第4弾!スリランカの食文化に馴染む

スリランカに行けば、そりゃあもうカリーだな!と言われながら、
旅準備の2か月を過ごすうちに、
スリランカカリーと称する写真を何度も眺めながら、
インドカリーとどう違うのよ とか タイのグリーンカリーと同じやんか とか。

けげんな呟きを旅ブックに吐きながら、楽しみにするようにもなっていた。
何しろブックに紹介されるカリーは、ぜひ一度食してくださいとお薦めされている。
余程おいしいんだろうね。

スリランカの食文化の特性って?
スリランカは多民族国家故、食文化のタブーとも言うべきものが多々あろうに?
生活習慣や風習の故に伝統的で異なる食文化があるのだろうか?
解っておくのがよかろうと思って、ガイドブックを読んでみるも、頭に入ってくれない。
要するに何が何だか頭がごちゃごちゃになって良くわからない。
民族性、宗教など、信仰や伝統的な生活に由来するのだから、
私などの旅者は、要するにかれこれの食を感謝して味わえばよいのである。
そして大いに、食に感激して歓声を上げてみるのが、
もてなしを受けた側の態度だと思いながら現地を旅し始めたものである。

旅の全体を通して 魚・肉・野菜の「焼き物」はなく、
炊く・煮るなどの料理法で尽くされていたように思う。
勿論、果物は新鮮な生もので、バナナ・パイナップル・
蜜柑・トロピカル・スイカなどなど、いつも食べることができた。
1日3食は、ビュッフェ形式で、有機栽培のいろいろな野菜、野草が料理されて盛られており、
私は、大きなお皿に少しずつながら盛り付けていくと、もう一杯に盛つけたから、
食べることができるの?と心配されましたが、不思議とおなかに負担感なく完食しましたよ。
(実は、最後のホテルで、牛肉ステーキを焼いてくれて、ほ~っと息吹き返しましたが。
美味しくてね、体が欲していたんかしら?)

スリランカのカリーは激辛というから、それを楽しみにしていたにしては迫力がない。
ガイドさんがおっしゃるには、「スリランカのカリーは辛くないよ」と。 なるほどォ~!
ホテルや観光地のビュッフェ式食卓には、3種類~7・8種類のカリーが用意されていて
内1~3種類が辛い系。肉のカリー、魚・海老のカリー、野菜カリー、
ジャガイモカリー、豆カリー、などなどのほか、サブ食材に玉ねぎ、にんにく、生姜、
トマト、ココナッツミルクなどが一緒に煮込まれていたように思う。

スリランカでは、健康的で明るくて慎ましやかな人々が多い。
食生活の乱れなんかないんだろうね。
とにかくよく食べているように見えても、ヘルシーで胃もたれなし。便通良しなのだ。
ただ一つ、生水は飲んじゃダメ!! 氷がないから飲み物は温いよ!!

一度、旅すべし!お薦めのお国でございますよ。

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第3弾!今が旅どき ビバ!スリランカ

私たち3婆の旅期間は、4泊6日という高齢者にとっては、初めての旅故、
健全な日数が良いかと配慮したわけだけれど、まあ、あんなに小さな国とはいえ、
国中全体に旅処は豊かにあるんですね。
私たちの専用車は、日産製のワゴン車で乗り心地は快適でした。

スリランカの鉄道網は、まだまだ発展していないため
(一応、山岳地帯、海岸地帯へは整備されているけれど、路線の総延長が短く、
旅行者の利用価値のある線路は限られているといえる。
限られた旅程では車かバスを利用するしかない。何しろ安全のためにね。
お勧め路線は3つあるということですが、
そのうちの一つ山岳地帯を走る(バラデニヤ駅~ナマ・オヤ駅間の景色は圧巻)
セイロンティーの世界に浸る旅列車に乗りました。

スリランカ風高原列車=エクスプレス号とでも言おうか。
まさに今だからこそ体験できる山岳列車は古典的。
乗車時間が約3時間超と聞けばこの長丁場に「え~っ?」
素っ頓狂な声をだしてしまったけれど、まもなく歓声とカメラシャッター音の興奮に。
とにかく面白い。楽しい。目がテン。
満席で埋められ動きようのない列車内の味わい深い空気を、
外国人観光客達と存分に共有できた次第。

どのような山岳列車体験を味わい得たのか?ってぇと、まあ聞いてください。

駅舎は道路から一段引っ込んだ場所にあり、駅には見えない佇まい。
実際あの小屋ってなに?と思ったもの。勿論主要な街での駅舎は立派に整備されているが。
さあ、そこに入ってきた列車はディーゼル電気式機関車。
ブレーキがかかるとガタンゴトンキ~ン・ガチャンガタン・プシューッ!
きっと鉄道マニアなら大喜びするマニアックな機関車でしたよ。

山岳地帯を走る電車は、急曲線、急勾配のためか速度は遅く、このため所要時間を要する。
駅を出発してしばらくは、車内サービス弁当が配られ(お茶や水はサービス外)、
ま、興味につられて食べてみる。
日本の駅弁を想像してはガックリするけれど、ここはスリランカの田舎町、
彼らの精一杯の観光サービスに感謝して食すべきと心得て美味しくいただいた。

徐々に登り坂を上がりながら見る景色は、真っ青な緑(鮮やかな緑)の茶畑。
(列車は元々輸送用に建設されたものらしい)所々で、
茶摘みをする人々の姿も見る事ができ、車では味わえない。
右に左に前に後ろに揺れながら(波乗りしているような揺れ方が面白い)、
駆け上がっていく機関車は、一生懸命私たちの車列を牽引している健気さが伝わってくる。
やがて山の尾根をいきながら雄大な景色が広がり、時には小さな滝や清流の流れが見え、
ヨーロピアンな家々が点在する光景は、絶景かな絶景かな、
悔いることの無い旅ごころを醸し出してくれる。
そして爽やかな風に包まれるというごちそうは、どう言えばいいの?
便利さを所望しない快適な旅、今スリランカはそれに応えてくれている。

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第2弾!!カリーなる(華麗なる)遺産!スリランカの旅物語

スリランカは、その昔
(イギリスの植民地時代=1948年独立~1972年までは、セイロンという国名でした。仏教国ですが、長い間、シンハラ人タミル人(ヒンズ教)との間で内戦状態が続きましたが、イギリスから独立したのち1969年世界で初めての女性首相(バンダラナイケさん)になって、現在の国名に変更されているんですね。それまでは、セイロンの国名で、セイロン紅茶が私たちの時代には、とても馴染みがありました。

スリ : 聖なる(あるいは、光り輝く、高貴な)
ランカ: 美しい島

さすが、スリランカ人の誇りを感じる国名ですね。
こんな由来を聞かされれば、私も好奇心は、
楚々と女旅人となる身を如何様に清め、聖なる身だしなみとすればよかろうに?
心もち高貴な身のこなしを多少意識してスリランカ旅を楽しんだのでございますよ。

ところで首都名は、世界一長く覚えにくいネーミング=スリジャヤワルダナプラコッテ。
(この名前がワカランカ…とは、おバンギャグにもなランカ??!)
スリランカ民主社会主義共和国というからか、
国民の医療費は無料、小学校から大学までは無償で学べ、
幼稚園時より、英語教育を受けて誰もが英語会話に堪能という。
現に、何処に行ってもまずは英語で話しかけてくるンですね。
さらに、教育熱心な一端を垣間見た光景があります。

私たち3人は、旅中、日産の大型ワゴン車であちこちを回ったのですが、
人通りの多い場所でもないのに何故か、バイク人、歩行人が一定の方向に向かっているのです。
動きの止まるあたりに目をやると、そこはしっかり鉄門を閉ざした学校なわけで、
下校時間に合わせて、父母たちだが迎えに来ているのです。
一人一人我が子が門前にやってきて、
一種の歓声が上がり親たちに抱きかかえられるようにして、校門外に出ていく。
この光景は、当初異様な感じをうけたが、そのうち慣れてくると、違和感なく一つの悟りを得ました。
何処の国、どんな人種、どんな宗教者であれ、
世界の親たちの共通する原風景なのだと悟りましたね。
勿論スクールバスがあるので、それに乗って帰る子もいるのですが…。
(スリランカは、あらゆる宗教を穏やかに受け入れている国で同居しているのです)
国営の学校の制服は、全国すべて白く、男子は上衣ワイシャツ、下衣は民族衣装の巻きスカート、
女子は、何とも言えない可愛い民族衣装のデザイン上衣で、下はギャザーかプリーツスカート。
とても可愛かったんだから…。

世界の国々が観光立国化して、
スリランカもご多聞に漏れず観光客誘致の積極的な開発事業が展開しています。
スリランカ言語は、シンハラ語とタミル語が公用語ですが英語も公用語。
外国人には便利といえば便利です。
英語力は国の繁栄をもたらす重要な資源・財産であると、つくづく思い知りました。
国が、風物の遺産価値を高め、有機農作物やエコ資源を駆使して観光誘致施策を進め、
経済効果を高めるのはいいけれど、どうか、それ故に、
昔から引き継がれてきた国の存続性(国民のアイデンティティー)に知恵を凝らし、
世界中一律化しない良き意味の格差を誇りとし、人の質が変わらないようにと願うものです。

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カリーなる(華麗なる)遺産!スリランカの旅物語

3月半ば、約1週間のスリランカ旅行を楽しんできました。
素敵な旅でしたので、しばらくこのブログで紹介させていただきますね。

スリランカは、北海道よりもわずかに小さい(約62710K㎡/北海道83424K㎡)
島国でインドの南東部の下に位置し海に囲まれていて、8つもの世界遺産が登録されている。
紀元前5世紀から、シンハラ王朝が遷都を繰り返してきた証となる
ユニークな遺跡が歴史的価値を高めており、それぞれの遷都跡に立ってみると、
気のせいかもしれないが、当時の息吹を感じさせてくれる毅然としたものがありました。

歴代の王さまが、遺産として残してきたもの、農民のために造られた人工湖が、
あちらこちらに点在しているのですから、
改めて、私が育ち住み慣れた和歌山・奈良のため池に思いが及び、
確か農家の田んぼの渇水を防ぐためとは聞いたことがあるが、
王様とかお大名様などが関与したため池の由来を知らない。

貧困国から中進国への経済発展を目指して、
あちこちの道路工事や建設工事が多く行われていて、
まだまだ発展途上の自然環境の豊かさがあるようにも思われたものの、
4~5年後には、牛・象・犬・猫・アヒルやのんびり行き交う人々の風景はなく、
土の上を裸足で歩くこともないアスファルト路上を、
車・バスが行き交ったりしているのだろうか?なんて感傷的になりました。

そこかしこに生きる人間の群れ、動物、植物にいたる自然の命のなりわいの
全てを静かに受け入れ、すべての動物たちが、自然環境の中に共存させているようで、
旅行の行程距離は相当にあったけれど、何事にも急ぐ(急がせる)、
排除するなどの空気は感じられずに穏やかな時間を過ごすことができました。
また、子供たちや若者が至る所に大勢おり、国力の確かさを感じたものです。
どの人々を見ても、目が大きく、瞳がきれいで、微笑んでくれるというのですから、
何故か癒されるという快適さ。
お国柄でもあろう人間の質に触れ、なるほど、
アーユルベーダ発祥の由来がわかるような気がしたものです。

初日、コロンボ国際空港に到着(午後8時)してまもなく、
三婆(80歳、70歳、66歳)は、ハンサムで瞳がきれいに輝き、
日本語でスルーして下さるガイドさんと一緒にニゴンボのホテルに移動しようとした発車直後、
インド副首相のお帰り車列と遭遇して40分ほどの交通規制を受け、
ホテル到着は11時過ぎになってしまいました。
9時間の飛行と不満のはさみようのない国情に身を置くころは、さすが疲労感もピーク。
ホテルでは、一時停電にさすが驚きましたが、5分後には復旧。
シャワーしてそのまま眠りこんだ次第でした。

夜気は、クーラー止めていても寒く、風邪には用心!健康に注意して!
三婆たちは、わが身の程を心得て、毛布を足して寝ましたよ。

この後のブログ楽しみにしてね。

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習慣化するプロセス体験が大切

一週間前から既に、花粉の飛ぶ季節になったとの
注意報が流れていたにも拘らず、
感知する閾値が低かったのだろう(?)、
2~3日前から急きょ、鼻腔のむず痒さに襲われ、
ハクションの連発が始まった。
この後、鼻腔粘膜の浮腫と鼻水に悩まされるという進行を来さない前に、
ともかくも対処しなければならないと、現在警戒中!(半ベソ顔)

先日、一人の子育て中のお母さんから、
「人を育てる」ってのは、「習慣を作ること」なんですよね
と問いかけられ、それは、ず~っと昔、幼児教育の講義で受けた懐かしいフレーズではあり、
改めて新鮮な響き(この年にして、抹香臭い古典的な言葉に共鳴したかぁ~)で受け止めた次第。

つまりは、生活習慣を身に着けるということなのだけれど、
ここで各家庭の個性ある「子育て習慣」が展開されることにもなるのでしょう。
若いお母さん方の多くが(もちろん私自身の体験でもあるが)、
「何度言ったらわかるのよォ~」とは、わが子育て中の母の嘆きの言葉。
この嘆きの言葉発信そのものが、習慣化するという皮肉な現実があるものです。

何を伝えたいのか?なんですが、毎日毎日の生活習慣の促しが子育てなのであり、
何度も繰り返される促しが、ある一定の(飽和状態の)ところに来ると、
一気に解き放たれて「当たり前化」するという。
そういうことだから、1回1回の促しは、同じことを同じ位置で繰り返すという短絡ではなく、
確実にゴールに近づいていると受け止める必要があるのですね。
保育所、幼稚園の先生方も「育児・養育・教育を嘆かじ」の努力が実を結んでくるというものです。
注釈ながら、マイナー発信を、毎日毎回やっていると
「ゴールしなくてもいい」と言っているようなもの。
もったいないエネルギーを使っているとは思いませんか?

こうした目線でみると、お若い、経験不足の看護師・介護士さんの
人材育成に関しても、言えることではないかと思いますね。
繰り返し何度でも教えるのは、ゴールに向かってゴールに達成することを目指して、
職務・技術を確実に身に着け、習慣化を図ることの大切さを受け止める必要がありますよね。

話は変わって、今日、会社に出勤してきたら、植木職人さんが、
観賞用に置いてある大きな木に茂る小さい葉っぱの一枚一枚を、
柔らかい布でふき取っているのです。
私が「そんな小さな葉っぱの一つ一つを拭いてあげるなんて大変ですねェ」と彼に声かけたら、
「いいえ、このようにしてやらないと葉が土の中にいる
小さな虫達に喰われて萎えてしまうんです。それに葉が青々としますから」と。

何事も「育てる」というのは、ゴール(どうあってほしいか、どうありたいか)を受け止めて、
それに向かって飽くことなく促しの手立てをしてやることなのだと思った次第です。

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楽園!温泉湯けむりの苑庭と野生の猿たち

今話題になっている野生の猿たちの
「寒を温め、ほほ笑みの湧く」観光スポット。
話題性は外国人観光客のほうが、断然人気スポット。
冬場につよ~いあの寒い雪国=地獄谷野猿公苑は、長野県下高井郡山ノ内町にあるが、
志賀高原を源とする横湯川の渓谷にあるという。
何しろ、野猿の公園として1964年に開苑したそうであるが、
その趣旨は「猿と人間の共生を観光客に見せる」国際的な観光地になっている。

標高850mの山深い所(?かどうか)だが、野生の猿たちが1mを超える
積雪の冬山から下りてくるとそこは露天風呂の温泉であったという設定になる
地獄谷温泉(縦4m、横10m)を開放している。
なぜ露天風呂なのか??
開苑のころ、近場にある旅館の人用の露天風呂に仔猿が入浴し、
それを見て大人猿が真似をし始めたのがきっかけらしい。
まさに猿まねの原点というべきか?
観光客と猿が共にそこに(雪が舞い散っていてもである)共存している光景は、
誰が見ても「寒を温め、ほほ笑みの湧く」ハイライトな観光地であろう。

不便な道のりであっても、年間観光客は10万人を集客しており、
夏冬区別なく野生のニホンザルを観ることができるという。
観光客の多くは(老いも若きも幼児でさえも)、
「野生の猿って、もっと怖いと思っていたのに、全然可愛くてアメージング」と、
カメラのシャッターを下ろしたり、湯につかっている猿を身近に眺めたり、
傍に寄り添ったりしながら、誰もが温かいほほ笑みの表情でくつろいでいる。
あぁ…!素敵な眺めだなぁ!!

この秩序は、どのようにして形成されているのだろうか?
実は、観光客に対しての禁止事項がある。
最も厳禁なのが「餌づけ」。
見学者には、普段の猿姿をじっくり観察していただき、
餌欲しさの人を怖がらない猿になるのを防ぎ接触事故を防いでいる。
他に「猿を触らない」「猿からなるべく離れて観察する」
「猿の目をじっと見ない」「猿に馴れ馴れしくしない」
「猿に話しかけない」という禁止事項があるが、
これは、猿が半野生状態のため観光客には無関心であり、
ルールを守れば襲うことはないと。
野生の猿たちの荒々しい接触被害は多く報告されているが、
こうしたルールを徹底していない。
餌づけの禁止により接触事故を防ぎ穏やかな観光資源を確保しているようだ。

余談ながら30数年前、水彩画を楽しんでいた時期があり、
ある写真家が冬山の野猿を写した特集を見て模写絵を描いたことがある。
いろいろな猿の生態(動き)を写していて、可愛いのなんのって、
私は猿のいろいろを一つの画面に集めて野猿の楽園を描いたものだ。

人間社会の人種問題は、まだまだ共生秩序が成り立っていない。
どんなルールにすれば多人種の共生が図れるのだろうか?
今、曽野綾子さんの産経新聞コラムが悩ましい問題提起している。
医療介護の現場は、今後グローバル化してくるが異文化の共生を考えておこう。

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私にもタブレットが使えます!

昨年12月末のこと、息子が東京での仕事終いしたあと帰郷して、
こんなことを言いました。

「お母さんの認知症予防に、
タブレットを使って頭の回転をさせればいいから」

というわけで、大手電気器具販売店に行って、
「お母さんにはこの程度の機能があれば混乱しないで使いこなせるから」
と、タブレットの機種を見立てて買ってくれました。
息子の簡単な説明に、解ったのか解らないのか、
何がどうすればいいんだか判らないままに
「わあ~うれしいありがとう」なんて言っちゃったりして、
息子からのプレゼントにうっとりして感激にボ~っとしておりました。

とりあえず頭を回転させるゲームとラインの使い方をマスターしたものの、
操作に時間がかかり、発展的な操作ができず、
息子にセットしてもらったままに機能させていたわけです。
ところが発展的操作ができないと、タブレットはもうすでに面白くはなく、
単調な器械具でしかなく、そのまま放置されることになるのでしょうね。

そこで、先日から、パソコン教室アンドロイドコースに
通い始めることにしてみたのです。
よく解らない専門用語ついて説明を受けながら、
操作するという方法で習い始めましたが
これが実に、驚きの興味深々目線になって、知れば知るほど、面白い!!
タブレットの命が生かされてきたこのごろと、相成りました。

タブレットの便利さは、大きすぎず小さすぎず、
自分の身の程に応じた大きさを選ぶことができ、持ち歩きが便利。
何しろパソコンよりも起動が速いし、バッテリー寿命も長い。
見やすくて画像がきれい。
単純なゲームだけでなく、ニュース、書物、ミュージック、語学、
等々が引き出せるのだから、バリエーションに富んで楽しく遊べる。

いろんな形での頭の回転ができて面白い。
今はもう寝床にまで持ち込んでしまうという、
少々お宅人間になりかけているのだろうか?
いやいやそこまで本物にはならない程度に楽しめているということです。

高齢者にとっては、自分の興味の方向に探索できるのだし、
それに伴って頭も働いてくれるはず。
世界は広がっていくものだなあと思うし、いろんなジャンルに飛び込んで、
視野も広がってくるという期待が広がる。
などなど、決して悪い道具ではないと思われる。

これからは、タブレットの時代がやってくる
といわれてもいるようでもあり、
「私にもやれる優れもの」と認識できたので、一つお勧めした次第です。

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今、このメッセージで喜びたい<あっぱれ!!白鵬>

世の中、何か制するモノがあって、気持ちよくは
<あっぱれ!!白鵬>とは叫べない。

何か制するモノ!? 大変な事件だ。
イスラム国と称する兵士の族???に
捕らわれの身となった後藤健二さん、湯川遥菜さん。
常に残忍な恐怖の映像・メッセージを轟かせ、
即断的に人間の生命を絶滅させているのを、
どう表現し弾劾させていいのか?
政府が、交渉ルートとして、ヨルダンを介して、トルコ政府に頼みの綱を繋ぎ、
積極的に慎重に救出・開放交渉をしているニュースは、
既に私たちの知る範疇にあるけれど、実態の詳細は解らない。
直接的に、トルコではないというところに、日本の政治的思惑があるらしい。
安倍首相がイスラエル訪問中に事件が勃発し、安倍首相は独断で即、
ヨルダンに外務副大臣を派遣していて、政府対応の速さを演出しているのだけれど…?

ご存じのとおり、トルコは一貫して、アメリカの軍事作戦には反対しており、
アメリカと親密関係にありながらも、一線を画している。
その姿勢は、中東にあって軍事行動を回避して
自国民を守っているのだから、すごいと言わざるを得ない。
いずれにせよ、せめて後藤さんの生命だけは、救われてほしいと願うものです。

話は変わって、白鵬の33回優勝はとにかくすごい。
大鵬の32回でさえ塗り替えられる数字ではなかったのに、
彼はそれが尊敬する大鵬への恩返しとばかりの執念により、塗り替えてしまった。
最近の彼のコメントや態度に疑問が提されているが、
一つ相撲協会に物申したい心境が
根強くあるのではないかと思われるのだけれど、どうなんだろうか?

大して相撲に熱心な私ではないけれど、
小さいころから馴染んできた風物なものだから。
そして、あの鍛えられたからだが柔和できれいなのだから、
どうしようもない。
文句なく、白鵬に絶賛!!

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心の平和を求めて…!

今はもうすでに忘れ去っていた感動になっているのだけれど…。
この頃時々、20代に読んだアン・モロウ・リンドバーグ夫人の
著書「海からの贈り物」が、頭をよぎることがある。

海辺に打ち寄せられた貝殻たちの一つ一つから、
自由で開放的なメッセージを悟り受け取りながら、
静かな感動と感謝の眼差しで著者の言葉が私たちに届けられる
(とは、私流の読後記憶になっている)。

波音の中に漂うことに飽きず時をともにしながら目覚めていく。
そして静かに思考を引き寄せて、私たちに思考の波音を届けてくれる。
恒久的な関係などというものはなくて(中略)。
…凡て生きた関係は変化し拡張しつつあって、
常に新しい形をとっていかなければならない(後略)。

決して難しい本ではない。
波打ち際に打ち上げられた貝の一つ一つの
生命力を蘇らせてくれている。
静かではあるけれどエネルギーが周っている。

私は、幼年期を海辺で暮らしている。
幾種類かの貝を集めて、飽かず眺めていたのに、
どんな感動が湧いたというのだろうか?
数多く、種類多く集めたことに悦を感じ入り、
打ち寄せる波と戯れていただけの時を過ごしたというのだろうか?
海に遊ぶ時の反復を意に介せずに…すでに忘却なのである。

そして今、東日本大震災のあの津波の偉大で
不気味なエネルギーの前に、なすすべもなく立ちすくみ、
その後の復興に政治の手は必ずしも丁寧に
いざなってはくれないけれど、そこに生きる、
そこに行きたい懸命の自分たちのエネルギーで、
自由に健気に復興させる生命力がみなぎっている。

今になって、私の心が目覚め働き始めようとしている。
心の平和を求めて…。

阪神大震災から20年の1月17日、
改めて、思いを新たにしてお祈りを捧げます。

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羊の功名・未年の光明

羊=ウシ科の哺乳動物で、繊細な長毛が密生していて、風体が愛くるしい。

こう言っちゃあ羊さんに失礼というものだが、
毛、肉、乳、皮革 と用途多幸(広)な私たちにとっては身近な動物なのだ。

改めまして新年あけましておめでとうございます。
今年も皆さんとともに、元気に楽しく頑張りたく思いますので、
よろしくお願い申し上げます。

新年の天皇陛下のご挨拶は、私なりに心を動かされました。
天皇陛下のお言葉の端々に、厳かな響きをもって、
犠牲となった先人の死に深く思いを寄せて述べられていたのが印象的でした。
「戦争」への思いは、ず~っとぶれることなく
真摯に受け継がれてきていらっしゃるのだと思います。

「戦後70年」をどう受け止めてこの1年を生きようとするのか?
不毛な戦争へと嵌まり込んでいった工程は、
なんとも不可解なまま70年の戦後歴史を認識することになるのでしょうけれど、
後ろ向きにとらえるのではなく「平和」を希求し続けてきた70年ではあると思っている。

ただ、社会とか国家とかの中に群れていることにもなる私たちは、
人間の癖というべきか特性というべきかなんだけど、群れて社会の中に居ると、
横との関係、他と異なる自分に社会(群れ)とつながらないことが不安になり迎合してしまう。
多勢の意見意志に服従してしまうってことに向かいやすい。
異を唱えることは何倍もの勇気がいることなのですから。
「流されてついていくだけの人」にはなりたくないけど、
ある意味心地よいぬるま湯に浸されていると、
引き上げるべき時や善悪の問題意識が分からなくなってしまうのだろうね。
戦争に嵌まり込んでいく工程は、いつの間にかある日突然、
すでにそういう仕組みになっていたということなのかもしれない。
それは怖いことなんですよね。
やはり、この1年、敢えて、戦後70年の歴史を知得して、
価値観・歴史館、世界観の構築に努力しなければならないのだと思います。

羊の長毛の暖かさに浸り優しいお目目に惑わされることなく、
私は何を思う?を問いかけながら、未年の光明を見出さないといけないと思います。

新年早々のご挨拶は、こんな文章から始まりましたが、
皆さん!健康で明るく穏やかな年にいたしましょう。

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