やんごとなきユーモレスクな詩

「日本人は自分の国に誇りがなさ過ぎる」とは、よく聴く話である。

私の息子も、外国に留学してそのような感想をもったという。
とにかく歴史を語らない、語れない、そんな習慣になっていない自分がいたと。
彼は、留学先の大学で、それこそ人種の異なる学生同士が自己紹介し合うとき、
ほとんどの場合、自分がどのような国・家族のなかで育ってきたかについて、
歴史的背景を交えながら嫌味なく誇らしげに語るのには驚いたと。
それがきっかけになったかどうか定かでないが、無造作に机上に置いてある本を覗きみると、
息子は歴史的で社会的で文化的な本を読んでいるようだ。感心している。

実は私も、20代前半の頃、しきりに同級生の男子から
「のんちゃん、日本歴史、世界歴史はやはり大事だから、
この教科書(高校で使用した副本もつけて)をもう一度
きちんと勉強してみるのがいいよ」と進められたことがあった。

そして近年グローバル化に対応していくことが求められるようになり、騒がしい。
自国の歴史、自国の文化に誇りを持つことは大事であることは確かなこと。
ただ、穏やかな誇りであるほうがいいのでは?と思う。
身近なところで人間関係が争いに発展するとき、周りの人たちは関係修復を図ろうとするのだが、
その人が持つ絶対的なプライドが問題解決どころか
問題を異質な方向へ向けてしまうことがあると思うからである。
自国の歴史への誇りが、他国の歴史とそこに築き上げられた
文化性を受け入れる寛容さに繋がっていければ、グローバルな交流を、
スムーズに受け入れていくことができるのだろう…。

がしかし?…と思うところがあり、むしろ、
このグローバル化のスピードに追い付けなくて怖いと思っている。
しかし、今はグローバルな時代。歴史を知らないと
グローバル化を生き残れないとまでは云わなくとも
自他国の歴史と文化を受容する感性は磨いておきたいものだ。という結論に。

さてさて、日本は高齢社会。
認知症で居住場所が分らなくなってさまよう高齢者が、
そのまま行き着き先で保護され施設に入所されたままで
命を永らえているという報道をきっかけに行政が注目し、
何人かの高齢者が家族と再会でき始めている。
毎日新聞の余禄にこんなのが載っていたので紹介しますが、ノンちゃんは考えた。
高齢者福祉施設が時の流れに抗せずグローバル化するということは、
このようなやんごとなきユーモレスクの詩が満ち溢れてくるということだろうかと。

***
シドニーの高齢者福祉施設に入院しているジョージは
大声でしゃべる明るい男だが、時おり旧宅が恋しくなるらしい。
ある時、突然立ち上がって叫んだ。

「俺は今からこの塀を乗り越えて脱走する。賛成してくれる奴は、梯子を支えてくれ!」

よろよろと梯子を塀に立てかけると何人かの仲間が横から支えた。
ジョージが塀を乗り越えると、そこには施設職員が待ち構え手を差し伸べる。
「シドニーへようこそ」付き添われて周辺を一周したジョージは
仲間の拍手に迎えられ、満足げにソファへと戻った。
***
(認知症専門医の橋本篤さんの詩集より)

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人間の命

今年の梅雨入りは、例年より遅いらしい。
7月中旬まで長引き暑い夏になるのだという。
そのニュースを聞いただけで、もう既に夏バテの様相を呈しているようで、
とにかく下半身が重だるく浮腫みも酷くなっている。
高齢域にもなれば、ホルモンバランスも崩れて気分の晴れ具合は、
体調不良感に支配されそうな雲行き。
否! 今頃からへたり込んでどうするの? 歩いて歩いて!
女性の平均寿命が世界一なら、健康寿命も世界一を誇らなくっちゃね。イエィッ!!

さて、最近、平岩弓枝の文庫本を読んでいたら、興味を引く一文があった。
医家を引き継ぐ医者の伴侶の選択についての問答だけど、
(前略)
同じ医者でも、貧乏医者と金持ちの医者では違う。家柄のある者と無い者とでも違う。
(中略)
医者には二つの傾向がある。一つは人の命を重いと考える、もう一つは人の命を軽く思う。
どちらも一人の医者の心の中で起こりうることです。
始終、人の生死をまのあたりにして、時には、それに自分が手を貸している。
命の尊さ、生命力の強さに感動する一方で、人の死ぬときとは、
なんとあっけないかとも知っている。これが怖いといえば怖い”と。

この一文、人間一人一人に関わる本質的な問いかけだと思いながら、
まあ短編小説の成りゆきでそのまま読み進んでは見たけれど。
潜在心理というのか、良いとか悪いとかいうことではなく、
ふっと立ち止まらせられた一文で…。

改めて医療・介護に従事する私たちが、
人の生死をまのあたりにしたそのとき、何をどのような選択をするのか…。
一人の強権な選択に従うのではなく、ストッパーとなりうる意見も出し合える
というプロセスをとおしてコンセンサスに向かうことができるのだろうか?

“自分にとって大事な人間の命は貴重で、
かかわりの無い人間の命は虫けらのごとくというのは、
なにも医者だけではないでしょう”
(後略)

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ウレタン枕は快眠できる?

加齢と共に変化する睡眠の質については、確かに加齢が成せる変化だと思う。
24時間「体内時計」の変化によるものということですが、
私の友人はそんな変化に大きな不快感・苦痛感は持たないどころか、
睡眠時間が短くなったといっても「良く眠れる」とシャーシャーとおっしゃる。

私ことノンちゃんは、昔から(子どもの頃から)
快眠感を持つことはなかったといっても過言ではない。
ちょっとした物音、ちょっとした空気の移動、
ちょっとした気がかり(親戚の亡くなった人の顔など)で、
何度も目覚めるのではなく、浅き眠りで感知していたり
頭の神経を巡らせ続けているといった具合。
私の脳の中はどうなっちゃってんの? というわけです。

寝方というか寝る姿勢(枕)に問題があるようにも思われるけれど、
枕を変えてみても長続きしない。
何かしら、脳の中が、私の体中が酸化されて質が悪いって気がしてならない。

どうしようもない症状が一つある。
それは、車運転し始めたり、映画見始めたり、愛すべき大切な人とお茶タイムし始めたり…
という場面になると、生欠伸が頻回に出てくる。
生欠伸なので、気持ちよく思いっきりあ・く・びってことにはならず、とにかく中途半端。
涙が出るし、思いっきりの欠伸になるように、欠伸気配がしたときには
大きく息をすうようにしてみるが体内酸素不足状態は改善されず、
しばし10分間くらいは続くのであります。

今日は何を言いたかったのかと言うことですが、
ウレタン枕が、首・頭の形状にフィットして快眠を誘うと宣伝されているけれど、
このウレタンって、空気の流通が無いような感触で、
頭の熱が篭ったりするではないかと私はちょっと疑問をもっていて、
かえって緊張して寝ているのです(知人の枕をかりたからかな?)。

眠れないから、ということで病院を受診すると、睡眠導入剤で様子を見るか、
睡眠時無呼吸検査をするかで、悩みに即した解決的な医療アドバイスが得られないでしょう?
これってどうしたらいいのだろう?
ノンちゃんの溜息と呟きの記でございました。

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若い世代の夢と希望は褪せることなく

4月2日、高校野球観戦は、在ろうことか優勝戦を観戦するということなのである。
何十年ぶりのことかしら?40?年にはなる高校野球観戦チケットをゲットした
興奮を背負いながら、友人と二人で甲子園へ。

電車は姫路行きの通勤特急へと案内されるままに乗り込めば、
地元大阪と近畿圏京都の高校野球の勝負とあって、乗客のいでたちは、
通勤者はかき消されるほどに応援モードの賑わい。
ほっと快い安心感に守られて座席に座るや、
沿線沿いに咲き乱れる桜の花を楽しみながら
甲子園駅へと誘われた幸せ心地ではありました。

10時40分頃には、球場の4・5ゲート(一塁側)から特別自由席へと余裕の闊歩。
一塁側スタンドは大阪履正社高校、3塁側スタンドは京都龍谷大平安高校であることを知り
地元応援できることを喜んだ次第。 日差しがきつく暑いくらい(予報では20度)で、
既に陣取っていた観客も一枚一枚薄着になり始め、早々とビールに焼きそば・たこ焼きなど
店屋ものを買って食べ始めれば、私たち淑女おばさんも、そりゃあビールの注文となりました。
簡単な手作り弁当を広げ、めっちゃ美味しく気分良く出来上がっていきましたね。
こんなことも、ホンとに40?年ぶりの追体験、褪せることのない若者気分が蘇えらせつつ
試合開始のサイレンに興奮しましたよ。

既にご承知の通り、6:2で 龍谷大平安高校が優勝、
履正社高校は準優勝という結果に終わりましたが、
何しろ春夏通算最多出場の京都勢と
6回出場で初めて決勝に進んだ大阪勢による始めての決勝戦。
龍谷大平安高校のあの堂々とした整然とした落ち着きすら感じるあの、
本塁打や初回2塁打など長打絡まる着実な加点、好捕、継投策等など攻守云うことなし。
履正社高校も前日の素晴らしい逆転激戦からのチーム一丸体制で、
塁に出ながら得点に結びつかず残塁に終わるシーンが
何度か繰り返され息のつまりを感じましたが、あの金岡選手の仲間を励ます姿は、
遠くからでも伝わってきて胸に響く感動を味わったものです。
優勝した原田英彦監督の感極まったインタビュー、
選手たちには「かっこいい監督と慕われているようで、確かにかっこよかったですよ。

まあとにかく、若い世代の夢と希望は褪せることなく
近畿の野球王国復活の試合を思いっきり楽しんだ一日でした。

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レジリエント(Resilient)な看護

こんな言い方があるのだろうか?
最近、目にした言葉なのですが、
実は「本当は看護活動の中にこの力が必要なンだよねぇ」と頭をめぐるつぶやき。
ちょっとオチがあって楽しめるお話ができるのでは?
と思い書き連ねてみたのだけれど、読んでいただけるだろうか。

レジリエント=この言葉を、しなやかな回復力(弾力的な回復力)と意味づけ考えてみれば、
看護としてどんな関わりがその力になって回復力を促進するのだろう?
…などと思いいたらせてみれば、
なかなかインパクトのある発想が出てくるものではないかしら?

大概いつも通り、看護師さんたちが行使するコミュニケーション力(話術)が思い浮かぶし
私自身もそのたぐいではあるけれど、面白いワクワクする話って、
何かの刺激において発想が湧きあがり、それが自分ひとりで空想することも良し、
誰かに話題提供することによって膨らんで行くこともあろうしに快い話の広がりなって行きますよね。
つまり、いつもの私自身の範疇では及ばない話題が、
何かの刺激(新聞・本・TV・車中の人々の会話・仕草など等)から
新しい見聞・見分によって提供されてくるンですヨネ。

そんなことを思いながら2~3日後、真夜中に目が覚めてトイレに行った後、
寝つかれないままに時間を過ごしていたが、ふと電気を付けて、
枕もとの本(国語クイズなるもの)を手にとって読んで見ることにした。

なんとまあ、日本の古来より「雨を表現する」ことばが、
優雅さへの期待と面白がりたき気ごころにはまることしきり。
眠る策が覚醒の策になると思いきや、適度な疲労感に促されて
気持ちよい睡魔に誘われて眠りつけたというお話になりました。

雨に関する本は、何冊かあって限りないそうだ。
そこでちょっぴり、どんな雨降りがあるのか知る人ぞ知るのでありますから、
皆さんもお知りおきの限りを突破して、いろいろな雨降り模様を楽しんでください。

土砂降り 梅雨 肘笠雨 紅雨 緑雨 小糠雨 甘雨 霧雨 細雨 膏雨
霖雨 慈雨  喜雨 村雨 群雨 時雨 にわか雨 半夏雨 夕立 凍雨……∞

4月の頃の雨もたくさんありますよね。
春雨 菜種雨 卯の花腐し 虎が雨 五月雨

その他もっとロマンティックに降る雨、もっといろいろ。
今日は久しぶりにブログ更新をしたものの、
話のオチとしての止めどころが解らなくなってしまいまして、お許しのほど。

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震災から3年

東日本大震災から、早や3年が経過しました。
3月11日は政府主催の追悼式が行われ、深い痛みへの思いを新たにしたわけですが、
被災地の皆さまは、今日までを必死に明るく、
悲しみを内に秘めて生きぬいていらっしゃいました。
その姿に私は、やはり立ちすくんだまま敬意を払ってお見舞い申し上げるしかありません。

各メディアは3年間のこれまでを特集番組で流し続けていましたが、
それはそれで「風化させてはいけない」ということで大切な取り組みではあり、
ことさら異論を述べることでもないのですが、被災された方々の苦しみ悲しみを、
私(たち)が共有するに難く、の思いが胸疼くのです。

驕るなかれ、「あなたはこの3年間、何を理解し、何をしたのか?」
何も解っていないし、被災された方々の受難への思いが想像力豊かに働いて
何らかの行動を引き寄せることができたのでもない。
震災直後の残酷な映像は、目を凝らして、目を伏せて、耳を澄まして、
時には怒りを覚えて、悔しくて、そんな思いを交錯させながら、
なにしろメディアニュースに見入ったものである。

状況は原子力発電所事故災害も重なった複合的で重大なものとなり、
頭の中は分散されてしまった。どうすりゃいいのよ!!
早速にボランティア活動に駆け込んだ方々も多くいて、
その方々からの切れ切れの報告をつなぎながら、
状況の悲惨さだけは了解できるに到ったのですが、私が行動に至ることはなく、
ただ後ずさりするばかりで、考えもまとまるどころか私の意識確立もないまま、
メディアの報道の流れのままに過ごしてきた3年間でしたね。

友人と出かけた先で、食材の震災復興東北展に出会えば、
そこに立ち寄ってしばしの想いを馳せた語り合い、
物品を購入するという細やかな思いをつないできたということくらいかな?

今あらためて、私たちができえる身近な行動は、風評被害に惑わされ続けるのではなく、
自分だけが確実な安全場所に安楽するのでもなく、
復興への取り組みに関心を寄せて寛容な協力支援をしていくことではないかと思っています。

頑張れニッポン!絆!東日本復興のためのオリンピック!などなど、
華々しい活況のなかで叫ばれ続けてきたけれど、実態は何も変わってなく、
復興の方向さえあやふやな現実が、今頃報道されているけれど、
具体的な復興手段・計画は示されていない。
被災地域の人々は、今からがスタート!自分たちが創りあげていくんだ
と明るく意気込みを語っておられたが、この方たちから元気をいただき、
共に歩める暖かい気持ちをいただいて、ノンちゃんは、
今年は東北への旅行を度々計画して訪れようと思うのであります。

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ソチオリンピックの味わい

オリンピックが終了し代表選手の皆さんが続々帰国され、
多くの出迎えの皆さんに、爽やかな表情を見せてくださいました。
改めて選手の皆様、お疲れ様でした。

多くの大きなプレッシャーの重さを背中に背負い、
呪文のように「競技を楽しみたい」「私ができることを精いっぱい出せればいい」‥など、
笑顔のインタビュー問答が多くあったように思います。

が、しなやかな容姿に恵まれ、常にガッツの力強い踊りを展開してくださった19歳の羽生君は、
インタビューを受けるたびに、日本のために!東北震災を受けた人々を元気づけるために!
僕のお世話になった多くの方々のために!ゴールドメダリストとしての誇りをもって!とか
まぁとにかく、しっかりしすぎる力みのあるコメント。

私には、ちょっと「う~ん?!」ご立派なんだけど…、
しんどくなるなぁと、つぶやきたくなったこともありました。
しかしやはり、競技を終えてメダルを勝ち取った方々のコメントは、さすがに素晴らしい。
入賞した方々のコメントも(要するにアスリートの方々すべてに言えることですが)、
感動的な、もう参ったなぁ!のコメントが多くありましたね。
それは、私たちに見せて下さった競技と連動したコメントの見せ場でもあってね。
もうホントにありがとうでした。
このあとは、パラリンピックがあり、どんなドラマがあるのでしょうか?
応援しましょうね。

オリンピック開催中、毎日新聞の「週刊漢字の答え」欄に、
雪の言葉を五輪に絡めた漢字言葉が紹介されていましたが、
とても美しいので、拾い読みでご紹介しましょう。

①六出花(りくしゅつか):「六花(りっか)」などともいう雪の異称。
結晶の形を花弁が六つある花に見立てた言葉。
*ソチ五輪の開会式で雪の結晶が四輪になった映像の記憶があると思いますが、
中谷宇吉郎著「雪」によれば、本物の雪も「四花」など
不規則な形の結晶があるということですから、ドンマイドンマイ!

②銀花(ぎんか):降る雪を形容する語で、雪を銀で表すのは「銀世界」で有名。
*日本はメダル銀の花を咲かせていると。素敵だね!メルヘン!!

③雪を回らす(ゆきをめぐらす):「回雪」を訓読みしたもので、
風が雪を吹き回す=風に舞う雪のように美しい舞を表すと。
*フィギュアスケートの羽生選手の「金」の舞、町田選手の魂の火の鳥、
高橋選手の穏やかに豊かに高橋の舞、それに真央ちゃんの渾身のパーフェクトな華麗の舞、
鈴木選手の大人な清楚で謙遜な舞、村上選手の若さの舞、
本当に快い私たちへの贈り物を届けてくださいましたね。

さて、現実の世界に戻してみれば、深刻なPM2.5のスモッグ状態。
中国からの影響と呑気にいうことも悲しい春の空。花霞ならぬスモック霞の不穏な春の空。
暫く(梅雨期ごろまで)は、つづくという。
皆さん!花粉症の季節でもあり、健康管理には十分に対策をとり、元気に過ごしましょう。

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レイと波音とトロピカルな日没

新年早々、厳寒の大阪から温暖なハワイ・オアフ島(ワイキキ)へと私も高っ飛び。
年末年始の恒例となるホノルル空港は、
芸能人等で華やいでいたであろうインタビューラッシュの宴の後。
慎ましやかに潮風を受けた椰子の木がサヤサヤと
揺れているという陽射しの良い景色ではありました。
ワイキキの浜辺に出れば、ザザザ~っバシャ~ンと打ち寄せる波音と潮風が心地よく、
あの狭い席(何をか云わん飛行機のエコノミストクラス)に縛られての
長旅の疲れを一気に忘れさせてくれるという
パノラマに身をおく幸せが味わえるというのがよろしい。

何を想い何を記念すべき旅にハワイを選んだのかは内緒にしておきましょう。
ただ、若き頃の何をしても栄光(?)の波に乗り、
昼夜の時間を気にせず活動できた健康不安など蹴してのける勢いがあった頃と違い、
無理してはいけない感が付きまとう健康意識が
大きく活動・行動範囲に影響してくる年頃になったのは確か。
やはり真面目に健康年齢を認識してみることは必要との思いが頭を巡ることしきり。

滞在2日目夜は、和やかな饗宴の中に身をおき、旅のクライマックスを盛り立ててくれた。
単に面白おかしくではなく、世事の歩み(歴史)を忘れないで、
其のとき其のときをひたすら歩み続けてきた自分史観が蘇えりもして、
穏やかな笑みが私を綺麗に照らし出してくれたようにも思う。
(ウ~ン!やはりハワイでよかった。これほどに開放感に包まれたのだから。
新しい生命力が吹き込まれた そんな爽やかな時間を過ごせたことに感謝!!)

さて、旅人の楽しみは、食にありですよね。
ハワイの色彩鮮やかな大盛りの食材は、旅の満足感を高めてくれます。
なのに私は大盛りとなると胃が痺れあがって受け付けられなくなる。
早々に食傷気味になりかけていたのだけれど、仲間と一緒に食を満喫しようと言うことになると
そのような感傷は吹っ飛ばさなきゃならない。
旅の最後の晩餐は、日没のトロピカルな食材を難なく堪能したというのだから、
どうも私の胃の調子は気のせいらしい。
(何を食べたかって? それは内緒! 大きい肉、大きいザリガニ、大きい海老、
ぶつ切りのような野菜、スイーツな果物、チーズバーガー、パンケーキ、
アメリカンなコーヒー、ハワイアンなドリンク、多々……あまり変わり映えしないって?
何の何の、盛り付けが半端じゃない、味付けが違う、甘さが違う、セットがワイルド)
っていうことで。

時は今、冬季ソチ・オリンピックが始まりました。
テロ警戒措置が厳重にとられていて、オリンピックを楽しめるものなのかどうかではあるけれど、
選手の皆さんは、日本の期待を背負って続々と現地入りし、
とにかく今までの練習の成果を出し切る場と認識しておられ、
しっかり楽しんできますと云って出発されました。
努力を積み重ね、天才と称されることに甘んじず
自己の持つ能力の技に磨きをかけて 臨まれるのです。
しっかりオリンピックの成功に声援を送りましょう!

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全国あちこちで、あんな話題こんな出来事!

自治体の首長選挙が行われており、なんとも賑やかなことです。
政治の様相は、結構物騒なややこしい話ばかり。
自治体の主体性を主張して中央(国政)からの自立を求める一方、
中央からの補助がないと自力では地域活性化が進まないと補助金への依存性を高める話や、
東京の知事選は本来ならばしなくてすんだはずの選挙であり、
問題山積の上に税金による出資が無駄に使われることにもなっている話などなど。
経済復興の流れは追い風となっているけれど、胡散臭い話が多すぎっ!
て気がしてくる。(浮かれていてはいけないね。)

通勤、買い物、散歩の道すがら、つくづく嫌んなっちゃうことに出くわすことがある。
歩道を突っ走る自転車。歩き喫煙。歩きながらスマホ。歩道真ん中でのママ友立ち話。
無神経なキャリーバック転がし(?)。雨傘の前後左右突き出し歩き。などなど。

昨日(21日)のニュースにも、女子高生の自転車と衝突した高齢(80歳)の男性が、
転倒したさい頭を強打して死亡した事故があった。
足腰を弱体させぬように姿勢よく歩きながら、
周囲の状況に耳を澄まして態勢コントロールしている。
けれど最近、私の耳は綿密な音キャッチをしてくれない。
車道の車の行き交う騒音などで前後の
ささやかな音・空気の動きの読み取りが掻き消されると云えば、
ある程度面目を保てるのであるが、実は聴力の機能低下は否めなくなっている。
後ろからさっと通りぬける自転車に、時には態勢を崩され転びそうになったり、
後ろから来る自転車に気づかず、急に歩きコースを右寄り左寄りに変えて
自転車とぶつかりそうになったりと危ないのだ。

私も歩道で自転車に乗って買物に出かけることがあり、
自分が体験している怖いことには神経を尖らせながら気をつけて操作しているが、
それでも慢心が脳裏を過ぎり、警戒心を甘く見て判断する時がある。
(そんな時は、やはりヒヤッとすることが起こりやすいものだが…)

あのキャリーバックの転がし方には、販売業者はマナー教育をしてくれないのかなあ。
面倒くさそうに人ごみの中をお構いなく後ろ手に引いていくし、
エスカレーターへの乗せ方も気をつけて欲しいのだ。何しろ無造作なのだ。

歩きタバコのマナーの悪さは、禁煙ゾーンが拡大するにつれ酷くなっている。
歩道に散らばる吸殻のなんと増えていることか…。
それに歩きながらの喫煙など、前に位置して歩かれている時は尚更大迷惑。
道すがら、ず~っと受動喫煙状態で「衣服に染み入るニコチン臭」を味わわなければならない。

季節は大寒を過ぎ、そろそろ春めいてくるものの、1月~2月は寒さ厳しく、ましてや
インフルエンザ、ノロウイルスが蔓延しており、皆様、感染に気をつけケアしましょう!

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新年明けましておめでとうございます

少々ご挨拶が遅れましたが、このテンポをお許しいただいて、
今年もまたブログ展開をしてまいりたいと思います。
多くの皆様に目を通していただけたなら私も元気づけられ、張りきれようというわけです。
ワークステーション メディカル事業部(メディカルステーション)に
ちょっとお立ち寄りいただけた皆様に何らかのメッセージ、語らいとなりますよう、
キーに気持ちをこめてお届けしようと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

私は、TVは騒々しいばかりで(との思いが強いのですが)、
普段、気を入れてみることはあまり無いながら、年末年始は歴史ドキュメントや宇宙の神秘
(物理学と数学の合体において神の領域に限りなく謙虚にいどんでいくというドキュメント?)など、
ゆっくり見ることができました。
年末に観たこれらの番組は、私のからだ全体に静かに染み渡りましたね。
穏やかで新鮮な宇宙生命の神秘さに齎される心の動きというか、
命の核なる広がりを深く感じ入った次第です。

また、新年から始まったNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」に関わる特集?などに気を惹かれ、
珍しく初回からこのドラマを見ることになりました。
主演の岡田准一はV6メンバー。
グループについては関心が無いながら、岡田准一には一目置いていて
(彼は歴史に強く、人の生き様に関してもしっかりした見識を持ち、
(若いのに)自分を磨き続けながら謙虚に生きているという人生スタイル)、
これに好感を持ってしまっているのです。

さて、30歳を過ぎた息子は
「お母さんも「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」を見ようよ」
と私を誘惑してきましたが、まあ良いかァお正月だしね、
と彼に気軽く付き合って見たところ、なかなか面白くて(ま、受けられない場面もありましたが)、
二人で笑い転げながら新年を迎えました。
(息子がTV観賞途中に、お母さん今新年になったよと教えてくれ、
改めて新年のご挨拶をし合いTVに集中というザマでした)。

新年早々、TV三昧談義を綴って見ましたが、
要は、今年は情報の質を意識しながら、あまりせせこましく情報領域を設定することなく、
面倒がらず嫌がらず受けいれの幅を広く深くして、
皆様に何らかのメッセージ性を持ってブログをお届けしたいと思います。

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