手、ベテラン選手共々に、インタビューでのコメントが、やっぱり凄い!
日頃の練習の積み重ねの結果を出したアスリートの
篤い抱負の語りの裏には、壮絶なドラマがある。
切磋琢磨する日々の練習、訓練、新技開発への努力や精神力、
常に怪我や病気に見舞われる負荷を乗り越え、必ずや目指すは“金”。
柔道に至っては、メダルではなく”金“なのだ。
違和感を感じることもあるが、そこは、素直に了解しておこう。

オリンピックは閉幕し、引き続きパラリンピックが始まる。
身体の障害を持つ彼等のアスリート性(力)には、何を語らん!先ずは脱帽だよね。
スポーツにより人間性が磨かれ、
究極の技能に高められ成長し続けるあの機動性は、芸術的であって感動を呼ぶ。
打ちひしがれた(必ずしも適切な表現でないかもしれないが)
谷間に落ち込んだ暗闇をさまよい、前に前に歩みを進めながら、
生きる道しるべとなる希望の閃きに支えられ、勇気あるわが道を開いていく。
この道程に、ノンちゃんはただ立ちすくみ、私にはできない…と、
怖気づいてしまう始末。
応援しよう!!
日頃、私たちが向き合いきれずに知らないままに見逃している領域に
こんな時こそ、しっかり目を向けて、応援していこう!!

しかしまあ、リオ;オリンピックの日本勢の活躍は、
ほとんどすべての種目において、見ごたえがあり、
深夜の観戦は寝不足を招く。
翌日の不眠ボケがシンドクテ堪らない。
お勤めの人はそういうわけにはいかないだろうけど、
好きなスポーツならば目が離せなく観戦してしまうよね。
(翌日の仕事は、きちんとしろよ!って、言っとくべきか?)

皆さんは、好きなスポーツは何ですか?
ま、特定しなくても、つい引き込まれて見てしまうってところが、
オリンピックの魔性性かな?

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残暑お見舞い申し上げます。

久しぶりのブログ更新です。
7月半ば過ぎより、夏風邪に罹り、徐々熱→高熱の経過をたどるという一途に免疫力低下、
ダウン(動くに動けず、近医に受診も儘ならず状態)。
相当に堪えましたね。参りました~ぁ!!

体力ダウンベースを何とか取り戻そうと思っても、
この暑さに果敢に挑戦する力など湧いてくるはずもなく、
お医者の薬と日にち薬でようやく乗り切って……?!
(高齢に猛暑は酷というもの。しかし身体力というか免疫力を蓄えていれば、
80歳でも水泳、登山、フラダンス等々している方が結構多いのですからね。
気弱じゃダメ! モリモリ食べて! 普通に無理しない!で、この夏乗り切ろう!!)

今日から残暑という季節の味わいは如何なものでしょうか?
大暑から約15日後(8月8日ごろ~の15日間)、
特にその初日をさすという今年は、8月7日がその日にあたるという。
暦の上では秋の始まりということですが、
毎年この時をもって秋の気配というものは感じたことはないですね。
暑さがピークの真っ最中では、怠惰モードになっている体の置きようはどうしようもなく、
さっぱり精神的には暑さ負けしてしまっているのだよね~。

まだまだセミの鳴き声衰えず、秋の気配を感じ取るゆとり、風情はないよね~。
でも、暦の習わしに従って私たちの生活の場に知らしめる立秋を、とりあえず受け止めて
世の中見渡せば、なんとなんと!リオオリンピック戦いの幕が開き、速報が入ってくる。

イチロウ(呼びつけで失礼)の史上最速3000本安打達成。
待望の一報とイチロウのコメント。
彼は、単に記録を積んでいくのではなく、人間性を磨いてきているのだ。
私たちに語る言葉の一つ一つに、人の胸に響く力みない語りがある。
冷静すぎるのだが…、嫌みにならず、陽気なはしゃぎにホッとさせられたり、かわいいとこある男。
ベンチでそっと涙をぬぐうイチロウ
「僕が何かすることによって、僕以外の人が喜んでくれることが、
今の僕にとって何より大切なことだと再確認した」
(一郎の記者会見、こんな言葉の裏にしっかり自分のモチベーションを保ち続け、
次なる挑戦への一歩にしているんだなあ…すごい!!)

話変わって、これもまた凄い「体操団体金メダル」。
それぞれが皆、最高の演技で終えることができたのだから最高。
予選演技では団体4位のスタート。
あり得ぬことがおこったのだが、終盤見事な演技で金奪取。

ノンちゃんも、その昔、器械体操をしていたンだ!!実力は並べて語れぬ天と地の差。
さあ!みなさん!!まだまだ続くこの残暑・猛暑を突破して行こうよね。

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パセリの森

お店でお食事をすると、色映えがするためか、
よくお皿に乗せられているあのパセリ!
一見、親しみにくい野菜というか、目につくものの単なる添え物じゃないか?
ウザい野菜という斜め目線でほとんど返品されている。
ところが、舐めるんじゃあないよ!
あの独特の香・苦みは、アピオールなどの精油細分で、
腸内の悪玉菌を退治し、また食欲増進につながる。
ってなわけで、食中毒予防の働きに注目して
料理に添えられるようになったという謂れがあるのですから。
(もしかしたら料理士さん達、このパセリ様の効用を知らねえんだな?
勿体ないことするねえ。って鼻で笑っているかも…)

パセリには2種類あって、日本ではあの縮れ葉のカーリーパセリが生産されているけれど、
ちょっと硬い目の葉で苦味感が強いから馴染めないのかもね。
(あぁ!勿体ない。世界的ポピュラー野菜というに…。断然!栄養豊富なんだぞ!!)
私は、そのままでも食べられるくらい。あの苦みが好きですよ。
料理に使える分野は案外簡単で、なんにでもどうにでもって感じですね。

女性の方々には特に、どうぞ敬遠しないで優しく胃袋に納めてあげていただきたい。
代表的な栄養素は、皮膚・粘膜の健康維持、免疫力を高めるβカロチン、
カルシウムを骨に定着させてくれるビタミンK、強い抗酸化作用のあるビタミンE、
貧血予防の鉄分やカリウム、風邪予防のビタミンCなど、
栄養価は緑黄色野菜の中でトップクラス。
特に、ビタミンE、Cや鉄分の含有量は、半端じゃない。これホント。
生活習慣病の主な原因の一つが、活性化酸素による血管や細胞の酸化と言われていますよね。
βカロチンは、酸化を防いで血管生命を維持してくれ、動脈硬化を予防してくれると
考えられている。兎に角、パセリの抗酸化力は注目度が高い。

どうです?
パセリは添え物ていどの認識をお持ちの方々!
目から鱗のニュースではないかしら?

さて「パセリの森」のお話は私の友人から届けられた、暑さからの開放、癒しの優しい話。
今、関西(甲南大学)で展示されている「カンボジアの孤児たちの絵や工作品」。
友人の彼は、そこを訪れて作品鑑賞したらしい。
作品の一つに目をとめたのが、小さな画用紙いっぱいに緑色で描かれた「森」。
カンボジアの孤児が描いたもので、紹介してくださった。
緑の青々とした色具合は、何とも言えず生き生きとしていて、画面いっぱいなのだ。
孤児たちの生命力、希望、夢が、まるで見ているほうに
降り注いでくるような作品にびっくりしたのですが、
私の頭は、なぜか「パセリの森」のようだとのインスピ。
これがのんちゃんの「OH!ファンタジック!」な世界観。豊かな生命力に乾杯!!

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広島カープ戦の中継が30%越えの視聴率らしいね!

広島カープってヤツは…。ホント好くやるんだから…。
とにかく注目の集まる好ましいニュースが続いている。
28日には、22年ぶりの10連勝、29日には32年ぶりの11連勝、そして
黒田投手の日米通算199勝、この他、阪神を離れた新井兄が打ちまくっているし
他の若手選手も得点を稼いでいる。で、当然のことながら首位独走。

今年の広島、見どころが多いのだ。
昨年と比べ、選手層が厚くなったということらしい。
だからこそって言えるんだろうね。この高視聴率。
28日から30日にかけての視聴率は30%越えというから、すごい!!

元投手の石井さんが、野球ニュース解説をしていて面白いクイズを出していた。
1万円を持っている人と、千円を持っている人、どちらが無駄遣いするか? と。
解説は以下の通り。

一万円は、先発投手のもの。先発投手は120球を使いながら試合を進めていく。
千円は、中継ぎ投手のもの。中継投手は20球しか持っていない。この20球を
無駄にしないように配球を考えコントロールして投げる。
中継で投手の出番をつないでいくこと自体が、
大きな訓練のたまものとなって実力を蓄えやがて、立派な投手になると。

一理ある名解答と思う。彼が考えたのか、球界での諺なのか?
石井さんのトークは、いつも面白い。
間が抜けているようで、的を得た発信をする。

慌てず、どんな場にあっても、自分であることを示している。
まじめに真摯に野球と向き合い、選手たちを丁寧に見守っているように思われる。

私はこのごろ、自分が何のために、何をしようとしているのか…?
そのことが分からなくなってきているように思えて、日々引き締まらない。
なんとなく楽しくはあるけれど、心意気は力強くはないなぁ。

頑張れよ!ノンちゃん。魂を込めて、自分であること!

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ちょっと共鳴してしまったかな!

石原慎太郎氏は、83歳。
TVのバラエティー番組でお目にかかったのだが、
大分、好々爺風貌感ありの人物になってきたなと、つぶやいていたら、
彼氏曰く「この年になってくると、いつ死んでしまうのか?
まもなく死ぬんだろう…毎日考えている。
若いころは、どれくらい生きるんだろうと、死は身近ではなく遠いものだった」
概ねこんなことを吐露されていた。
司会者から「石原さんは長生きしますよ」と応援されると、
「そうだな、憎まれ者になって生きるわ」と、
まだまだへこたれない気概を持っているようだ。

ほんの数秒間の会話というか吐露した場面に足を踏みとどまらせたわけで、
「おやっ?石原氏も普通にそういうことを感じる人物なのか?」
遠い存在が身近に感じた瞬間だったかな?
私も年のことはあまり気にしないとはいえ、
「死ぬこと」の意識は、身近なものになってきているように思う。
その思いが頭を過ろうとしたとき、ハテ?私の生命が死を迎えた時、
私が息子に伝えることは何だ?伝えてきたことは何だ?

もしかして何もない?何も伝えてこなかった?
彼との生活時間のどれもこれもが愛おしいというのに。
神様からの恵みをいただいたと思っているわけでして、すくすく育てよと、
心身ともに息子の成長に思いを注いできたものだ。

息子は、水の中の小さな(大きな)生命、畑に育つ作物の生命、
家屋に飼う犬猫や動物園に生きる生命の連鎖というか自然の摂理というか
共生し合う営みに思いを乗せ、生命を生きる哲学を育ませてきたように思う。
祖母(私の母)が、息子との時間の流れを
そのように伝え繋いでいってくれたと感謝している。

死の意識を身近なところに置くようになってきているのを感じながら、
あらためて息子の存在を考えてしまったのは、
最近、息子が独立したからなのだが、息子が独立したといっても
今までの離れ離れ生活の形が変わったわけではない。
私の生活は全く変わっていない。だのに…こりゃなんだ?
一種の喪失感というのかな、身の回りのどこかの部分の
ロス体験を感じてしまったというのかな?
なんとなく寂しさが漂っていて感情が落ち着かなくなっている状況です。
さ~て、ここから私の老い永らえて生きる生活の仕切り直しかしら?

ノンちゃんは、元気を出して楽しく明るく…なんで~す。

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“たかが金平糖されど金平糖”の奥深さ!!

大阪で作られている金平糖ってご存知でした?
そりゃあまあ日本古来?の和菓子だからねえ。あるにはあるはずよね?
だけど、どこでどのように作られているのかしらン?
それはね、大阪は八尾市に金平糖工場があるンですって!!驚きでしょ?

私は時々京都に行けば京菓子店に立ち寄るんだけど、
そこでは必ず金平糖が並んでるからてっきり京都のお手の物菓子かと思っていましたね。
なにしろ可愛らしく小さな袋(小箱)に納まっていて、どうか私たちを買ってください、
美味しくって踊りだしますよ。なんてね、賑やかに愛嬌を発信しているんですよね。

チャイコフスキーの“くるみ割り人形”のなかで金平糖の精の踊りは、
万華鏡のように展開して楽しめる。音楽もまたコケティッシュで楽しい。
金平糖って世界的なグローバルなお菓子なんだ。さてどうなんだろう?
私の受け売り豆知識でご紹介しますれば、こうなんです。
「KONPEITOU」ってポルトガル語が語源らしい。
16世紀半ばにポルトガル人が持ち込んだ「南蛮渡来」=Confeito砂糖菓子。
私が、「Konpeitou」ってローマ字で書きましたが、
実際の語感は柔らかく、まさに金平糖の食感というべきか?
小さなお菓子にも、由来からして歴史や文化がちゃんとあって、
日本古来のお菓子ではないにしても大衆に支持され、時代背景も共通している。
常に闘い(戦争)の背景が世の中の物資源を貧しくしていて、
疲れを癒す「甘き味」の資源が乏しい時代ではなかったろうか。
僅かに優しい砂糖の甘さ、小さな飴、口に入れれば柔らかく溶け、まさに心は躍る。

それにしても、あの金平糖のイガイガ角はどうして作られるのか?
かつてTVで、金平糖のできるまでの特集が放映されていてみたことがあるのですが、
詳細はほとんど忘れていてぼんやり説明のつけようのない映像がのこっている。
しかしまあ、あんなに小さな角角の技術力というか、職人の技に驚いてしまう。
近代化した工場の中で、機械が大量生産してくれるというが、
それ[機械化]を考案したのが、大阪人なのだと。
特許を買い取り量産を始めたのも大阪人の商売魂(??)ながら
金平糖に魅せられ、金平糖のできる過程の苦労(繊細な手間)、
角が成長していく面白さは夢を奏でているようで、
これが手放しがたき金平糖作りの低力になっているのでしょうか。

日本の金平糖に込められた魂、それは剥きつけてくる主張ではなく、やわらかき色4色。
日本の四季を表しているそうな。
ピンク=さくら、黄緑=青葉、黄色=もみじ、白=雪
と説明を受ければ、改めて愛おしき金平糖ではないでしょうか?

「育てる」ことは、人知れぬ長き苦難を伴い捨てきれぬ夢・願いに支えられて、
愛おしき魂が込められながら世に送り出すこと。
その先には、人々に喜ばれ愛される連鎖が生まれ、歴史を作り、
小(大)宇宙を創っていくことにもなって地球の再生力がなされていくのでは?

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最近の女子スポーツ

最近の女子スポーツは、何故こんなにも強さを発揮しているのだろうか?
様ざまなジャンルで日本女子の活躍なのです。
特に目立つのは、アマチュアスポーツが強く、
プロよりもハングリー精神が出る傾向にあるという(良いことだと思う)。
が、しかしまあ、若い世代の女子は、世界に向かっての成績快挙が著しく、
試合への気迫、特に向き合い方の強さ(負けない。呑み込まれない。競技を楽しむ。など)
優勝という名誉への飽くなき闘いに堂々としている。(全く持って敵わないなあ)。
負け惜しみではないが、彼女たち、人知れず呪文を懸けてプレッシャーを退けている。
(に違いないと思っているのだが)。

少子高齢化した日本は、若い世代の人口減少が著しいから、
当然、スポーツ人口の減少は避けられない。
ましてや女子の場合、多くのプレッシャーとストレス
(想像もつかないが)要因がつきまとうはず。
1億総活躍を掲げ、女性の社会進出を華々しく鼓舞している昨今だが、
女子スポーツの場合、世界に向かっては、スポーツ人口が少ない?
故に、ジャンルも少ないのだろうと思うし、活躍年齢の限界、
結婚・出産・子育て等による中断(引退)等々があるんだよね。

一時期、柔道、ソフトボール、サッカー、レスリング(これはまだ今も続いているが)
バレーなど、著しい活躍で世界を相手に闘ったあの感動は、私たちの記憶に刻まれている。
しかしここ最近、フィギュアスケート、ジャンプ、卓球(ダブルス、シングル)、
バドミントン(ダブルス、シングル)などの朗報(圧倒的な強さ)が続いている。
まさにアメイジング!!

女子スポーツの歴史はまだ短いのではあるけれど、されど奥の深さや重厚さ、
そのエネルギーは、私たちに感動を与えてくれ、幸せ感をもたらす驚きに勇気を与えられる。
彼女たちの好成績への努力は、簡単に計り知れるものではない。
私たちの目に触れることなく、彼女たちのすさまじい努力を押し付けてくることもなく、
世界に向かって輝かしい成績を上げることで私たちの注目を集め、
コメントの端々から伝わるスポーツへの愛は、私たちの魂に触れてくるんですよね。
(参っちゃうね。素直にリスペクト感が高められてしまってね。)

女性の社会的活躍が期待され、否、私たち女性が社会進出に逞しく挑戦するには
(決して力まなくて良い)、プレッシャーやストレス要因に阻まれ悩むこと多いが、
後ずさりせず、知恵とエネルギーに換えて、小言にしないで堂々と向かっていきたいものですね。

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交通災難が重なると…

12日(土)、13日(日)の2日間、京都での研修会に参加した時の出来事。
前日11日から、ハワイの友人が我が家に滞在。
その友人とは親しく、会えばテンションアップして笑いが絶えない。
太陽・水・土・風・電気(エネルギー)全てが、我が家が織りなすというか
我が家に関わる生活の生命線の意識でもっての会話。
非日常性が、会話のエネルギーアップ(パワーアップというかな?)へと繋がり繋がっていくのだ。
この友人とのひと時は私を活性化させてくれるのだが、
彼女とは30歳余のジェネレーションギャップ(世代差平均期間は30歳)なのだが、
そんなの関係ない!気に障ることはなくリフレッシュの幸福感に包まれる。

余談ながら、日頃からワークステーションで私より若い、営業マン、コーディネーター、
登録スタッフの皆さま達と、しっかりお会いして時間を共有することが多い。
強がっていうと、実は時々には、合わせがたき、
同意しがたき、驚きの反発を持つことだってあるけれど
嫌悪の感情や問題視すべきマイナスパワーに発展することは無い。
そのように、お若い皆さんから育てていただいているように思える。

さて、ハワイの友人を関西空港に迎えて、我が家に辿る交通ルートの選択だが、
2年前に車を手放しているため電車でお迎え。
地下鉄で難波→南海電車快速で関空へのコースが一番安く我が家からの所要時間は約1時間。
帰りコースはこの逆で行ったのだが、安値で込みあうこともなく渋滞もなく
スムースな移動ができたので、友人からは大いに褒められた。
こりゃあ、ワークS.での働きから得た身のかわし術と感謝すべきかな?

さて、話を本題に戻してみれば、トホホな話。
12日研修を修了して、会場で合流した京都の友人と足早に会場を出たまでは良かった。
私は友人の帰路に添い、雑談を交わしながら地下鉄駅に向っていたところ、
あるバス停に差し掛かるや、京都駅行バスが真近に留まったため、
その友人は「ノンちゃん丁度良かった、京都駅バスが来たよ」と。
その声の忙しさに捕らわれて、言われるままにバスに乗ったのだ。
ところが普通、20分以内で行ける復路が交通渋滞で1時間余りも掛った上に、
京都駅では即、新快速に乗れたものの、いつまでたっても出発しない。
ようやくのアナウンスで「桂川あたりで、線路内に人が立ち入っているため云々…」のご案内。
ようやく約30分~40分後に出発となった次第。
あ~っД◆★Й お疲れ様ぁ~!そのままお休みなさあ~い!ムム…ムム~。
ところで翌日の京都行。2日目の研修は朝早く、
友人のメール指示に従って京都駅206番バスに乗車。
10分後には着くはずの駅名は表示されず、41番目に表示されるという災難。
なんと1時間を要して会場にたどり着いた次第。
2日続きの災難物語に同情ありや?

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