1月17日、阪神大震災発生から18年を迎え、当時の記憶が呼び起こされました。
まだまだ、深い傷から一歩を踏み出せないでいる方々が多い現実があります。
それでも少しずつ閉ざしていた口を開いて私たちに語りかけてくださる方々もおられ、
悲しみからの開放への一歩を踏み出してもいらっしゃいます。
大災害の被災を蒙った方々への思いを新たにしたいものです。
さて、改革・挑戦・研究…これらの言葉にかかる発想の根源はいかに??
医療・介護の分野をながめると、どんな思想が構築されてくるのだろうか?
私はとにかく研究・考案する人たちの感知力とか発想力とかに参ってしまう。
それらは私には到底できっこない発想ではあり、うらめしくもある。
何でそんな夢が描けるの?
日常生活の営みに不思議を凝縮した観察の目を凝らし、
テーマ(主題)に思いを馳せれば、夢とか発想への具現化を試みるという
飽くなき努力と挑戦と忍耐を重ねていく力がでてくるのだろう。
発想の根源が、形となって一世を風靡して(公表されて)
初めて「意外性」に気づかされ、驚かされ、恐れ入って喜びが創出される。
まさに、医療・介護の世界では、誰もがその生命維持の過程に、
痛みや苦痛、不自由さを伴っている。
そこに発想の根源があり、誰もが使いやすい
「モノ」や「サービス」を考え、喜びを創出しようと挑戦する。
例えば、痛くない注射、血管を縫い合わせる技術、四肢の筋肉麻痺を支える部分ロボ、
補聴器、iPS幹細胞の多角的対応など、もっとたくさんありますよね。
(一度ちゃんと調べてみますね)
これらは、痛みや苦痛、不自由さへの発想は、そこからの解放であり、
「モノ」「サービス」からの必然的な生命維持の思想であり、
大いなる希望の夢(福音)となっている。
かた~いお話になってしまいましたが、私たちの医療・介護の世界は、
感知力と観察力から可能性を導き出せるし、
そこには得も知れぬ希望の夢があるってことなので~す。