エレガントに1年を終えたし…!!望念のつぶやき

年の瀬ともなると、普通に忙しいだけなのに急かされている心理状態に支配される。
仕事の重積感が体に重く圧し掛かり肩が凝る。

お風呂でゆっくり、首・肩リンパマッサージをしてみるものの、
どうもすっきりしてくれない。12月はこんな体調不良に悩まされています。
一年一年、高齢領域へ誘われての加齢現象はは否応無く意識され、
そんなの認めないし左右されないと頑張ってみるには相当なしわ寄せがくるのが解る。
なにしろ体がノーサンキューのサインを出して動作が滞ってくるのだから逆らえない。

それでも、心底、疲労感を引っ張ってしまえばテンションが下がるため、
極めて優雅な動作を心がけて萎えちゃ駄目!と踏ん張ってはみる。
仕事して外出してショッピングして食事して喫茶して映画見て時々ハイキング…と、
心と体が温まる行動をとればなんとか生活動作はスムーズでエレガントになるものです。

ノンちゃんは、何も綺麗ごとに生きようとしているのではなく、
また無理をしない方がいいとして楽に生きようとしているのではない。
加齢を重ねて生きていくにはそれなりの覚悟はいるものだし、しんどい。
そして今さら泥臭く生きるとかいうつもりも無い。

できれば無理をしないで大切に生きたいだけであるが、
そんな時、五木寛之の新刊、老人階級の自立と独立を説く「新老人の思想」が出版された。
加齢とともに生きづらさを承認しながら、自分の助け方を見つける、決心する、
という誘いがあることを願い、この年末は、この本を読んで新年を迎えようと思っている。

このブログをご覧の皆様、どうか良いお年をお迎えくださいね。
来年もまたよろしくお願い申し上げます。

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力の抜ける痛ましいニュース

冬支度も儘ならぬ季節になり、寒さに追いかけられるように着重ねをする此の頃ではある。
(今はまだ布団から抜け出しやすいけれど。段々と朝起きが厳しくなってくるよネエ!)

しかしまあ私は、加齢とともに「早起きは苦しゅうない。」と平然とした構えができている。
布団から抜け出して常温水を飲んで用を足して顔を洗ってという
一連の動作は習慣化されたスムーズな行動である。
朝食の準備を整え、まあ、食べながらニュースをみるというスタイルになっている。

ところで、11月26日飛び込んできたニュースは、なんとも痛ましい限りのニュース。

輸血によるHIV感染の話はこうである。
HIVに感染した献血者の血液が、日赤社の検査をすり抜けて出荷され、
患者数人に輸血されていたことが25日発覚。2004年以降初めてのことなのだそうだ。
今回問題となった献血男性は、性的行動についての質問で事実と異なった内容で答えており、
厚労省は「禁止されている検査目的で献血をした可能性が高い」とコメントしているのだが…。

私は、いつかこのような問題が起きるのではないかと危惧していたことはある。
しかしそのうち忘れてしまっていた問題でもある。
既に感染したと確認された患者は2人いることが判明したということであり、
やるせなさが胸いっぱいに広がる…。

その後、引き続き流れてきたニュースは、60年前の新生児の取り違え事件。
60年間、おかしいと思いながらも不思議な思いのままに
現実を生きてきた60歳の男性はインタビューに答えていたが、
1950年代以降にしばし社会問題になった悲劇である。

病院のカルテを公開しない閉鎖性が問題解決に至らなかった指摘は、まさにそうではある問題だ。
さらに、実の家族と育てられた家族の間には、経済的な格差は大きくあったようで、
辿る人生はやはり大きく違っいる。この男性の実の兄弟3人の熱心な追跡追及で、
ついにというかようやく真実を突き止めることができたという。
取り違えられた男性は記者会見で苦渋の心境を述べておられ、
高揚する心情を抑制させてコメントを発しておられたが、
60歳までのこの間独身を通され現在は、実ではない10歳上の次兄さんの
介護を担っていて生活形態は結構ご苦労されているなどの様子が伝えられた。
無言のままに胸の痛みが増す。

「命のバトン」がこんな形で手渡されていく悲惨さを思いやると、
手違いで誤ってミスったではすまされない。
人生は自分の思い通りにはいかないが、自分の知り得ようのないところで間違いが起こり、
誰のせいであることも問われないままに、自分に課せられた人生として
生き継いで行くしかないのは、悲劇としか言いようがない。

しかし、悲劇に浸り悲しみ嘆いても前進すべき解決は得られない。
私たちはこの二つのニュースをどう受け止め、社会的であり医療的な問題を解決していくのか?
そんなことを考えてみようよ。

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語学の力

ここに到って云うのも何ですが…!?の話になりますが、
平成23年より、小学5・6年生から英語が必須になっていますよね。
文部科学省によると、H23年より小学5・6学年で
年間35単位時間の「外国語活動」を必修化することで実施されている。
これは、「音声を中心に慣れ親しませる活動を通じて言語や文化について体験的に理解を深める、
積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成、コミュニケーション能力の素地を養うこと」
を目標としているということです。

さて、10月31日、何度もTV中継やニュースが流れたので見た方が多いのでは?
アメリカのメジャーリーグのレッドソックスが全米優勝に王手をかけた
試合終了後と優勝決定時のインタビューの場面を思い出してください。

エキサイティング! グッド! クレイジー!
これは上原投手の7歳息子さんの見事なインタビュー・アンサー。ショート・アンサーがすばらしい。
決めていましたねぇ~。あっぱれ~!!というほかないのだぁ~!!
しかも平素の生活基盤は日本であると。英語を学んでいるのだろうけど、びくともしていない。
声力もあってね。あれはすごい発信力があったと思いませんか?
好感度を上げ、印象度を上げるものでした。
女性インタビュアーに対して瞬時に発した単語の適格性。
ほとんど感性の世界のアンサー。(通訳なしで即アンサーなんだよ~ウゥ~ムム)

語学の力ということで 一つ思い出すことがあるのですが、
私がリタイアした直後に、オーストラリアにホームステイした時のこと。
家族は60歳ご夫婦2人暮し。息子さん2人と娘さん1人はそれぞれ結婚して独立しており
穏やかで和やかなビッグボリューム感のあるご夫婦でした。(ほ~すごいなぁ…!?)
子供さん家族は車で10~30分内に居住され、程よい距離感を保ちあっていましたね。

ある日のこと、二人姉妹のお孫さんがいる長男氏宅に連れて行っていただいた時のこと、
ホームパーティーのメインディッシュは蒸し肉野菜にお手製のソースかけ(グッドテイスト)と
祖父母さんたち手作りの鍋物(?)も加わって、テーブルはすごいボリューム。
果物・ケーキ・コーヒーのデザートが続いた後、
姉妹たちのサプライズ・プロデュース!が待っていた。
姉妹は私たち大人を居間に呼び入れたのですが、
二人はミカン箱のような長四角箱を舞台にして立っていて、
何をするのかしら?と思いきや、
「只今よりこの一週間に私たちが体験したストーリーをご紹介します。
最後まで聞いて笑ってください」と言って始まったのだ。

長女は、1週間それぞれの日を追いながら、オリジナルにハプニングストーリー仕立て。
私には詳細な物語は分からなかったけど、大人っぽい仕草が印象的で
祖父母が私に耳打ちしてくれる英語解説でかろうじて
笑いの中に入り込むことができた次第。(情けな~い!)
次女は、身振り手振りの可愛いジェスチャーで、抑揚の効いた話しぶりで、
一週間のある一日を物語ってくれました。
英語が読み取れない私にもついていけたのが驚き、笑い時に笑えて楽しく過ごしました。

何が言いたいのかというと、この姉妹たちがきちんと母国語で大人たちを相手に、
自分ストーリーを披露し「私」の存在をアピールしているのだ。
ディベート的に競りあうのではなく、自己の存在を家族・お客さまに向かって
楽しくアピール(主張)しており、まったくもって、参ったぁ…まさに語学の力で決めているのです!

私の言う語学の力とは、二人はきちんと語るべき内容を持っており、
分かり合いたいという情熱とおもてなしの心意気、
そして見知らぬ日本からの客人に対して、
異なる文化性と10代の価値観を共有する世界にいざない、
面白がる親しさの表現をしてくれたのです。
イェ~イ!エキサイティング! 思わず二人を抱きしめてしまったことです。

語学力を養うために小学生時より英語必須科目もよいけれど、
それだけでグローバルの芽が育つわけではない。
母国語においてどのような文化性や多様な価値観を育て表現していくのか、
多様化への許容性を高め、楽しめる緻密な教育であってほしいと願うのです。

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お茶の花

茶の花?
私は見たことが無い。

幼少の頃、お寺の周りには茶畑があり、結構硬い目な深緑の細かい葉っぱというのを覚えている。
新芽の出る頃は鮮やかで柔らかい淡緑が映えて、祖母のしなやかな茶摘み姿が脳裏を過ぎる。
とにかく、茶木に花が咲くことは知らないで過ごしてきたのである。

お茶の花を知ったのは、つい最近のこと。

絵心のある友人が、茶の花をスケッチしていて
「え~っ?お茶の木に花が咲くの?」 って驚いたら、
「あれ~っ?お茶の花知らなかったの?」 と驚かれてしまった。

茶木の花は10月~11月に咲くという。
白い直径3~5センチくらいの花弁は愛らしい。
つばき目つばき科つばき属の常緑樹であることからして、
小ぶりのツバキの花そのものであるなと思う。

その友人から教えていただいたままに、さらに詳しく調べていうならば、
新芽には、カフェイン・カテキン・アミノ酸(テアニン)が豊富に含まれており、
花と同じくらいに膨らんだ果実(種子)からは
カメリア油 (酸化されにくいオレイン酸86%↑)を絞るということです。

でも実際のところ、お茶の花は咲かないほうがいいらしい。
なぜならば、天候とか管理の障害があると咲くのだというのだから、
まさに今年の夏は…異常な気候で雨は少なく真夏日和続き。
息苦しいひと夏の終わりには、この可憐な茶花に出会うのだ。
なんとも健気な花ではないか?

人への癒しを施し、人への健康を促すという恵みを残してくれるのだから
奇特な茶葉と花なのだと認識しなければいけないとも思う。

しかし、先日の台風26号はこれまた50年に一度の大型級。
風光明媚な温泉地伊豆半島を襲い大きな被害を残して立ち去っていった。
小さな子どもを含めて家族的に被害を受けて命を落としている。
テレビニュースからの映像でしか解らないけれど、伊豆大島の方々は、
日頃からの地震災害などの備えをされており、
台風が去った後の対応が本当に冷静というか
自然に対して謙虚なまでに黙々と後始末をしておられ、
悲しみに引きずられることなくそれぞれの役割に精魂を傾けて
難を乗り切ろうとされているように見える。

いまだ救助作業が続いているが、ただただ、命を落とされた方々のご冥福を祈り、
被害を受けた方々の健康が損なわれることの無いように、
早期の復旧がなされますようお祈りするばかりです。

今回は友人の絵心のお陰で、茶木の花についての学びを得、
和みの心と健康への誘いをしていただき原稿を揚げた
矢先の台風災害のニュースに心痛む私でした。
可憐に咲く茶の花物語の裏には、天候上の障害があると咲くと言う話は
なんとも皮肉な禍根をもたらしました。

話題提供者として恐縮の限りですが、皆様のご感想はいかがなものでしょうか?

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ご来光のロケーション

我が家(マンション)のベランダは、真東に向いており、ベランダの柵越しの風景は、
なかなかに良く、小高い丘の斜面沿いに立派な家屋が段々に建っている。
一昔前までの小高い丘には、竹林や雑木が茂っていたであろう
名残模様というべきか、わずかな雑木を所々に残してはいる。
有難いことに、お日様は東の空から昇るため、
我がベランダの真正面に、太陽光が悠然と昇ってくる。
有難いのではあるが、夏の太陽光は、めちゃ眩しい。

ところで、早朝に山頂から見る荘厳な日の出を御来光と呼ぶのであるが、
我がベランダから見る日の出を私は、御来光と呼んでいる。
ご来光の季節は夏ということであるけれど、冬になってくると、
我が家のご来光は東南のほうへと移動している。

それでも素適な光線を届けてくれているのだ。
夜明けの朝にたなびく雲は、光に反射して朱くいろづいていたり、
白黒モノトーン風に光と影をたなびかせたり、
ちぎれ雲の移ろいを楽しむことができたりもする。
実に眠気眼の朝を迎えたとしても、ベランダにたたずめば、
今日一日のエネルギーを呼吸することができるという素晴らしい我が家のベランダ風景である。

そもそも御来光とは、高山の頂上から見る荘厳な日の出ということではあるけれど、
その語源は「御来迎」からきているという。
山頂近くの雪に自分の影が映されると、
色のついた光の輪を背負った仏像に見えることからそういわれたという。
科学的には、ブロッケン現象。
太陽を背にして立ったとき、見る人の影の周りに虹と似た光の輪となって現れる
大気光学現象であるということらしい。

山の頂と我が家のベランダとを同列扱いするつもりは無いけれど、
日常的に朝の太陽の恵みを感じながらエネルギーを吸収し、
身近な未来である今日一日を生きてみるのは、ちょっといい話ではありますよね。

皆さんには皆さんなりのパワースポットがあり、
そこから人知れぬエネルギーの再生を図ることができるのなら、
それは幸せなこととして感じてみるのはいかがでしょうか?

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人への関心

看護師のお仕事は、きつくてしんどい!!
それは確かにそうなのだ。
マイナーな心理状況に陥りやすいのである。
ところが、そのマイナー心理を吹き飛ばしてくれるのもまた
看護師のお仕事であるゆえ、なんとも悩ましい。
この辺の主なる影響要因は一言でいえば、人間関係といえそうだ。

看護は人を対象にした、自己の持てる能力の限りを問われる仕事であると認識しているからこそ、
能力開発に繋がる知識の習得、最新医療情報の収集、新しい医療看護技術の習得などなど
精を出して能力進化を図るけれど、やっぱりその努力はどこかで承認されたいよね。
何となくすれ違う関係性っていうのは、パワーテンションが下がるよね。

看護師さんは優しくて親切で…は大切なことではあるけれど、
情緒的な側面の提供だけでは済まされない。
患者さんに寄り添う関係性のスキルアップを常に努力しているけど、
どこか読み違っているのだろう、暗黙のうちに不足のスキルを求められているのがわかると、
読み取れたときのショックは苦しい。
患者さんからだけではない。
先輩後輩、上司などなど、すぐそばに寄り添いあう関係のすべての人が対象だ。

考えてみるとちょっと重くなるけれど、
看護師は人への関心を持つことから始まるんだから
これは覚悟しなきゃ、看護師を続けられないよね。

私たち看護師は
「病める多くの人たちに出会おう!」
そして、
「命を生きる知恵を紡ごう!」
って、シュプレヒコールはどうだろうか?

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少子化と女性

小泉元首相の原発観は、至極あたりまえの解りやすい感覚を持っておられるように思う。
日本では核廃棄物の処理場が無いし、フィンランドの処理施設にしても300年もの長期処理。
その頃には責任を取るべき当事者は居ないと、シャープに原発不要、
持つべきではないと自論を展開する。大いに賛成!

さて、少子化の流れは留まることを知らない。
少子化対策については、少子化対策担当相をおいて検討されてはいるけれど、
構いすぎる対策など税の使い方には慎重であって欲しいと思うのですが、
皆さんはどう考えられますか?

自分の人生観・社会観のなかの少子化の原因について考えてみてもよいかもしれない。

女性の結婚観ってどうなのかしら?
結婚というステージを通って子どもを生み育てるという選択もあれば、
事実婚やシングルマザーで子どもを生み育てるという生き方もあるのですが、
こうした人生路は、計画通りに目標達成と言うわけにいかないことが多いのではないだろうか?

専業主婦で子育てしようが、共働きで夫婦共々で子育てしようが、
シングルマザーで働きながら子育てしようが、
そうそうお膳立てされた子育てはありえないし、自分(自分たち)の思うようにはいかない。

力みがちの子育ては、試行錯誤を繰り返し、こんなはずではなかった思いに駆られることもあろうし、
逆に、自分では何もしてこなかったのに、こんないい子に育ってくれたと安堵することもあろうし。

ま、少子化に歯止めが効かない状態は、社会的には大きな問題ですよね。
尚更、歴史を動かすエネルギーを持つ女性の問題として大きいものだと思います。

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子ども心

8月のお盆は、会社方針で「盆休み」のところもあれば、
夏期休暇として6月~9月の間に3~7日、自主設定できる会社もあれば…
てな具合でいろいろ。有り難い。

いずれにせよ、この夏の暑さは曰くいい難し。
のた打ち回る気力も失せ、ベランダの金属柵に寄りかろうものなら、アチッ!!*
子どもの泣き声も、烈火のごとくに泣き入って、母親との戦いの声が聞こえてくる。

どこを振り向いても、異常な暑さには参りもしますが、
これが今年の夏の風景と受け止め、子育て真っ只中のお母さんに敬意を表します。

お盆には、郷里に帰っての墓参りが付き物で、地元で開催される盆踊り大会も
今さらながら懐かしく親しみを覚えて、従兄弟の孫たちと一緒に出かけもすれば、
地元の子ども会共催というわけで、ジュースやお茶、
小さな130mlビール(最小缶)などが呑み放題に用意されていて、
なんと!5~6歳と思しき孫たちは、自分用のジュースを持ち帰るどころか、
お父さんお母さんにと、せっせとビールを取り運んできている。

ほ~っ!?感心するやら恐れ入るやらで見ていたけれど、
そのうちエコ袋はそれなりに膨れ上がり、お父さんは

「お前、ここの子ども会のお金で用意してんだぞ!
ここの子ども会に入っていないのにこんなにたくさん持ってきて…。
見つかって叱られても知らんぞ」

と言いながらも決して棘だってはいない。
むしろ顔には笑みを浮かべてお母さんと談笑しながら、その場を立ち去って行った。

ドンマイ!ドンマイ!この暑さだもの。

日ごろの子育てに感謝!子ども心にそう思ってのことだろうか。
機敏に獲物を仕入れてくる頼もしい子どもの思いと受け止めてみようか。

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子育てを終えたツバメ

今年の夏は、猛暑日が続き、今までにない
初めての豪雨を経験する地域が多い異常気象。

しかし、自然界の営みは、夏は夏、8月ともなれば
秋季への前兆となるのどかな風物詩も垣間見ることができる。
(土地の人たちは、それでも今年はやっぱり
今までこんなことはなかった変化を感じてはいるが…)

自然は私たちに何を教えてくれるのか?

富士山が世界遺産に登録されたとなると、今年の登山客は異常な鈴なり人。
富士山の荘厳さの行方はどうなるのだろうかと、ちと心配顔にもなる。

身近なる川面に目をやれば…最近、河川改修や外来種の進入など、
異常な環境の変化により葦原が失われつつあるのは、今では自明の状況になりつつあるが、
それでも夏の夕暮れには、子育てを終えたツバメが、
何処からともなく集まってきて水辺の葦原を飛び回り、
そこを“ねぐら”とするという。
(そういえば、私の記憶から忘れ去られようとしていた光景が、
毎日新聞のくらしナビ「野鳥に学ぶ」に載せられていた)

ツバメの子育て…。
一つの役目を終えたツバメが葦の葉先に身を休めるひと時、
種の保存の営みを終えたツバメの行方は
悩み思考することなく、旅立っていくのだろうが。

そういえば、看護師の免許を持ちながらも、良き家庭を大切にして
子育てのために看護の現場を離れているお母さん。
成長していく我が子を見つめながら、ふと、ご自分の大切にしたいアイデンティティーが頭をよぎり、
「社会とのつながりを持って私らしく生きる道もあるよな?」ってつぶやく時ってありませんか?

わが子の成長のなかに個性とか自己主張が見え隠れするのを感知したとき、
その子の人格の確立と言うか、主体性に親が踏み入ってはならない
(というか乗り越えられない)感触を持つことがあるよね。

そういう時はどうだろうか?
自分自身(個)の身の置き所を、ふと看護師時代の生き様に思いを寄せることもあるでしょう。
子育てを終えたあとのわが身の置き方は、わが子がどうだからの理由はない。
看護師再チャレンジのチャンスは、既にあなた自身の中に控えているのではないだろうか?

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大暑の日

大暑とは、二十四節気の第12。
6月中とあるが、要するに熱さが最も厳しくなる日で、
大暑の日から立秋までの15日間なのだ。

ちなみに小暑と合わせた1ヶ月間を「暑中」と言い、
暑中見舞いは、この期間内に送るのであると。
あまりその辺のところを考えずに闇雲に大概の感じで、
暑中見舞い状をお届けしていたと思う。

1年で最も暑いとされる大暑の日には、あちこちの動物園などでは、
動物たちに「氷柱」のプレゼントが贈られるTVニュースが流れるが、
今年は何しろ人間であれ動物であれ植物であれ、
生物のほとんどは、連日の猛暑に闘うことも萎えてうな垂れてしまうのみ。
私たち人間の世界でも、「土用」というお馴染みの
恒例行事「土用鰻」の食に預かる楽しみで酷暑を乗り切ると言うわけです。

さて、「闘い」ということに関して、こんな記事があった。

「闘病」って言葉は無理して病気と闘うイメージなので使いたくない。
うまく付き合って良い方に持っていきたいと不屈のカメラマン南健二氏はおっしゃっている。 

果たして病気と向き合うとき、特に治療そのものが非常な苦痛を伴い、
将来の生死さえも保証されない場合、そのように言ってのけられるものだろうか?

現役であったころの患者さんのあれこれが思い起こされた。
一過性に苦痛の期間を通ったとしても、将来健康を取り戻す過程にあるときは、
そのように云えるかも知れないが…?
なまじ私の気持ちなのである。

やはり、「闘病」って言葉は、病気の凄まじさにおいて、
耐えがたきを耐え忍ぶのではなく、自分との闘いであり、医療への挑戦でもある。
誰も手の差し伸べようのない孤独な闘いは「闘病」である。
わが身に対して、生はんじかな優しい眼差しを向けようのない
「生」への挑戦の厳しさがあって、その姿には厳かな怖れを感じる。

猛暑との闘いの話から、大変な展開になりました。悪しからず。
皆様のご健康をお祈りいたします。

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