初夏の植物園

6月30日、緑地公園で、
植物園の摘み菜教室「摘み菜を家庭料理にいかしましょう」
という講習会があった。

整理整頓された植物園にも、雑草ありというのは別に可笑しいことではないけれど、
手をかけて植えられた植物と雑草が競演する形で、
27種類もの野菜となる原種の植物が摘み分けられて揃っている。

エッ?この花も食べれるの?ッて驚いた植物には、
葉鶏頭、ぎぼし、マリーゴールド、露草、くちなしの花などがあり、
その他雑草(と言っていいのやら?)なども用意されていて、
クッキングの楽しみが倍増した。

摘み菜料理の意義を問えば、四季の変化を楽しめ、
水の豊富な日本古来から伝えられてきた食文化であり、
無農薬有機野菜ともいえるわけで、
ビタミンやミネラルが多く栄養素も含まれている薬食同源という代物である。

毒の含まれる植物も顔を並べているわけで、
これらは古代の人々が導き出した知恵モノであるが、
よほど毒々しい色合いとか堅物でないと見分けにくいものではある。
ようするに、数多ある食用植物の善し悪しに見慣れていないのである。

講習を受けるからこそ、漸くの思いで分別できるが、
素人から玄人になるには、好奇心と時間とマメさが必要らしい。

さて、4グループ(1グループ4~5人)に分かれてそれぞれ1種類の料理に挑戦したが、
私は、7種類の植物を細かく刻みフライパンで25分間、弱火で乾燥しお茶を作った。
他のグループでは、露草による蕨もち、ぎぼしやどくだみ、
他の摘み菜を湯がき灰汁だしして薄味仕上げしたものを、
ちくわ穴に詰め込み3種のちくわ詰めを作ったり、
月見草やぎぼしの花、ヤブカンゾー、いたどりの塩漬けなどで鶏がらスープを作ったり、
雑草(蓬や他の)とちりめん雑魚のゴマ油炒め(ご飯のお供)などに挑戦して、
とても美味しく作り上げることができたのです。

食は人を和ませるというように、見知らぬ参加者同士は瞬く間に、
親しく交わりあい楽しい人ときを分かち合いました。
講師の先生がおっしゃったように、
「摘み菜は自然との助け合い。丸ごと命をいただいていると言う感謝の気持ちを忘れずに」
が、蘇えった時間でした。

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目標なく生きる!!ちょっときつ~い癒し言葉

6月はノンちゃんの誕生月。

歳を重ねることの意味について、こんな機会には、
じーっと落ち着いて思考するという持久力が半減しているこの頃。

独身の息子からは「おめでとう。いつまでも元気でいてな」のTEL受けるも
このあっさりした優しさに、高齢になりゆくわが胸内は、ホロッとさせられる。

友人から、お祝いの食事を誘われて
「年齢を加えながら、そのことを意識して生きるとき、
何が奮起させられる力になっているのか?」と、
話は日頃の健康状態の確認から始まり、否否、負けちゃあだめ!弱気はだめ!
なんてシュプレキコールでこぶしを上げてみるが・・・。

一つ一つの所作に老いを感じることの多くなった昨今、
「フィジカルな成長」って認識は持つべきだろうか。

早々とくたばっちゃ~いけないよ! ってのはお互い同世代のかけことばではあるけれど、
老いの形、老いの内容は一様ではなく、人それぞれさまざまで、
元気印のパワーがフル回転していると、
わが身の「老い」に馴染めなく口幅ったい語感になる。

それでも確かに一つ一つの行動は、これまでの人生の過ごし方によって大きく異なり、
一老人の個性として認識されていくのだろう。

6月9日付、時代の風(毎日新聞)に、京都大教授の山極寿一先生が投稿されていた。

かなり意訳すれば、
人類が言葉を獲得し、この言葉によって過去の経験が
生かされるようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。
しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけいるのではない。
青年や壮年とは違う時間を生きる姿が、
社会に大きなインパクトを与えることにこそ大きな価値があると。
そして、老人たちはただ存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか、と問う。

目標なく生きる重要性の問いかけに納得!ながらも、
目標を持たない、存在だけで価値ある生き方に確信が持てない
ミストな不安を感じているノンちゃんではある。

梅雨とは名ばかりの渇水・猛暑からの涼呼ぶ話題が、
このようなつぶやきになってしまいました。
今でなきゃだめなの?ミストなつぶやきでした。

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そりゃそうでしょう!世界最高の気分!!

80歳三浦さん!やりましたねえ!
23日午前9時すぎ、エベレスト山頂に立つ雄々しい三浦さんの写真が配信された。
彼の一声(もしかしたら二声三声?)を聞いてみよう!

「これ以上ないくらい疲れている。ヒマラヤの景色が眼下に見える。大変美しい」

史上最高齢で果たした記録(2008年ネパール人男性が76歳で成功した最高記録)は、
24日のYahoo朝ニュースでは81歳の登頂成功の報が流れていたが、それはもうどうでもいい。

生きる力の神々しいみなぎり(こんな表現あったかな?)を感じる感動をいただいた。
彼は、76歳の時、スキー場の事故で大腿骨や骨盤を骨折している。
高齢でのこのようなアクシデントは、
健康回復させるまでには並々ならぬリハビリの克服力がものを言う。
しかも持病の心臓病(不整脈もあり)、今年2回心臓手術を受けているのだ。

何が彼をそのように突き動かしていくのか?
彼には、70歳、75歳、80歳のエヴェレスト登頂の夢があり、目標を設定して行動を起こした。
まさに"Make Happy"への凄まじい挑戦があり可能性を信じている。
アンチエイジングの至福でしょう。

平凡に日常を過ごしている私は、
苦労を労しないよう生きるという加齢への挑戦を決め込んでいる。
楽しくめげずに挫けずにをモットーとしている
(この大きな違いは、夢の持ち方によるものなのか?飽くなき食への思いなのか?)

三浦さんは、心臓が悪くても高齢であっても、肉が大好きでよく食べるらしい。
肉食系の山男なのだ。
三浦さんの生への道は、活動に適う食であり食べたいものを楽しく食べるを全うし、
活動のエネルギーを生みだすことなのかもしれない。

考えてみれば、この世で食べられる食物に悪いものはないはずで、
農薬が繋っているかいないかを問えばいいこと。
バランス感(食センス)あれば、腹八分目とか肉の食べすぎはいけないなど、
一律に線を引いたことを云う必要はないのでしょう。

ともかくも、偉大な80歳に乾杯!完敗!されど乾杯!なのです。

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虫の羽色

突然ですが、ゴキブリ色って好きですか?

人は皆、健康で安心して幸せに生きたいと、生への謳歌を願うもの。

では、動物や昆虫たちはどんな思いで生きているのだろうか?
そのような思考は巡らさないまでも、
これら生き物たちの世界でも「幸せ」を問う生命体として存在するのだろうか?
(否否、そんな風に考えなくても生命体へのおもんばかりをする必要はあるでしょう)

皆さんは忌み嫌われる動物を挙げるならば、どんな動物がありますか?
ゴキブリ、ねずみ、ダニ、蛇、寄生虫などこのあたりは、結構共通認識領域だろうか…。

ところで、今年は巳年ゆえ、
あちこちの店先や家の玄関に「巳さま」の像が飾られていて、
結構見比べてみるのも面白いものだ。

嫌われないように目をくりんとさせて可愛らしげに笑っている蛇さま、
伸びやかに白い繊細な肢体に花飾りをした掛け軸の蛇さま、
蛇のごとき鋭い構えの蛇さま、などなど、
流石といおうか、それほどリアルな表現しているのは少ないけれど…。

へびを嫌いという人は多いけれど、
蛇を美しき生き物として体に巻きつけたり触ったり、
ペットとして飼ったりしている人もいる。

でもどうだろう?
ゴキブリ、ねずみ、ダニって類の生き物は、
どちらかといえば積極的に殺されもする。
むごいことだが、同情は少ない。

今日は何て事を書き始めてしまったんだろう。
今日は、ゴキブリの羽色がとても美しく魅せられると表明してやまない知人が居て、
ゴキブリ色(濃茶色?)にこだわりを持って、
限りなく透明なゴキブリ羽の濃茶色のベッドを捜し求めていて、
どうもその話に影響を受けたらしい・・・。

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世の中で一番美しいことは・・・

私の所属するワークステーション メディカル人材事業部の部長が、
新年度の事業部内会議で、福沢諭吉遺訓への心情を表されました。

7つの遺訓を人生のそして事業部運営の教訓として心に留めておきたいと。

①世の中で一番「楽しく立派なこと」は、一生涯を貫く仕事を持つことです。

そして私たちもまた、スタッフ・クライアントの皆さんへの案内人として
その人の生涯にかかわる仕事を紹介していければと、
誇りを持って仕事したいと思います。

少し硬いお話を持ってきましたが、皆様にお伝えしておきたかったのと、
7つの遺訓全部のご紹介は控えますが、

⑥世の中で一番「美しいこと」は、すべての物に愛情を持つことです。

というのがあります。

その言葉から、私はふっと思うことがありました。
人に逢って話をする間中、
何度もはじけるようなえがおにあうことがあります。

そう、その場のすべてを明るく包み込む
スマイルエネルギーが充満しているのを感じて、
とても気持ちの良い時間・空間なのです。

その様な空気に包まれながら
「私も同じように、こんなにきれいなはじける笑顔なのだろうか?」
と思いをめぐらせますが、流れゆく時間は惜しみなく、
大切にしたい時間と心得ることができます。

お互い一人の人間とし認め合う距離感というか、決して馴れ合うものではない、
かかわりあう人へのリスペクト(敬意)であろうかと思います。

桜の花も、葉桜模様になりましたが、
それはそれなりに変化を楽しめるものですし、
春の花の主役たちがあちこちに咲き誇らせてきています。
チューリップ、ポピー、つつじ……
そのあとに続く花たちがいっぱいです。

新人の看護師さん、がんばれ!
転職の看護師さんがんばれ!
そして、復職を考えている看護師さん、
あなたの持てる力を社会の中で咲き誇らせてみましょう!

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雑談って結構、頭が回転してるンだァの話

雑談って侮れないって話です。

仕事場で長い時間パソコン相手に集中していると、
これが、もう頭の内部が鈍磨して脳みそが凝り固まってくるのを感じる。

モードを変えたくても、
咳払いや深呼吸やトイレ休憩などで変わることもなく、
発想転換すべく発想も浮かび上がらない。

そして、あたり一面を見渡しても仕事仲間の皆さんに、
そう簡単に話しかける訳にもいかず、独りつぶやき生唾を呑んで、
味気なく時間の空をいただいた後、
おもむろに背筋を伸ばして脳の凝り固まりモードから
瞬時逃れるって孤独の作業(そう!ルーチン化した作業なのだ)。

そんな風に言ってみると、退屈な仕事風景を誇示しているみたいになりますが、
ところが「雑談」に興じるちょっとした時間に出会えたら、
それはもう有意なリラクゼイションタイム!

戯言師になっても良し、ムードメーカーの個性を発揮しても良し、
まもなく始まるプロ野球談義良し、お金ナイナイ問答良し、
旅物語良し、取り組んでいる仕事の話良し、何でも良いわけです。

自分の心情を開放してふざけるも良し、雑談仲間と共感共鳴しあえれば、
頭は相当に回転していて(要するに、良きエネルギーの放出とでもいえるのかな)、
話はとりとめもなく展開していくでしょう?

そして新鮮で深みある情報がいっぱい溢れて入ってくるのですから。
あっという間の1~2時間なら、時間を無駄にしたなんて後悔をすることもない。

確かに、効果的でない「雑談」ってこともあるにはあるようですが、
この雑談行動の向こうには、コミュニケーション活動が
活発になる作用が形成されていくのですから、
雑談に参加している人達との人間関係を受け入れ、
話の不備を補い合える展開になれば、雑談タイム大いに歓迎って訳です。

春爛漫、桜咲き誇る季節です。
この陽気に誘われて(花曇や春雨や春の突風の寒さに悩まされもしますが)、
それぞれの素敵なコミュニケーションタイムを演出してみませんか?

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3月11日

3月7日~は、春の陽気に誘われて、結構開放的な気分を味わえると思いきや、
黄砂とスモッグの流延余波(こんな言葉あるかな?)。
何しろ中国からの重大な大気汚染物質PM2.5、
そして花粉飛散と放射性物質に汚染された土やゴミがそのまま放置されたままで、
その責任を問うことなく原発再稼動に勢いづく政府。

今日は3月11日。
昨日は東日本大震災2年の軌跡を思い起こし、
3年目への復興を祈念して色々な形でイベントが催されました。
マスコミ(TV、新聞、その他誌上)では大きく特集され、
真剣に私たちの記憶を呼び起こされました。

映像や文字、人を介して見る・聞く・感じるのと、
実際を一見し人々とふれあい空気を呼吸するのとでは、
心に呼び起こされる感知は大きく違うと、1年半ほど前に息子から聞かされたことではあるが、
私は動くことはできなかった。

放射能の風評被害というけれど、原発事故による被害(否、原子力発電そのもの)
はやはりどう考えてみても、エンドレスな(今を生きてる私たち以上に、
途方もない未来の人類・地球・宇宙にへの負の遺産を残すことになる)ことを考えれば、
簡単に風評被害と言わないでほしい。

東日本大震災での残存被害の重大さは、政治的に風化されていく雰囲気ではあるし、
私たちの熱も冷め始めているとレポートは語り、コメンテーターも語っている。
そして、東日本で被災された人々は
「私たちにとってはまだまだ3月11日はまだまだ特別な日なんです」と。

改めて、2年前の東日本大地震と原発事故から少しずつ復興しつつある状況を喜び、
しかし、とり残されている人々のまだ癒しきれぬ状況に思いを至らせ、
犠牲になった方々へのご冥福をお祈りする日、
2011年3月11日を忘れないで教訓としていきましょう。

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凍蝶

冬のエピソードをネットで調べていたら「凍蝶」という言葉が出てきた。

これをなんと読むべきか? 
イテチョウとは何番目かに呟くように口にしたが確信して読めなかった。
俳句の世界では、時折使われているらしく、知る人ぞ知るというわけです。

「凍蝶になまじ薄日のさしにけり」(成瀬桜桃子作)

季語辞典によると、そのほか確かに20句以上は紹介されている。
俳句に親しむ人たちには「凍蝶」とは、
何かに止まったままでじっとしている蝶を見て、
寒さに耐える蝶々に感動したり驚いたりして使われるらしい。

自然観察家に言わせれば、実は成虫で越冬するチョウの種類は多くあり、
それらはよほど気温の低い時など以外は、わりと活発に活動しているのだと。
近年の温暖化が進み、暖冬であることが多くなったため、そのように目立つようになってきたと。

一つの季節的な現象をどのような角度から眺め感知していくかによって、
異なる観察眼が生まれるものですねえ。改めてそんな思いを強くしたものです。

それでは何故蝶の羽は美しいのか?
という疑問に進めてみましょうか。

矢島稔・宮沢輝夫(共著)によると、昆虫はもともと熱帯原産の生物で(これなんとなくわかる!)、
少しずつ分布地域を広げていったと考えられ、虫たちが四季のある場所に到達し、
冬越しの問題に直面した結果、種類ごとに最も死亡率の低い
越冬スタイルを確立したと考えられるらしい。

美しさのキーポイントは
「熱帯原産と過酷な問題への挑戦と越冬スタイルの確立」
ということになるかしら?(キーワードが長すぎる?)

医療介護の現場は、多様な人間関係現象がうごめき、感動、驚き、悲嘆、喜びなどが交錯します。
加えて、命をつなぐ現場である故、冷静な角度から
公平な判断・洞察する能力が求められるのですから、
それぞれの立場の人々と広く早い反応で活動していくことですね。

情報収集で得た大切な真実を見逃すことなく、
そして英知を生み出し、それに合うスタイルを確立すれば、
私たちの働きは輝きと存在感を増し感動を分かち合えていくのでしょう。

(まあしかし、多くの人々の世話を一時の間に同時進行しなければならない謀殺現場で、 
 情報収集と速やかな分析、行動に関して、冷静に対処していくのは難しいですよね!)

しかし、時には真剣に観察、科学的な手法で状況把握し、時には情緒的な感知で優しく受け止め、
冷静に情報発信をして現象の洞察性を高め、共有化を図るための表現をしていきましょう。

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2月は何てショートで清かで華やかな月だろうか

二月(如月 きさらぎ)、
この月を春到来と感じさせる温度感が華やぎのある月と感じさせてくれます。

華やぐといえば、二月の花。この月の花を挙げるとしたら、
あなたはどのくらい花をいい当てることができるでしょうか? 

私もちょっと挙げてみたところでは、ご覧の通り!
(みなさんも、遊んでみてください)
梅の花、福寿草、菜の花、クロッカス、蕗、花韮……

3~4月の花も入ってしまったかな?
ちなみに2月のイベントも結構あるので挙げて見ましょう。

節分(2/3)、立春(2/4)、針供養(2/8)
バレンタインデー(2/14)、雨水・春一番(2/19)

さて、ノンちゃんの風呂場は、
浴槽に身を委ねながらお月様が見えるのです(入浴時間が問題だぁ~)。
いつもは夜風に吹かれながらお月様を愛でますが(それで?どうなの?)
冬場の月愛で(ツキメデと略読みしてください)は、風呂場にてということかしら?

そこで何思う?ってなことですが、
とてもリラクゼーションの効ありて、ついつい口づさむ童謡があるのです。

ナコちゃ~んて 呼んだの だぁ~れかしらぁ~
まぁる~いまるい~ お月さま~
ほ~らほら そうかもしれないわぁ~
おそら~で にっこぉ~り 笑ってる~

とても風呂場響きがよくて、優しい声清らかな声で歌えるのです。
月々の月を少々感傷に浸りながら眺めていると、季節折々の月相が感じられるのです。
感傷的に見わたさずに宇宙的な幻想を巡らせれば、
夢、希望、信頼への銀河鉄道列車に乗って旅することができるでしょうに…。

ところで月の視直径は、腕を伸ばして持つ5円玉穴の大きさと、ほぼ同じであると言う。
地平線近くにあるあの大きく見える月の場合も、小さな月と同じように
5円玉の穴にすべてが収まってしまうというのですから、一度試してみてください。

宇宙的な規模の空の星たちも、まんまと5円玉の穴のなかに収まるのですから、
地上に生かされる人生の旅で出くわす、
私たちの医療看護・介護の仕事上に降りかかる困難や悩みは、
時の流れを経ながらちっぽけな出来事なのでしょうか?

現場での悩み,不快、不都合に立ち向かうべくは、
心大きくして、乗り越えていく勇気に変えていきましょう。

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愛の力

愛は石のように、一つのところに留まりつづけることはない。
風のように雲のように空気のように移り行く。

勿論「こうあるべき愛」を語ることはしたくないし、人の道程に懸かる愛の行方は、
結構その人の愛思想を変遷させていくように思われるから。

お互いに愛を育む信頼関係の中で約束したことであっても、
約束に向かって歩みだしても双方の経験値は異なり感情や思考(志向)が形成されていく。

その時々に愛が確認しあえるつながりが継続されて、
生じた異なる感情・思考を受け入れて調整されていくならば、
愛は一つのところに留まりつづけ強き愛を育て上げていくのかもしれない。

命の尊厳性にまで踏み込んでくる愛の力とはいえ、裏切りとか破局とか妬みは、
結構つきまとう愛の姿でもあり、疲弊する力が大きく働く。
愛の代償というべきことではなく、
「常に痺れるほどのエネルギーが注がれる」のが愛というべきか?

何が語りたかったのかと言えば、実は先日、
レ・ミゼラブルのミュージカル映画を観てきたのですが、
その余韻がまだ頭に残っていて、「愛」の証がどのような形(現象)で
示されていくものなのか、なんてことが頭の中を巡っているのです。

愛をモチーフに語りつがれるべきものはたくさんある。
人々の生活や社会に生きる人々のあり方を見ていると、
なにが良くて何が悪いか裁けるものは何もないのではないか。
愛はそのように人が生きる根源の力であり、人を奈落に落とす力であり、
凄まじいエネルギーのマグマであり、希望であり罪と罰であり・・・、
なんてなことが頭の中を巡っていました。

そんな折、今日(毎日新聞:1月29日付)のコラム欄に、
久々に徳永進先生からの発信がありました。
2001年に鳥取市内に開設したホスピス「野の花診療所」院長さんです。

http://homepage3.nifty.com/nonohana/

私たち医療・介護に携わる者にとって、
命の終わりと向き合うのは珍しいことではないが、
先生は死に出くわす世話をする家族の「おろおろ」も含めて、
いのちに「初めて」は無数に隠されていると。
(中略)
死の時、人は「アリガト」「悪いなあ」と口にする。握手をする。目で何かを追う。
そうして最後の息を宙に返す。返しながらどこかへ帰っていくようだと。
(後略)
そして、もう少し分かる日がくるまで診療所を続けてみようかと。

先生のご活動は知る人ぞ知る、
先生の深い愛のまなざしがあり、その語りだけで癒されます。

先生の著書に「野の花のホスピス便り」(新潮文庫)があり、お勧め図書です。
是非一度、ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」もご覧になってください。

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