習慣化するプロセス体験が大切

一週間前から既に、花粉の飛ぶ季節になったとの
注意報が流れていたにも拘らず、
感知する閾値が低かったのだろう(?)、
2~3日前から急きょ、鼻腔のむず痒さに襲われ、
ハクションの連発が始まった。
この後、鼻腔粘膜の浮腫と鼻水に悩まされるという進行を来さない前に、
ともかくも対処しなければならないと、現在警戒中!(半ベソ顔)

先日、一人の子育て中のお母さんから、
「人を育てる」ってのは、「習慣を作ること」なんですよね
と問いかけられ、それは、ず~っと昔、幼児教育の講義で受けた懐かしいフレーズではあり、
改めて新鮮な響き(この年にして、抹香臭い古典的な言葉に共鳴したかぁ~)で受け止めた次第。

つまりは、生活習慣を身に着けるということなのだけれど、
ここで各家庭の個性ある「子育て習慣」が展開されることにもなるのでしょう。
若いお母さん方の多くが(もちろん私自身の体験でもあるが)、
「何度言ったらわかるのよォ~」とは、わが子育て中の母の嘆きの言葉。
この嘆きの言葉発信そのものが、習慣化するという皮肉な現実があるものです。

何を伝えたいのか?なんですが、毎日毎日の生活習慣の促しが子育てなのであり、
何度も繰り返される促しが、ある一定の(飽和状態の)ところに来ると、
一気に解き放たれて「当たり前化」するという。
そういうことだから、1回1回の促しは、同じことを同じ位置で繰り返すという短絡ではなく、
確実にゴールに近づいていると受け止める必要があるのですね。
保育所、幼稚園の先生方も「育児・養育・教育を嘆かじ」の努力が実を結んでくるというものです。
注釈ながら、マイナー発信を、毎日毎回やっていると
「ゴールしなくてもいい」と言っているようなもの。
もったいないエネルギーを使っているとは思いませんか?

こうした目線でみると、お若い、経験不足の看護師・介護士さんの
人材育成に関しても、言えることではないかと思いますね。
繰り返し何度でも教えるのは、ゴールに向かってゴールに達成することを目指して、
職務・技術を確実に身に着け、習慣化を図ることの大切さを受け止める必要がありますよね。

話は変わって、今日、会社に出勤してきたら、植木職人さんが、
観賞用に置いてある大きな木に茂る小さい葉っぱの一枚一枚を、
柔らかい布でふき取っているのです。
私が「そんな小さな葉っぱの一つ一つを拭いてあげるなんて大変ですねェ」と彼に声かけたら、
「いいえ、このようにしてやらないと葉が土の中にいる
小さな虫達に喰われて萎えてしまうんです。それに葉が青々としますから」と。

何事も「育てる」というのは、ゴール(どうあってほしいか、どうありたいか)を受け止めて、
それに向かって飽くことなく促しの手立てをしてやることなのだと思った次第です。

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楽園!温泉湯けむりの苑庭と野生の猿たち

今話題になっている野生の猿たちの
「寒を温め、ほほ笑みの湧く」観光スポット。
話題性は外国人観光客のほうが、断然人気スポット。
冬場につよ~いあの寒い雪国=地獄谷野猿公苑は、長野県下高井郡山ノ内町にあるが、
志賀高原を源とする横湯川の渓谷にあるという。
何しろ、野猿の公園として1964年に開苑したそうであるが、
その趣旨は「猿と人間の共生を観光客に見せる」国際的な観光地になっている。

標高850mの山深い所(?かどうか)だが、野生の猿たちが1mを超える
積雪の冬山から下りてくるとそこは露天風呂の温泉であったという設定になる
地獄谷温泉(縦4m、横10m)を開放している。
なぜ露天風呂なのか??
開苑のころ、近場にある旅館の人用の露天風呂に仔猿が入浴し、
それを見て大人猿が真似をし始めたのがきっかけらしい。
まさに猿まねの原点というべきか?
観光客と猿が共にそこに(雪が舞い散っていてもである)共存している光景は、
誰が見ても「寒を温め、ほほ笑みの湧く」ハイライトな観光地であろう。

不便な道のりであっても、年間観光客は10万人を集客しており、
夏冬区別なく野生のニホンザルを観ることができるという。
観光客の多くは(老いも若きも幼児でさえも)、
「野生の猿って、もっと怖いと思っていたのに、全然可愛くてアメージング」と、
カメラのシャッターを下ろしたり、湯につかっている猿を身近に眺めたり、
傍に寄り添ったりしながら、誰もが温かいほほ笑みの表情でくつろいでいる。
あぁ…!素敵な眺めだなぁ!!

この秩序は、どのようにして形成されているのだろうか?
実は、観光客に対しての禁止事項がある。
最も厳禁なのが「餌づけ」。
見学者には、普段の猿姿をじっくり観察していただき、
餌欲しさの人を怖がらない猿になるのを防ぎ接触事故を防いでいる。
他に「猿を触らない」「猿からなるべく離れて観察する」
「猿の目をじっと見ない」「猿に馴れ馴れしくしない」
「猿に話しかけない」という禁止事項があるが、
これは、猿が半野生状態のため観光客には無関心であり、
ルールを守れば襲うことはないと。
野生の猿たちの荒々しい接触被害は多く報告されているが、
こうしたルールを徹底していない。
餌づけの禁止により接触事故を防ぎ穏やかな観光資源を確保しているようだ。

余談ながら30数年前、水彩画を楽しんでいた時期があり、
ある写真家が冬山の野猿を写した特集を見て模写絵を描いたことがある。
いろいろな猿の生態(動き)を写していて、可愛いのなんのって、
私は猿のいろいろを一つの画面に集めて野猿の楽園を描いたものだ。

人間社会の人種問題は、まだまだ共生秩序が成り立っていない。
どんなルールにすれば多人種の共生が図れるのだろうか?
今、曽野綾子さんの産経新聞コラムが悩ましい問題提起している。
医療介護の現場は、今後グローバル化してくるが異文化の共生を考えておこう。

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私にもタブレットが使えます!

昨年12月末のこと、息子が東京での仕事終いしたあと帰郷して、
こんなことを言いました。

「お母さんの認知症予防に、
タブレットを使って頭の回転をさせればいいから」

というわけで、大手電気器具販売店に行って、
「お母さんにはこの程度の機能があれば混乱しないで使いこなせるから」
と、タブレットの機種を見立てて買ってくれました。
息子の簡単な説明に、解ったのか解らないのか、
何がどうすればいいんだか判らないままに
「わあ~うれしいありがとう」なんて言っちゃったりして、
息子からのプレゼントにうっとりして感激にボ~っとしておりました。

とりあえず頭を回転させるゲームとラインの使い方をマスターしたものの、
操作に時間がかかり、発展的な操作ができず、
息子にセットしてもらったままに機能させていたわけです。
ところが発展的操作ができないと、タブレットはもうすでに面白くはなく、
単調な器械具でしかなく、そのまま放置されることになるのでしょうね。

そこで、先日から、パソコン教室アンドロイドコースに
通い始めることにしてみたのです。
よく解らない専門用語ついて説明を受けながら、
操作するという方法で習い始めましたが
これが実に、驚きの興味深々目線になって、知れば知るほど、面白い!!
タブレットの命が生かされてきたこのごろと、相成りました。

タブレットの便利さは、大きすぎず小さすぎず、
自分の身の程に応じた大きさを選ぶことができ、持ち歩きが便利。
何しろパソコンよりも起動が速いし、バッテリー寿命も長い。
見やすくて画像がきれい。
単純なゲームだけでなく、ニュース、書物、ミュージック、語学、
等々が引き出せるのだから、バリエーションに富んで楽しく遊べる。

いろんな形での頭の回転ができて面白い。
今はもう寝床にまで持ち込んでしまうという、
少々お宅人間になりかけているのだろうか?
いやいやそこまで本物にはならない程度に楽しめているということです。

高齢者にとっては、自分の興味の方向に探索できるのだし、
それに伴って頭も働いてくれるはず。
世界は広がっていくものだなあと思うし、いろんなジャンルに飛び込んで、
視野も広がってくるという期待が広がる。
などなど、決して悪い道具ではないと思われる。

これからは、タブレットの時代がやってくる
といわれてもいるようでもあり、
「私にもやれる優れもの」と認識できたので、一つお勧めした次第です。

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今、このメッセージで喜びたい<あっぱれ!!白鵬>

世の中、何か制するモノがあって、気持ちよくは
<あっぱれ!!白鵬>とは叫べない。

何か制するモノ!? 大変な事件だ。
イスラム国と称する兵士の族???に
捕らわれの身となった後藤健二さん、湯川遥菜さん。
常に残忍な恐怖の映像・メッセージを轟かせ、
即断的に人間の生命を絶滅させているのを、
どう表現し弾劾させていいのか?
政府が、交渉ルートとして、ヨルダンを介して、トルコ政府に頼みの綱を繋ぎ、
積極的に慎重に救出・開放交渉をしているニュースは、
既に私たちの知る範疇にあるけれど、実態の詳細は解らない。
直接的に、トルコではないというところに、日本の政治的思惑があるらしい。
安倍首相がイスラエル訪問中に事件が勃発し、安倍首相は独断で即、
ヨルダンに外務副大臣を派遣していて、政府対応の速さを演出しているのだけれど…?

ご存じのとおり、トルコは一貫して、アメリカの軍事作戦には反対しており、
アメリカと親密関係にありながらも、一線を画している。
その姿勢は、中東にあって軍事行動を回避して
自国民を守っているのだから、すごいと言わざるを得ない。
いずれにせよ、せめて後藤さんの生命だけは、救われてほしいと願うものです。

話は変わって、白鵬の33回優勝はとにかくすごい。
大鵬の32回でさえ塗り替えられる数字ではなかったのに、
彼はそれが尊敬する大鵬への恩返しとばかりの執念により、塗り替えてしまった。
最近の彼のコメントや態度に疑問が提されているが、
一つ相撲協会に物申したい心境が
根強くあるのではないかと思われるのだけれど、どうなんだろうか?

大して相撲に熱心な私ではないけれど、
小さいころから馴染んできた風物なものだから。
そして、あの鍛えられたからだが柔和できれいなのだから、
どうしようもない。
文句なく、白鵬に絶賛!!

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心の平和を求めて…!

今はもうすでに忘れ去っていた感動になっているのだけれど…。
この頃時々、20代に読んだアン・モロウ・リンドバーグ夫人の
著書「海からの贈り物」が、頭をよぎることがある。

海辺に打ち寄せられた貝殻たちの一つ一つから、
自由で開放的なメッセージを悟り受け取りながら、
静かな感動と感謝の眼差しで著者の言葉が私たちに届けられる
(とは、私流の読後記憶になっている)。

波音の中に漂うことに飽きず時をともにしながら目覚めていく。
そして静かに思考を引き寄せて、私たちに思考の波音を届けてくれる。
恒久的な関係などというものはなくて(中略)。
…凡て生きた関係は変化し拡張しつつあって、
常に新しい形をとっていかなければならない(後略)。

決して難しい本ではない。
波打ち際に打ち上げられた貝の一つ一つの
生命力を蘇らせてくれている。
静かではあるけれどエネルギーが周っている。

私は、幼年期を海辺で暮らしている。
幾種類かの貝を集めて、飽かず眺めていたのに、
どんな感動が湧いたというのだろうか?
数多く、種類多く集めたことに悦を感じ入り、
打ち寄せる波と戯れていただけの時を過ごしたというのだろうか?
海に遊ぶ時の反復を意に介せずに…すでに忘却なのである。

そして今、東日本大震災のあの津波の偉大で
不気味なエネルギーの前に、なすすべもなく立ちすくみ、
その後の復興に政治の手は必ずしも丁寧に
いざなってはくれないけれど、そこに生きる、
そこに行きたい懸命の自分たちのエネルギーで、
自由に健気に復興させる生命力がみなぎっている。

今になって、私の心が目覚め働き始めようとしている。
心の平和を求めて…。

阪神大震災から20年の1月17日、
改めて、思いを新たにしてお祈りを捧げます。

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羊の功名・未年の光明

羊=ウシ科の哺乳動物で、繊細な長毛が密生していて、風体が愛くるしい。

こう言っちゃあ羊さんに失礼というものだが、
毛、肉、乳、皮革 と用途多幸(広)な私たちにとっては身近な動物なのだ。

改めまして新年あけましておめでとうございます。
今年も皆さんとともに、元気に楽しく頑張りたく思いますので、
よろしくお願い申し上げます。

新年の天皇陛下のご挨拶は、私なりに心を動かされました。
天皇陛下のお言葉の端々に、厳かな響きをもって、
犠牲となった先人の死に深く思いを寄せて述べられていたのが印象的でした。
「戦争」への思いは、ず~っとぶれることなく
真摯に受け継がれてきていらっしゃるのだと思います。

「戦後70年」をどう受け止めてこの1年を生きようとするのか?
不毛な戦争へと嵌まり込んでいった工程は、
なんとも不可解なまま70年の戦後歴史を認識することになるのでしょうけれど、
後ろ向きにとらえるのではなく「平和」を希求し続けてきた70年ではあると思っている。

ただ、社会とか国家とかの中に群れていることにもなる私たちは、
人間の癖というべきか特性というべきかなんだけど、群れて社会の中に居ると、
横との関係、他と異なる自分に社会(群れ)とつながらないことが不安になり迎合してしまう。
多勢の意見意志に服従してしまうってことに向かいやすい。
異を唱えることは何倍もの勇気がいることなのですから。
「流されてついていくだけの人」にはなりたくないけど、
ある意味心地よいぬるま湯に浸されていると、
引き上げるべき時や善悪の問題意識が分からなくなってしまうのだろうね。
戦争に嵌まり込んでいく工程は、いつの間にかある日突然、
すでにそういう仕組みになっていたということなのかもしれない。
それは怖いことなんですよね。
やはり、この1年、敢えて、戦後70年の歴史を知得して、
価値観・歴史館、世界観の構築に努力しなければならないのだと思います。

羊の長毛の暖かさに浸り優しいお目目に惑わされることなく、
私は何を思う?を問いかけながら、未年の光明を見出さないといけないと思います。

新年早々のご挨拶は、こんな文章から始まりましたが、
皆さん!健康で明るく穏やかな年にいたしましょう。

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寒さに負けず~っ!とはいかず…???

先週来、日本列島大寒波にお見舞われ、TVニュースは、
大雪で孤立した山間部集落を中心に厳しい状況を流し続けています。
山間部だけではなく、国道・高速道などでの車渋滞状況なども中継しているが、
そんな猛吹雪、積雪の現場で中継されるアナウンサー、リポーターも命がけの生中継。
それでなくとも除雪作業中での事故、車中での事故が引き起こされているのだから、
彼ら現場中継する人々にも危険が付きまとっているはずだ。

ただ、年の瀬ということだから?ニュースも半端じゃない。
いろいろ驚き、胸痛むニュースが多く飛び込んでくる。

吾輩は、寒さに負けて、外出もままならず家籠もり、
猫ちゃんと共に暖か布団に丸くなったりしてちぢこまっているという状況だ。

ところでダントツに「へ~っ!」と映像にはまったのが、
インドから届いた猿族の奇跡。
とある町での話。
線路に出てきて遊んでいた野生のサルたちの仲間の一匹が、
線路の高圧線に触れて感電し気絶したのだという。
映像はそこからのものだが、これが驚きなのである。
感電気絶している猿にたいして、仲間のサルが、咬む叩く、体を振り下ろす、
壁にぶつけるも一向にグタッとしたまま意識を回復しない。
挙句の果て側溝の水の中に投げ込み、引き上げたり水中になげたり。
水の冷たさのショックで、ようやく意識を取り戻した(?)のか、
ともかくも目を開き意識回復に至ったのだ。
水中のサルは、蘇生にあたった猿に引き上げられて一命を取り留められたこの一件、
まさに奇跡の生還を果たした気絶猿も然ることながら、
蘇生施術猿の勇敢で必死の介抱ぶりに、人間顔負け!
いや野生の猿なればこその本能的?な感性に伴う救助行動。脱帽!!拍手!!お見事!!

私たち人間社会は、それなりに科学的で工学的で物理学的に整備された
救助マニュアルに導かれて、かろうじて救助活動ができシステムがなりたっていて、
助けられる思いである。
私個人でいえば、そんな場面に遭遇しても立ちすくむに違いないし、
ようやく決心しても恐る恐るにして気弱い依存型の構えだろう。
否、もう少し信じて、緊急場面に遭遇すれば、私の野生が芽生え、
その証明となる果敢な行動を成し得ることであろうと期待したい。

まもなく、クリスマスがやってきて、新年を迎えます。
お年賀状はもう書き終えましたか?
2014年の終わりに、この一年に感謝して、皆様と共に、
今まさにこの時から始まる未来に夢絶やすことなく
健康に過ごすことができますよう、お祈りいたします。

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「主人公はあなた」の呼びかけに…。

どうも投票率の低迷が、テレビや新聞で声高に報じられるけれど、
なぜかどっちらけのしらけムードが漂い続けた衆院選挙。

その間、香港では、学生たちを中心に占拠デモなどで、
一つの大きな主張を展開していた。
しかしまあ、中国の政治の壁は厚く、
容赦しない高圧な当局の治安体制に屈せざるを得ない事態収拾が行われているが、
このように爆発したエネルギーは、近代の日本の若者(主として学生)は成しえない。
香港の若者は、
「日本人にとって、民主主義は当たり前のものかもしれないが、
香港の人々は闘わなければ手にすることはでいない」といい尤もな話なわけである。

日本の若者よ!しっかりせ~い!とでも言いたいが、
日本のバブル時代を享受してきた高齢者が、
もっとしっかり世の中を吟じないと
(若者に向かって、声を出して、未来・希望を語りかけないと)といかんのだろう。
(良い格好して好々爺なることも然ることながら、ちょっと苦言を呈することもね)

本来民主主義を守るには、常に闘っていることだと思う。
でなければ民主主義の核たるところを守ることはできないのではないか?
現に今回の衆議院議員総選挙は、選挙する意味・大義はなく、
首相の専権事項で首相が決定して行われたものだ
(そういう見方をすれば、安倍さんはなかなかの戦略家。現に瞬く間に与党圧勝。
有権者はわけわからん選挙と心得てはいるのだが…。)
闘い処を見据えることのできない空回り選挙。
未来の可能性に駆けることもままならないのだ。
それでも一票を投じなければ、主張する権利があやふやになり、大きなツケが回ってくる。
「未来はあなたのもの、誰かに決めてもらうのではなくあなた自身がきめること」、
だから、私は投票に行ってきましたよ。皆さんはどうですか?

扨て一夜明けて…。選挙の投票率は戦後最低52%前後。
どうなんだろう???
しかしながら、未来への希望を託して前に進もう。
世界を見れば、若者世代(特に10代の人たちが)が輝いている。

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流行語大賞:誰が決めるの?

今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」が12月1日に発表されたが、
それはなんと!
「集団的自衛権」と「ダメよ~、ダメダメ」の2語でした。
なるほど…??確かに、今年の世相を反映した言葉ではあるけれど…。

「集団的自衛権」は国民的に流行語ということになるのだろうか?
国民の間にそんなに浸透した議論や話題になっていたのだろうか?
集団的自衛権行使への反対が根強くあり、まだまだ解らない憲法上の問題であり、
戦争に巻き込まれる(戦争に参戦する)ことになるやもしれぬ真剣で深刻な問題なのに…?
なかなか納得のいかない大賞ではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか?

年末に行われるこの流行語大賞には、楽しめる娯楽性があり、
「ダメよ~、ダメダメ」などは、
まさに庶民に浸透した笑いが起こる気楽さがあって賑わしい。
不景気感(あるいは閉塞感)が払拭されきらないままに
今年を締めくくり、新しい年を迎えようとしているのに、なのです。

そして、国民的人気俳優:高倉健さんが亡くなられ、
相次いで昭和の一時代を風靡した菅原文太さんが亡くなられました。
さて、この菅原文太さんって、
窮めて「ありのままの自分」に正直って生き方をしていませんか?
優しくってね。
私はあまり、仁義の世界の映画は見ていませんが、「トラック野郎」シリーズものは、
バス旅行などで放映されるビデオを楽しみました。いやな感じではなかったですね。
可愛い一本気な野郎さんでしたね。
奥様もきっとシャイな可愛い文太さんを大好きだったのでは(?と思いますね)
だから彼とともに、彼に寄り添って生きてきたでしょうし、
奥様はとても良きパートナーだったでしょうね。
奥様のメッセージが、毅然としていて、
菅原文太さんを包み込んでいてお優しい。「彼は、小さな種をまいてさりました」と。

「落花は枝に還らず」とも。
されど 枝に残した一粒の実は、種となって土に還っていったじゃありませんか。
「戦争は やっちゃいけない。原発はいらない 原発なくても良い国つくりはできる。
無農薬有機農業を広め 健康に生きよう」などなど、
小さな種を大切に 熱心に真剣に祈りを持って蒔きつづけながら…。

人生の生き方、虚勢を張って無理しないで、結構自然体だけど細やかな神経を注いで、
やっぱし格好よく逝ってしまわれた映画人のお二人に思いを寄せての呟きでした。

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急に寒くなりました

秋から冬にかけての季節、
高齢者は高齢者の健康対策=難治性の医療関連肺炎の予防対策が
公的に積極的に呼びかけられている。
65歳、70歳、75歳、80歳の高齢者に予防ワクチン接種の公的支援である。
私もご多分に漏れず、保健対策課からの連絡で素直に従って接種した。
する・しないは本人の自由ということでもあろうが、
高騰する医療介護費の抑制対策として、高齢者は高齢者なりに、
そのように健康上の自己管理が必要であり、
日常生活を快適に維持することが重要である。

また、小さい子供たちは子供たちで、
A型溶連菌感染に気を付けないといけないそんな季節の到来なのです。
子育て中のお母様方、ご自身の健康に十分気を付け、
子供たちのちょっとした健康上の異常の早期発見に気を付けながら、
寒さ対策をなさってくださいね。

さてさて、宇宙を仰いでみると、寒空の冴えわたりが美しい。
天体望遠鏡を持って星の世界にいざなわれる人は、
どんな目を持っているのだろうか?
どんな脳の働きがあるのだろうか?と不思議に思う。

七夕の時に時に見える天の河は、七夕よりも8月9月がよくみえるというが、
私には空の変化がまったく解らない。
そしてファンタジーの感動がわからない。
天体のトリップ(ファンタジーを感じる)チャンスを捉えることができないでいる。
あんなに空に近い高い山に登って、夜の星降る空を見てきたのに、
恋の夢物語も語り合ったのに、星たちに思いを馳せることは無くチャンスを失ってきた。
それは、ここ3~4年常に感じる無念さでもある。
飽きることの無い羽ばたきができないのだ。
空気と空の繋がりを感じ取ることができない。

ただ、毎日、ベランダに佇みながら、空を眺め空気を吸い自身の呼吸を感じながら、
少しずつ空とお話をしているこの頃、寒くなってきたこの節、
朝早く朝日を眺め雲の流れを追いつつ、お茶をゆっくり口に運びながら、
呼吸を整え空気を感じているこの頃です。

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