七夕の夕べは、ちょっと話題なシニアマンション風景

7月7日は七夕の日。夜空に見えるとは限らぬ、天の河のお出ましは、在りや無しや?
雲のご機嫌、如何様にあるのやら?七夕の星空は見えない年が多いのであるけれど、織姫星と牽牛星の物語は、概ね「年に一度の逢瀬の日」。
やるせなき絵空ごとにすぎないと申せば、それまでのこと。

幼き幼稚園・保育園や託児所の児童たち、高齢者ホームや病院に入院されている方々にとっては、大切な年中行事として、短冊に願いを込めて笹の葉飾りを愛で、夕食膳には、栄養士さんや給食の炊出しをされる職員さんの工夫や楽しみを凝らしたお膳が運ばれてくれば、それは美味しく、また賑やかな食膳となったことでしょう。
我がシニアマンションの人々もまた、夕食のメニューを心待ちにして、美味しく食したことではありました。

ところで夕食しながらの話題が、今夜7時半~9時頃まで行われる、万博公園での花火大会であり、我がマンションの窓から、まる見えのスポットがあるという情報で花が咲いた(笑笑)。
如何にも今夜、雲が多くなれば二つの星(牽牛の彦星と織姫)は、雲隠れしてしまう恐れある天気予報でしたので、何処でデートを楽しんでいるのやら?
かような雲多き空なれば、二つの星にまみえることは無いのである(らしい…)。
が、万博公園の花火ならば、情熱の火花で雲を追い散らしてくれるであろうし、観覧車を真正面に見据え、打ちあがる花火をしっかり見ることができるというのなら、大きな楽しみである。
と心得て、それまでにお風呂にも入って、お待ちしてよく見える場所に見に行きましょうと、其々に散会したものです。
単純な話であり、しばらくはもう忘れていた話でもあったわけですが、こうした話題の交換は、頭の回転を楽しく活性化してくれるものだな?!ドーパミンよしっかり出ておくれ!そして気持ちよく楽しませてくだされや~と祈り願いながら、しばしの時間待ち。

三々五々とそぞろ集まり始め、花火は7時45分ごろより上がり始めました。
私は自室内で、「さて?どうしたものか?最上階まで行くのも、ちと面倒くさいかな」とぐずぐずしていたら、3間(室)向こうの10歳上のお方が誘いに来て下さり、観覧現場まで行って驚いたこと!!

何?これ?一等席?特等席?万博公園の観覧車がこんなに間近に見えるなんて~!?
遠く離れているにもかかわらず、真正面に大きくドシッと位置し、ネオンに色づけされて、きれいに浮かび上がっているのだから、当に特得席なのだ。花火の打ち上げは、ボ~ンと鈍い爆音の2~3秒後に、火の花となって幾重の絵空が展開される。
華々しき花火ショーに満足度の高い心の高ぶりは、居合わせた後期高齢者の歓声を呼び、その音響は、まるで幼児の声の様に屈託なく響きあい、我らが喜びの声は、こだまして8階マンション廊下を弾けていくのです。
グッときてハッとして顔見合わせて「何よね~恥ずかしい~!いい歳して~!幼児でもあるまいし~!あはは~っ!(笑笑笑笑笑~次第に野太い笑い声になりながら響いていくのだ~) つくづく、よくぞここまで生きてきたわ~。こんな幸せな時間を過ごせるなんて~。ここに住むことにしてよかった~。」
感慨ひとしおの呟きは、可愛くてだみ声交じりの幼な声を発していたように思うのです。

発声の刺激で咳込むわけでもなく、次々と打ちあがる大輪・小輪の連続花火が打ちあがると、高齢者にとっての日常生活動作上の不具合に影響されることなく、億劫で面倒くさい動作なども必要とせず、気楽に楽しめる夏の夜空に始まった万博公園花火パノラマショーは、当に百万ドルの観覧の夕べでありました。

注:伝統的な七夕の日は、8月上旬~下旬頃 と毎年大きく変わるのだそうで、今年は7月七夕の星空がみれるチャンス到来との一報が伝えられていました。
しかし、当日は、東日本~西日本の日本海側は、雲の多い空となり星空を見るのは難しい天気(以上、当日2日前の予報)ではありました。当日は、さすがに雨は降りませんでしたが、天の河を愛でることはできませんでした。

今年もまた、我がマンションのロビーには、笹の葉に紐つけられた短冊が賑やかに彩を極め、揺らめいていましたが、短冊には、戦争の平和を願い、自身の健康を願い、共に居住しあう人々の幸せを願い、恋人が見つかりますように・恋人ができますように…牽牛と織姫の墨絵を短冊いっぱいに描いていたり…私もまた、ロマンチックに願い事を、短冊に記し軒端の笹の葉にそっと吊るしてみました…な、今年の七夕模様でした。

シニアの人たちが集えば、たしかに賑やかになりますね~の話

シニア・マンションに終の棲家として居住を決めて、早や3年が経ちました。

早いものですねえ、あっという間の3年は、竜宮城とは言わないまでも、ほとんどが楽しく心地よい日々でした、ということのようです。

もちろん私の不安定な体調は、色々様々にあり、孤軍奮闘の様相としては
「病気になって、病院受診・しばらく安静」
「動けないほどの脱力感に悩まされ1~2日は我が部屋に閉じこもり」
「転んでしまって脛脚or足首を打っては、何日かは痛みを辛抱していた」
「ちょっと風邪をひいてしまって熱を出したが2~3日で治まった」

そんなこんなの通常、どなたにも起こりうるアクシデントとの共存で、自立行動が可能な範疇でここまでを過ごしてきました。
とはいえ、前回のブログ投稿では、「真夜中の救急搬送の急病」が、ありましたが、基本的には、自立行動をとりながら、館内の守衛さんの協力・援助を頂くことになりましたが、そこが我がシニアマンションのシステムに助けられたということになる訳です。

3年間の生活環境の感想は?ということでは、自分自身の健康状態の維持管理は、大過なく過ごし得てきましたし、マンション内のシニア群コミュニケーションや、そこで働く事務業務や清掃業務や医務室の看護師さんの方々とのコミュニケーションは、きわめてスムーズで、問題や課題の早期発見・早期対応の在り方は、大きな問題になることは、いまだありません。
というわけで、この3年間、幸せ感の中で、高齢域の体力的な不都合を一つ一つ増やしながらも、楽しき我が家(我が身)を謳歌し得ているといえるでしょう。

親しき友・会えば気が合う友・イベント参加で趣味が合う語らい・共同空間での新聞を読みながらの世間ばなし、共有する時間はさまざまにあり、決して単調ではないリズムながら、高齢の私には、混乱を招かぬ不揃いなリズミカルさで自立度を高くして歩んでいるこの頃です。
左様な快適さの中で、私より20歳ほど若年の奥様(H夫人)と、お話しをする機会も多くあり、会えばにこやかに、賑やかにアレコレの話に火がついて、長話にもなる友(居住期間1年)ですが、最近、彼女がしみじみとこの1年を振り返り「ここで生きる今」を居住者の一人として、語ってくださいました。
彼女の許可を頂いて、以下の文面を啓上させていただきましたので、シニアマンション・エピソードとして、お読みいただければと思います。

私が初めてシニア住宅を知ったのは、現在87歳の父の介護を意識し始めたつい1年前(今から2年前)の時ですが、近くにシニアマンションが建ち“生活上大切な食事の試食”ができたので、食事を頂きました。
美味しくいただけたものの、それだけでは居住の良し悪しも解らず、「老人ホーム」のイメージのままでした。

その後、関東でのシニア施設に入られた、ご老人家族の挿話に目が留まり読んでみると、「親が入った施設に通っている間に、自分も気に入って、そこから仕事場に行くようになり、生活負担が改善された」という話を読み、とても驚きました。
なぜならば、「お金持ちの方しか入れない、と思い込んでいたから。そしてそのマンションの住所を確認すると某所ということで非常に納得し、思い込んでいた、老人マンションのイメージとは全く違う、新しいイメージに驚きつつ、これから高齢者の仲間になろうとするご夫婦での生活スタイルを、具体的に思い描くことができ、間もなく関西にできたシニアマンションの全体像を理解することができ、まだ働いている主人の会社近くにあるため、通いがってがよく、またマンション近くに住む高齢で一人暮らしの実父の家からの通いがっても良く、マンションには、好きな麻雀、温泉もあるということで、決定は迷うことなくできました。

それから1年。現シニアマンションでの生活の実際は、80代~90代の先輩の方々と一緒に、フラダンスや英会話などに参加し、朝にはラジオ体操も皆さんと一緒にするなどして、楽しんでいます。日中は、父のところや買い物に出かけ、午後からは、マンション内で行われている、ケア体操などをして、1日の終わりには、温泉に入り身体を温めます。

人前では、裸になることは、今でも多少抵抗がありますが、温泉に浸かっただけで、何もかもリセットされるようで気に入っています。あまりにも今の生活が楽しく、今月(6月)からは、館内のいろいろなイベントのお手伝いをすることにもなりました。

シニアマンションは、結構限りなく「自立」が基本ですし、実際、出費が嵩むことも事実ですが、館内職員の方々(事務職・清掃職・料理人・看護師etc)とのコミュニケーションは、普通のマンションよりフレンドリーで、24時間の見守りなど、ありがたく思います。転居して一番ありがたいのは、漠然とした生活から一変して、年齢を重ねても、次々とやりたいことが出てきて、計画も立てやすくなっていることです。メリハリのある日々を送ろうと、思えるようになりました。(H夫人談終)

 

以上、一住人の方の語りを文面に啓上させていただきましたが、今の世の中、結構何の頼りどころも儘ならぬ、少子高齢社会となり、経済の先細りは、やはり心配の種としては大きいです。
私自身、日々、我がマンションで生活しながら、多くの楽しき良き友人たちに癒され、助けられているのを感じているのですが、息子・親族・友人との往来は、其々が、たとえ遠くに離れていても、ここの皆さんは、何時でも心広くしていて、来なくとも寂しくなく、来ては尚うれしく、という気楽な日々を過ごし果せているように思われるのです。

コミュニケーションの難しさは、実際には多く、孤独な方もいらっしゃります。
けれど手の届くところに、最低限、有償無償の他者の手・声・笑顔・食があれば、自身の動きの弾みとなる、手がかりができるのではないかと、思うこのごろなのです。

「後期高齢の私」真夜中の救急搬送体験

上記の主題は、いかにも厳めしいのですが、何事やら!?興味津々に、ちょっとまあ?!とくとご覧いただきたいお話…私の真夜中の救急搬送体験!ということで、私の体調・何事異変?!に連なるWord=「救急車・救急隊員・我が眼差し」を、少し頑張って書いてみました。

事態は4月初日(April Fools’ Day)の真夜中の2時ごろ…。
我が身の惨事が起こったわけでして…なんとも情けない話。
2週間前くらいから、私は、首の付け根の不調を感じながら、いつものように引き起こされている症状故、これ以上進行しない様、多少の効果的と思われる対処(アイマスクを着用、首は高すぎず低すぎず安定する高さで支えられる様に枕を整え、不眠を招かぬ仰向けの安定した態勢)で、自然の眠りを誘い出すようにして寝たのですが、最近は、どうも体制が安定せず、不眠・頭痛に悩まされ、頸部筋(頚半棘筋~頭・頚板状筋~肩甲骨下の筋群)のツッパリ感は軽減するどころか、結構な痛みを伴い作動もままならぬ苦痛感が強いため、身体のぐったり感は、日増しに強くなってきていました。

後頭部から首筋にかけて、日中、立位だろうが座位だろうが、首が関節の定位置に定まらない不愉快さと、周辺の堪えきれぬ痛みが続くため、居住区すぐ近くにある病院(整形外科主治医)の受診に訪れたら「先生は、今日は診察日じゃないので、他の先生でもよいですか」!!素気無いお返事ではないか?と大いなる不快感があり、私は、素直に帰宅したのが罰当たりとなってしまいました。
(後日、主治医に話したら、そんな時は、僕に連絡をとってもらったら診るから)と、サラッと申し渡された次第ですが、診察を受けずに帰宅するは、首肩痛を解決できたわけではないと、我ながらの馬鹿さ加減に、悲しみと落ちつかぬ不安定な気分で、数日を過ごしました。

日増しに、キンキンに突っ張る頸部肩筋肉の痛みは、肩こり、両腕の痛怠(いただる)さ、痺れ感へと進化し、状態は深刻になってきて、寝起きするときの動作(首をもたげる、水平位置の枕に首を乗せる、体位変換時の左右横臥位~仰向きなど変換の負担が大きくなってきていたので、いよいよ明日は、整形外科受診と思っていた矢先の4月1日真夜中、横たえた体は身動きできず、少しでも動こうものなら、半端ない痛みに襲われ?私は「痛み」の囚われ人となって非情事態を招いてしまったのです。
身体の健康異常に警戒はしつつも、先手打つことを後手にして過ごした結果の「痛みの極感」に至らせ、「自身が招いた責任」と、ひたすら悔い改め、償いの時間となりました。

さて、そのようなわけで、4月1日の深夜、恐怖の「首筋~肩筋の猛烈な痛みと強ばり感」が出現し、我が身を対処できないのを観念し、枕もとのTELで、マンションの守衛さんに連絡を取り、守衛さんから救急車要請をしていただき、初めて救急隊の方々のお世話で、某病院に搬送されたのです。

私のマンションは、日常生活上の自立活動ができる高齢者を対象にしたシニアマンションですが、そこでの入所者の皆さんは其々、多少の健康上の不便を抱えていても、日常生活動作的には、相当に自立できているという前提で暮らしています。
しかしやはり、後期・前期高齢にかかわらず「救急搬送」という事態は、起こるべき時には起こっていて、その時は、全く人の手を借りないわけにはいかず、夜間は守衛さん、日中は医務室の看護師さんを通してその労を取っていただくなど、お世話になっています。

そして今回、私も初めて前述のようなアクシデントを引き起こし、マンションの守衛さんに連絡をとり、救急車搬送の対応が適ったというわけです。
無事、深夜の病院受診を果たし、必ずしも整形外科医ではなく内科医の先生でしたが、Dr.もNs.も、ぶっきらぼうではありながら、懇切丁寧に大きな声で、説明(医療の専門分野外で限界ある事を伝えられ、痛みに対する鎮痛薬処方をして、ここで直ぐ服用して20分ほど様子を見て、効果が出てくれば帰宅することにしましょう)と。
私は、鎮痛剤服用して10分もなく、酷い疼痛魔の退治が徐々に適してきたのを確認できたので、20分後にはタクシーを呼んでいただいて無事帰宅できたという次第でした。

さて、私自身の体験した夜間の救急車搬送による診療受診の経緯のあらましを、話してきましたが、深夜(夜間)の「救急車」搬送の実際(実情)について、ノンちゃんの目線で、お話ししておきたいと思います。

夜中の2時ごろ、守衛さんが手配してくださった救急車が、10分以内には到着し、ストレッチャーでお部屋まで迎えに来てくださいました。
直ちに、私の氏名・部屋番号を確認して、2人の隊員さんが、ストレッチャーを伴って部屋に到着するや、手早い操作と明快な言葉使い、私の氏名・年齢・性別確認、脈拍・私の意識状態も把握しながら、ストレッチャーに乗せるという手順よい手早さ、丁寧で安全・確実なアッという間の移動で、その時生じた揺れによる痛みは、文句を言う間もなく我慢出来たのだと思います。痛みの生じているときは、介助動作時の揺れや振動は、苦痛以外の何物でもない。
しかし有無を言わせぬ配慮が加わった手早さ、移動介助の手際よさには、実は恐れ入り、この身を任せざるを得ない威力と信頼性に、安心感が半端なく加わり、むしろ感謝でした。

患者さまに声掛けをする意義は大きく、緊急の中にもコミュニケーションの在処を示すアプローチが施されますが、そこには専門的なテクニカルの法則は、原理原則からの徹底した合理的で効率の良さを裏付けての作業テクニックなのでしょうか?作業手順の施行に、硬さや不自然さや不合理さはなく、3人の隊員さんたちのチームワークの力が、同化?融和?しているような活動が施されていたように思われ、安心しました。

救急車は走りながら、搬送先病院の受け入れ交渉を続けているのですが、整形外科領域の1~2?次救急レベルの病院を探すのに、何度も断られ、引受け病院が定まらず、一つ一つ消えていくという中で、私に対しては、限りある情報提供と妥協を図るべく情報提供を繰り返し行われながら、時に域外に出てしまいそうになれば、車を止めて再交渉を繰り返すなどしてくださりました。

私自身、今、死と直面しているわけではなく、原因不明の体力消耗が進んでいるわけでもない。
ある程度、明確な痛みの部位・症状が整形外科領域に特定できてはいても、科の専門医師が当直しているとは限らない病院に、交渉しなければならず、加えて患者の希望する病院は、必ずしも迎え入れてくれるとは限らない。

夜間診療・救急対応してくれる病院リストと、患者の居住区の地域性を考慮して、密室で狭い空間の車内で、交渉をし続けなければならず、如何にも不合理といえば不合理であり、かかりつけ医療機関と地域間連携をしていたとしても、搬送患者・家族が合意してくれるわけではないから、時間を要するのです。
むしろ2次・3次救急の対症ならば、ある程度、希望の搬送先を選んでいる場合ではないという緊急性において、有無を言わせぬ病院搬送優先で、患者側・搬送先の合意は得やすいのかもしれない。
この見解は、もしかして誤っているかもしれないが…今回私は、1次救急の搬送先交渉において、救急隊員さんたちのご苦労を、目の当たりに経験させていただきました。

私自身は、まったく救急隊員さんたちの活動のご苦労に、一定の理解をしていながらも、いざの状況になると、今回の経験の時のように、「そこの病院しかないですか?」の問い返しをしてしまっていたのだから、どんなものか確かではない。
できれば他の病院も当たってほしいとの要望をしてしまうのではないか?と思う次第です。
申し訳ないと思いながらも、知らない病院・評判のよくない病院のイメージを持っている場合、隊員さんには迷惑かけると思いながらも、自分の希望言葉を発せざるを得なかった心情があり、自己矛盾を感じてしまいました。

隊員さんたちの役割において、密室の救急車内で、瀕死の救急対応をされるあり方を想像できていながらも、いざ我が身がお世話になるとき、しかも軽症にもかかわらず痛みの酷さに耐えかねる時には、自己保身の労を強く要請してしまう心情に捉われてしまうと、なかなか自制できるものではないのかもしれない…と思って自省していますが……何ともいえないのかな?

今回、救急車内環境の狭き密室の空間・効率的で整頓された設備・実行手順など、救急車を運ばせながらの救命(救急)処置、絶えず観察と体調変化の感知、救急受診交渉および、成立しがたき更なる搬送交渉は深夜に於いて、限られた設備環境・条件の整備の連続、こうした任務のわずかな部分であったとしても、やりおおせなければならないという任務です。
身体活動は、静寂の要請と体力のフル回転の要請に冷静を持って応えなければいけないのですから、その大変さは、今回、具体的に見せていただき体験も致しました。
痛みの限界値を超え、治まりきれぬ身体の不都合を隊員さんたち3人の連携により、貴重な経験を過ごしました。救急隊員さんたちには改めて、感謝の気持ちをお伝えしたい心情にて、記述投稿いたしました次第です。

 

註(参考)*救急隊員は、24時間体制で待機し、119番が入るたびに、救急車で現場に急行します。
1日の大半は、救急車の中で患者の応急処置にあたっています。
近年、多く設置されているようになったAED(自動体外式除細動器)の使用方法を周知していることは、大切な仕事の一つです。

救急隊は、3人1組で動くのが基本で、うち一人は救命救急士でなければならない。

救急車の隊員になるには、消防士として勤務しながら、5年以上または2000時間以上の救急業務を経験し、さらに養成所で6か月以上の講習を受けることで、受験資格が得られる。

シニアマンション暮らし~「高齢者の多様性」~黄昏てこそ面白く~

私が、「シニアマンションに暮らしている」ことを、私の友人達には、好意的に見守っていただきながら、引っ越してまもなく1年を迎えることになりました。生活は安定しており、かかる経費は、まだまだ気をつけて運用をしなければならない危うさがあるけれど、贅沢な出費を避ければ、なんとか持ち堪えることができていて、安定した心地良さを保っています。たまには贅沢を…と気楽に展開してみるものの、図に乗るな!油断大敵!と、多少の緊張感を持って慎ましく、暮らしの快適生活が身についてきたように思います。

年齢を重ねながら示されて来る体力の減退は、日々変動する
体調不良感を加速させ、不愉快さと健康への怯えを意識するようになってきます。こうなると老齢への警戒感が増幅してくるばかりです。同じマンションで暮らすシニアの皆様を眺めれば、1年前よりも住人数は倍になり、程よい速度で増えてきました。それ故、個々人のお顔を覚えやすく、親しく会話も交せる日常です。

我がシニアマンショへの入所年齢は、実は50歳からの入居が可能で、その若さでご入居される理由に合理性はあるように思います。ご夫婦での居住は、夫妻のどちらかが50歳、どちらかが60歳以上の組み合わせも多く、また働き盛りの独身女性及び男性の方は、早い目の老後対策・セキュリティー対策を考えて入居されているようです。シニアマンションの名のもとに、居住者達の年齢幅がある程度、広く設定されているのは「これは良いことでもある」と居住し始めて私が了解できたことです。「シニアマンション」イメージの多くは、「食事は、お粥のような柔らかいものばかりで…。老人食って嫌よね。いつまでも歯ごたえのある美味しいお食事を食べていたいものね~。早くから入ると、すぐ老けてしまわないかしら~!ね~?」この問答が多くあるようですよね。

しかし、これからの社会では、こうしたイメージは払拭していかないといけないと思います。館内の人々の活動エネルギーは、高齢者の鈍麻さというか、テンポの緩やかな漂いは多少ありますが、多くの場合の日常生活状況は、「身体を動かす、声を出す、笑って過ごす、周りの動き・変化に興味を示す」などの活動が継続し、慎重になり過ぎることもなく、時には、住人が「敬遠する大声もあり、面白くないお話を大声で仕掛けてくる」などもあり、そのような場面で困っても、私一人で負わなければならない話ではなく、他の人のお力添えなる「お気楽な声掛け・笑い・まあまあええやないかの受け応え」が入ってくるのです。不愉快さは忽ちのうちに、年期の入った黄昏語録は面白く笑って流し去っているのです!!

ところで、老後をどう生きていくのか?希望的に、準備万端の具えを整えていくのは、何歳くらいの時に具体的に考えていくものだろうか?いやいや自分の人生観を以って生きながらえていかないと…。
私自身、転居するなら齢70歳後半の今が最適の時、しかも夏場前に!と決め転居、このシニアマンションの住人になって以来、日々の生活に対する満足度は高く保っています。この一年、限りなく老いに向う自覚は確実に増え、体力減退の自覚、日々体調不良感で警戒しまくりです。周りの他の住人の方々も、体調悪化・緊急入院など、転居してきてこれからの生活を歩み出したばかりであっても、急な健康上の変化で、人生終盤への覚悟をしているとはいえ、明日はわが身に襲い掛かってくる変化は油断できません。幸い、受け皿であるマンションの体制・仕組みは、高齢者の自立支援の生活枠組みを解り易く提示してくれています。人生の終盤を生きる満足度が高められ、安心できるを担保に、快適であることをキープしたいものです。

ところで、70代が「老いの分かれ道」といわれ、既に子供や孫たちとの価値観は異なり、寂しさと理解されない悔しさを味わうことしばしばですが、世の中の「多様性」に呼応して、シンプルに、老人のカテゴリーの中での多様性と、融和で柔軟なコミュニケーション態度を養わねばと思っているのです。50半ばの方が入居されて、足腰の不都合な機能を杖に委ね自立歩行されていて、時々、「痛みは無いのですか」と尋ねれば、「いえいえもうホントに痛くて痛くて…、自由がきかないものですね~」と、穏やかな笑顔で答えて下さいます。
また、会話の不自由な60歳前後の女性の方は、エレベーター内、ロビー、レストランなどで出会えば、ゆっくりゆっくりお口の形を整えながら、聞き取れる限りの口話で話しかけてこられます。決して媚びることなくご挨拶されますが、しっかりお顔を見てお話を聴こうとすれば、齟齬なく聞き取れて、面白く語られる事もしばしあります。
また、ご主人が時々、廊下中、洩れ亘るほどの大声を発するのですが、この夫婦が、レストランで食事される時、ご主人は大きな声でビールを催促されます。高齢で腰の曲がった奥様は、お膳立てされた食事セットをテーブルまで運び、ビールの缶を開けて注ぐという一連の行動を実行されるのですが、何かにつけて夫さんは妻さんに大きな声で注文されるのです。ご主人のトンデモナイ癖ある注文は、このご夫婦にとっては了解し合っての日々の生活なのであって、何ら問題なく、むしろ、このような関係が無くなると、その喪失感の方が大きな問題となってくるのでしょう。
これが源点となる営みを通して、生かされるままに生きているのであり、「世にも不思議な夫唱婦随」の営みであると思うところです。妻さんが申すには、どれだけ怒鳴られ、面倒を掛けられようが、夫も私の苦手の生活負担を担ってくれているのだと。夫がいないと私は生きていけないのですと。喜びの中で夫を支えているというまさかの不可思議な申し分!!を、周囲の私達は、今では微笑ましく見守っているという状況です。

話を解せば「夫婦の形は如何様にもあるのだ」という事でしょうか? 私達は、結局、住人の人々から限りなく「儚くて面白い黄昏時の人生模様であり、今どきの多様性と受け止めれば、毎日が、可愛くて切ない人生、黄昏てこその物恋しい「多様な生の形」があり、「私自身の生活」もちゃんとあるのだと感謝を思います。

日々、黄昏時の静かなひと時、仲の良いご老人友達とレストランの窓際に身を寄せて食すれば、時は静かに流れ、一日の終わりの無事を「あゝ今日も、何気に楽しい一日でしたね~」で終るのです。

明けましておめでとうございます

2022年寅年を終わり、2023年の兎(卯)年が始まりました。
皆様如何なお正月をお迎えになりましたか? 私は、元日の朝、新年のダイアモンド富士の素晴らしい輝きに希望を託し 良き御年の始まりでありますように とお祈りいたしました。

朝食膳は、御雑煮・お節のこしらえが整い、思わず「ワァ!美しいお膳立て」に喜び、「お餅は喉に引っかけないよう気を付けて食べましょうね。食べるのもったいないわねえ。美味しいわ。」さんざんたらたら、交々の感想を表現しながら頂き、幸せなひと時でした。考えてみれば、このようなお正月模様なんて、私の経験値としては、けっして記憶がないものだから、妙な気分でしたが、ね。元日の始まりはこうして始まり、シニア・マンションの3室離れた10歳年上の高齢のお仲間さんと出会えば、「もう神社にお参りされましたか?」と年の初めのご挨拶を受け、新鮮で清々しくお優しい響きを感じました。何気に有り難き新年が醸す交感を思ったものです。

高齢者集団の中に暮らせば、お高くもなく低く控えるもなく、年相応の所作があって、昔懐かしい空気を感じました。気分はもはや後期高齢を歩む私に閉じ込めることなく、すんなりとこの齢までの「生」に感謝したものです。この感覚、不思議ではあり、また可笑しくもありでした。

皆様の23年の始まりに託す願い事は、何でしょうか? 多様な社会情勢の中で、自分自身を生きていくのは難しいこともありましょうが、今年は卯年!!卯年の特徴は、愛嬌・義理堅さも見せる・ユーモアのセンスがある・起用で要領がよい・等々、そこそこの良き特徴を捉えて、跳ねてみてはいかがでしょうか?

今年も ワークステーション・メディカル事業部の発展を祈念しまして、よろしくお付き合いくださいますよう、皆様のご活躍と健康をお祈り申し上げます。

 

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
よろしければクリックお願いします♪


◎看護師のお仕事探しはメディカルステーション

シニアマンションの住人達あるある話 ≪2≫

シニアマンションの住人は、3月→5月→7月・8月・9月→10月→11月の経過を巡りながら、12月現在に至って、次第に増加してきています。

盛夏となる7月~9月期は、さすがに夏場の暑さが堪えるためでしょうか?お引越しされる新入居者はほとんど無く、例えば、温泉浴場やレストランの込み具合は、2~4~6人程度で、ま、閑散としていると言った方があたっている。時間差を狙っているかのように利用しに来ている状態で、一人一人のお膳が用意されるまでの時間は、長待ちしなければならないというような状況にはなく経過している。今の所、レストランは広すぎて、食事を介して出会う皆さんとゆっくり雑談を交わし食事時間を楽しむという雰囲気作りは、ちょっとできにくいのだろう?!また、昼膳にせよ夕膳にせよ、1時間30分という時間制約を受ける中で食べないといけないのですから、少々急かされ感があるのが、正直なところ残念に思っています。これが、居住者数が増していけば、大混雑が起こって来るであろうし、早食いを強いられはしまいか?と、心配しているのです。

私達高齢者は、何かにつけて動作が緩く鈍く時間が掛ることが多くなってくるわけでして、そうなると高齢者の食事風景は、話なんか交し合う時間もなければ、そそくさとなんとなしに、静かに(無口に)ひたすらに(大雑把で孤独な)食事行動をしなければならないのでは?とやや不自由感を以って眺めているのです。

コミュニケーション(情報交換・安らぎ)のゆとり時間があるというならば、穏やかでゆったりした風景が描けもするのだけれど、そうで無いのは確かで、皆さん楚々とひそひそ話をし、あるいは無口っぽい感じが流れています。もう少しの辛抱だろうね。住人が増えれば、今度はきっと、「もう少し静かにしていただけませんか~?」なんて、叫びたくなる賑やかな食事風景になるのかもしれません。

今の所、静かでのんびりした日暮しの中で、偶然、出会った人々と顔見知りになりながら、挨拶や会話を交わすに至るという事ですが、やがて新しい生活の形に慣れ親しみながら、交流のエネルギーが出来上がってきてコミュニティーの多様性が生まれてくるでしょう。今はまだ、その段階には至ってないかな~?!仕方がないよね!もう少し待ってみれば、高齢者の人懐っこさが、解きほぐされてくるにきまっている。私達の生活が安全であるように見守りお世話して下さる方々の寄り添いに援けていただきながら慣れ親しみが熟成してくるのだろうと、期待しているのです。

そうこうしているうちに、日の経つのは早く2か月にもなれば、否応なく館内(マンション内)で、何度も顔を合わせている安堵感も湧いてくるのでしょうか?これ以上はよそよそしくすることも無かろう、とでも心境が入れ替わるのか、ちょっとしたきっかけで、自然な声かけができてくる。ご安心あれ~と拍手を送りたくなるような安堵の芽生えもあるもので、気分が微笑ましくなるものです。特に、女性の高齢者は、ほほ笑み外交はお手の物。人の認知力・容認力は捨てたものではない と思い直させられることに多々出くわしたものです。シニア・マンションでは、コミュニケーション形成の支援・サポート体制(システム)が準備されていて、その有意性は高いように思われます。

住む人々が、生活上の異変や不便さに立ち往生していれば、何らかの声が寄り添い、手立てを示唆して下さる。(全面的にということではなく、指し示してくれるし、在りかが解れば、その手立てに乗っかることができホッとします)。孤独感から解放され、その柔らかさのある人付き合いに促され、緊張が解きほぐされていくのだと思います。

先日も秋の深まりを感じるこの頃、朝夕の空気は随分とヒンヤリして、身に浸み入るように寒さを感じ冬の到来を意識しました。が、1人だと、思う・感じる・だけで行き止るのですが、直ぐ傍に、顔見知りの、仲良しの、何時もの顔があれば、声になってことばがほとばしるのです。こうして生まれ出る状況は、自分自身の健康状態・今の自分の喜怒哀楽の感情を感じ取れ、心が動くものです。

生きてるね~!爽やかだね~!嫌な季節・冬がもうすぐやってくるね~!

いやいや冬が来る前に紅葉の秋・実りの秋がもうやってきたね~!幸いだね~!

如何なるたくさんの表現が飛び出して、人との交換・共感ができるものやら。

そして、黄昏感に包まれ寂しさも伴って、秋の夜長がこれから始まるという夕刻の5時すぎ、最近仲良くなった私達老女3人は、マンションの1階レストランで、又もやご一緒になり、これで何度目の夕食時の出会いだろうか?と、笑いあう。 夫々の高齢者の心中には、マンションのシステムに助長されて、あるいは、居住空間を共有する親近感を容認する(受け入れる)行動が、自然な形で柔らかく出来上がっているのを感じもして、ほっとしているのです。

 

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
よろしければクリックお願いします♪


◎看護師のお仕事探しはメディカルステーション

シニアマンションの住人達あるある話 ≪1≫

初めに私(後期高齢者)の話 ~お引越し物語~
8階層126戸建てシニア・マンションへの転居は、2022年5月20日、初夏への誘いを感じる緑豊かな季節でした。この新築マンションの売り出しは、2022年1月頃から公開募集が始まっていたようですが、私が知ったのは、3月第2期販売公示の時でしたが、その時には既に10数名の方々が入居されていたようです。

新聞紙に挟まれていた本物件広告を目にした時、即感(なんて言葉あったかな?)「これだわ!コレコレ!!この物件!!!」小躍りしながら、即刻、現地見学を申込み、これにて先ずは一歩前進の行動となりました。後期高齢なる我が身の今後の生き方・過ごし方については、逡巡する日々多く、決断できないままに過ぎゆく流れに永らえていたものです。

経済的に保証できるゆとりが有や否や?!もっと慎重な思考を重ねないといけなのでは? だが しかし…私は一人住まいの独居老人。一人息子は東京に居住で、幼児2人の子育て家族故、その家族との身近な連携は望む由もなし。老後は、”一人気の向くままの自立度がキープして過ごせること”、”緊急・救急への対応、安心がより良く保証された環境に身を置けること”、であれば良いと考えていたので、うれしかったです。当に!!スッポリ・マッチング!素早く見学に…と相成りました。

実は、私は、昨年の後半から体調不良になやまされ、コロナ感染の絶頂期でもあって、体調不良に拍車がかかっていた日々でした。けれどまだ、独居生活に深刻な思いには至らず中途半端に「一人暮らしの不安」事項が、ボリュームアップしてきていたかなぁ…。80歳に手が届く70代後半の高齢者には、予告症状ともいうべく老いへの階段を上り始める前駆症状的な苦痛を気にすることはなく、感じてもいなかったのです。ところが体調ダウンの伸展は、案外、早くてきつく速攻型でやってくるものですね。要するに味わい始めるという間合いがなく(と思いませんか?)ある日、突然そこが痛い、痛くなった…と自覚したら、あれよあれよというシツッコい不調が進行してゆく。抗する力や楯突く気力など、心は萎える方へと動いていくのですから。

身辺の変事の状況に対処すべく頭の回転が狂ってしまうというのかな?静止してわが身の異変を見渡すことなどできず…。しかし不思議に思っていることが一つあって、「冷静であろう」「体裁は保っておきたい」という一つの美意識はそこはかとなく毅然として存在しているものだなぁと。今はそのように思っています。

これまでの私の日常生活は独居であり、比較的便利(駅、マーケット、クリニックは近場にあり)で、息子や我が家に近い親族たちとの関係は悪くなく、生活上の不便はありませんでした。そしてその恵まれた状況を、当たり前の状況のように受け入れて、慣れっこになっていて気付かなかったということになるのですが、突然のアクシデントは、迷惑至極が倍増して心が萎え込んでしまう。

そして、正月明けの今年初め、健康上の異変急変の時を経験した時、息子や近場の親族への救援は、何故か簡単には連絡できなかったのです。何故躊躇してしまったのか?「迷惑が掛かる」「迷惑を掛ける」この心理の方に強く支配されていたように思います。むしろ、体調の困窮時の冷静の装いと覚悟への心づもりみたいな心理が巡り始めてきてしまって、「このままで死んでしまうのかも」「それを受け入れなくて、おちついて自分と向き合おう」なんて、どうにも信じられないような不思議な冷静の在りようで、死ぬかもしれない覚悟を巡らせていたのではないか?と。(今は、馬鹿だな??とも…安直な覚悟だな?とも…笑えてきます。つくづく、馬鹿な思考過程をたどるもんだねと、わが身を眺めているのだけれど、その有様は、不安感からの逃避の様だったのかもしれないね…笑)。

70歳後半の私は、何かにつけて身体全体のダメージ感が大きくなってきているし落ち込みやすい時期にあるのは間違いない。しかし、こうして一応の生活の形が、自立を成しえていける環境の中にあり、命を繋いでいこうと歩み始めているのです。一人であって、独りでない。

シニアマンションの住人達と共に、毎日のご挨拶を交わし、時折の会合、運動、好きな時間のティータイムの時々に集う楽しい時間が、自分の意志の選択で用意されているのです。目の前の不安要因を共有し、負の心理に引っ張られないで、希望的に明るく生きていくわ!と、前向きに捉え、良く動いて、みんなと会話して思考を整えていけるのです。

是は結構、元気をキープしていける源になっていると思えるこの頃であり、やはり感謝なのです。生きる環境を変えてみれば、身近なところに自然に会話できるお友達が居る。無理をせず、その日、お会いできた人々と笑顔で話をし溶け込んでいけば、この命を有意義に永らえることができると思っています。そしてそのような方々が、きれいな笑い声を響かせあっているのです。

今の所、この話が、きれいごとではなく、本当にそのような文化性を大事にしながら、シニアの群れの仲間の一人として、新しい生活に馴染もうとしているのです。よき空気が流れているようです。これからも、良き事、不愉快な事、様ざまに、お話を展開してみようと思いますのでお楽しみください。

 

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
よろしければクリックお願いします♪


◎看護師のお仕事探しはメディカルステーション