わが家の猫ちゃん(人呼んで、Qちゃん)は、かれこれ16歳の高齢猫。
とはいえ、近年の家飼い犬猫たちは、20年前後の寿命を全うするという、
大往生の犬猫物語が多く聞かれる。だから、わが家の猫を飛び切り、
「高齢猫」と自慢するわけにはいかないが、このQちゃんのおかげで、
わが家はどれだけ癒され、助けられてきたことか……。
大いなる感謝あるのみ。
ところで16年を生きてきた猫ちゃんの心根はどんなものだろうか?
三毛猫美人というこの猫ちゃん。
容姿端麗(飼い主が自画自賛してもしょうがないが)、
スマートで艶な猫。賢くて、人と会話する(会話できる)というわけ。
彼女がわが家に来たときは、その3~4カ月前に雌の雉猫が先入りしていて、
それがどうも気にくわない三毛。雉が近づくとファ~ッ!
と息を噴き上げて威嚇して2階への階段を駆け上がる。
階下の私たちがどれだけ呼び寄せても一向に来ようとはせず、
しばらくというか静かに目と耳を凝らして中階段のところで見つめているのである。
そのいでたちは、まるで豹のような鋭い眼差しにスラーっとした姿態。
もうぞっこん惚れ惚れしましたね。
そのうち私が、中階段まで迎えに行こうとすれば、
ササーッと上階段を駆け上がって、素直じゃない。近寄ってこないのだ。
ところが、雉猫が2年後に病死した際には、弱っている雉ちゃんのところに寄ってきて
鼻を摺り寄せてからだを舐めてやったりして、ちょっと不思議な行動をしていたりしてね。
雉猫が亡くなって2~3日後には、Qちゃんは私たちに、
頭突きしてきたり猫なで声で何やらおしゃべりをしてき始めましたね。
それ以降、この家の主は私ってな風情で向こう三軒両隣の庭庭を悠々自適の闊歩。
夫々の猫には猫の得意技、仕草があるのは、もう皆さんご存知かと思うが、
Qちゃんは、時に舌出し猫の幸せ、日向ぼっこの幸せ、木登りの幸せ、
木の上の昼寝の幸せ、人気スポットの主人的な幸せ、
動くものすべて(小鳥やネズミ、ヤモリなど)獲物取りの幸せ、
をおう歌するといった自由猫になりました。
ある夜半、階下でドタドタバタバタのけたたましい物音に、猫も私も飛び起きた!!
そぞろそぞろに階下に降りてみたら、トイレ方向に物音しかり。
入口ドアが開いていたから、人間が忍び込んでいないのは確か。
でも大きな狸の類でもない。Qちゃんがそぞろに忍び寄って
獲物めがけてとびかかろうとしたその瞬間、
2~30cmほどの茶色物体がササッと素早く走り出てきたが、
私はギャッと固まってQちゃんを見ると、
Qちゃん目をしばしばシバかせてぐるぐる回っている。
と見るや、なんとまあオナラ臭いが充満しているじゃありませんか。
イタチはそのまま逃げおおせてしまい私たちは、
しばしオナラ臭を鎮めるために、そこかしこの窓を開け、夜の珍客騒々の後始末。
Qちゃんとは、こんな風にたくさんの時間を共にしてきましたが、
あれだけ飛び跳ねて高所登りを得意とした彼女の仕草は、近頃は悉く失敗を重ね、
高所の高さもだんだん低くなってきている。
それでも失敗する時があり、そのたびに私は、
Qちゃんの心に負うだろう痛みを切なく感じている。
ずーっと寝ていることも多くなってきているが、
私が外出から帰ってくれば玄関に迎えてくれ、友人たちが来れば、
挨拶かたがた顔見世をして何やらおしゃべりをして静かにそばにいてくれるのである。
あとどれくらい一緒に生き合えるのかわからないけど、
やはりお互いに癒しあって優しく生きていこうねと、
ぎゅっと抱きしめて確認しているこの頃なのです。