子どもの歯磨き時の、ヒヤッと事故と安全対策

子どもの歯磨きで事故が続出しているとの見出しに、目が注ぐ。
懐なるかな!

そんな思いで読んで見れば(4/21/17  読売新聞 要約)、
子どもが歯ブラシを銜えたまま遊んで転倒する危険が伴うため、
おやが寄り添うなどして、事故を防ぎ上手に
「歯磨き習慣」を身に付けるのが良いとのアドバイスあり。

実際、子育て中の母親は、「2歳の次女が、歯ブラシを銜えながら
遊びまわることが多く、危なくて目が離せない。
5歳の長女も以前、歯磨き中に転びそうになり、
「怪我でもしたらどうしよう」と心配していたのだと。

消費者庁による事故情報は、2010年12月以降6年間で139件。
内、3歳以下の事故件数は124件と圧倒的に多い。
歯ブラシが、喉の奥や頬の内側に刺さって、入院した子供もいる。
と聞けば、確かにヒヤッとする。

最近、安全対策を施した歯ブラシも考案・商品化されてきていて、
幼児向け歯ブラシは、ハンドルをシリコン製にし、
左右に柔軟に曲がるようにしていて、万が一の際にも、
口の中への衝撃を従来より95%減らすことができた。
一方で縦方向には曲がりにくくする工夫がされていて、
歯をしっかり磨けるようになっているというから、
商品開発や安全は随分と進化しているわけだ。

遠くの昔に、子育て覆えてしまっている私としては、
身近な話ではなくなっており、
安全な歯ブラシの現状には全く関心を寄せていなかったが、凄いっ!
安全の商品化は、優しく逞しい商魂に支えられている
(でなきゃ、勝ち残っていけない社会だよね)。

子育て中のお母さん!小児病棟の看護師さん!
子供を対象にした施設で働く方々!
虫歯0に向かって、子どもが自分で、
「安全に、きちんと磨ける」歯みがきができるように、いろいろと工夫を凝らし、
安全性を高め環境整備をしながら、生活上のしつけ、
支援、介助、をしながら、事故のない子供の成長を願っているよね。

便利すぎるのは如何なものか?ではあるけれど、
健康への誘いが安全できちんとした技を習慣づけられれば、
子育ては、楽しく安心だわ と言えるのかな?

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未来の光:希望の構築

2017年4月10日のニュースによると、
国立社会保障・人口問題研究所(厚労省)が2065年(50年後)の将来推計人口を公表。
人口減少と超高齢化の進行に歯止めはかかりそうにないとのだと。
5年前の推計に準じてそのような方向にあるという。
が、65年には、出生率1.44、平均寿命(男性:84.95歳、女性:91.35歳)と見込んでいる。
年齢層別では、65歳以上の高齢者数のみ増え続け、42年でピークの3935万人に達し、
その後は全年齢層で減少し総人口は毎年100万人近く減っていくと推計している。
15年の高齢者の割合は26.6%⇒25年30%、65年には38.4%(4割近い)に達するが、
重大なのは、15~64歳の現役世帯は、
15年60.8%⇒65年51.4%(4割減)と見込まれることだ(毎日新聞からの要約)

これを「未来の光(国のエネルギー力)と希望」が見えるてくるかどうか…?
(政策的な問題で見ないで、ひとりひとりの自覚、捉え方にかかってくる問題だね)

折しも今日(4月11日)、フィギュアスケートの浅田真央選手が引退を表明。
華やかさと愛らしさと勤勉さで、若い後輩たちの目標のシンボルとして
滑り続けてきた競技人生に区切りをつけた。
ブログで前日の夜遅く引退発表して大騒ぎになった。
翌朝衝撃ニュースとなって多くのコメンテーターが彼女の引退を惜しんでいる。
泣きの織田信成のコメントは、「ちょっとしっかりせェ~ッ!!」みっともな~い。

まさに真央ちゃんと信成くん「希望の光と冴えない影」というべきか?
真央ちゃんに不似合いな情けない「ゆるキャラコメント」でした。

さらに登場する話が、遠隔操作のロボット技術。
ロボットの研究開発、技術開発は、びっくりするほど速い。
緻密さが増し、細やかな動作が作動する。
今はまだ心優しい人間の温もり(皮膚の触感)が
感じられぬロボットを受け入れきれないが、開発を進める大学での研究は、
好きこそ(好奇心と探究心)エネルギーの源なのだ。
{力触覚}と呼ばれる技術の研究に没頭する准教授
(某産業技術総合研究所プロジェクトリーダーでもある)は、
「人間の力強いけど優しく、器用な動きを再現したい」と、
手術支援ロボットなどへの応用が期待され、実現化を目指しているという。

少子化・労働人材不足に頭を悩ましている日本国としては、
未来への光として希望的な興味を深くしてみることができると期待が高まる話かな?

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折れない心の源=健康観の核心

「健康」について、気にはなりながらも普通に暮らしていた人が、
ある日突然、自身のこと、夫・子供・家族のことで、
不治難治の病気や障害を持つにいたった事故などに遭遇したとき、
途方もなく打ちひしがれ、死のうとさえ思う。
また、とりあえず回復はしたものの、生涯、
症状の不安定なぶり返しなどに悩まされながら生きていかなければならない、
という状態を、わが身は何者か?わが身をどのように支えればいいのか?
悩みは大きく深い。(と、そのような状況を想定はしてみることはできる)

でも、驚くべき生命力というべきか…!?
私の身近にも、あるいは新聞や出版物、
TVインタビューやドキュメントで紹介される方々は、
一様に「この病気になったから、この病気があるから、
この事故にあいこの障害をもって生きなければならなくなったからこそ、
これは神様が私にくれた試練なのだと受け止めて前向きになれば、
多くのことを学びえる人生の喜びがあり、生きることができる。」と語られている。

嘘ではない。だから余計に恐れ入ってしまう尊いことばとして響いてくる。

そして「健康」なのである。
WHO(世界保健機関)定義では、
「健康とは病気でないとか弱っていないということではなく、
肉体的、精神的、そして社会的にもすべてが満たされた状態」とある。

つらい経験(強いストレス)を糧にそれをバネにして高い健康状態で生きることができる。
つらい経験に耐えるということではなく、自尊心や自己肯定感を高め得る、
柔軟な心の在り方や考え方を養えば、健康が生成されるという。

全くそうだと思う。
ではあるけれど、それは苦痛の経験途上にあって
悩む人ではない周りの多くの人々に関わってくる問題だと思う。

当事者を避けず、見ぬ振りせず、当事者のありのままに関心を寄せることから始まり、
何らかの光(対話)の経験を積極的にもたらしていくことだとつくづく思う。
一つでも多くの対話の提供は、時にはしくじることもあろうけれど、
当事者の自己経験の言語化を導き出せば、
当事者への柔軟な心を自らに導き出せるようになり、
私たちの助けをも受け入れてもらえるようになる。
要は日の当たらぬ、日の当たりにくい人たちへの向きあい方が、擬古地ではなく普通に、
お互いに「折れない心」をやしないあえることになるように思うこのごろであり、
私の気遣いがそのように向き始めている。

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教育の出発点って何だろか?中身が見えない外見の装い

学校法人森友学園って知る人ぞ知っていて、だいぶ前からそれなりに名高くあったのでしょう。
幼稚園、保育園を運営する私立の学校法人ということのようです。
安倍首相夫人の名誉校長就任問題が浮上して、初めて耳にしたわけであるけれど、
急遽、問題の渦中に立った安倍首相夫人は、のんびりと呑気なコメントをしていて、
しかも幼稚園教育、申請中の学園教育の趣旨にいたく感動・感銘されている。
公人私人を問うまでもなく、しっかり広告塔として強力な集客力のメリットを引き出しているのに、
何らそのことの国民全体の公平性に配慮不足の感覚は持ちえていない。
夫が、日本国を背負って立つ「首相」という公人。その夫に常に寄り添う夫人は、
日本の鏡的に期待される内助の功であり、
言動が注目される立場を自覚されていると思っていたのだけれど…??
すり寄ってくる人々には、「一事が万事」の心持で神経を使っていただければなあと願うのみ。
従来の首相夫人方より活動の幅は広くノー天気なキャラが受けて人気者であった彼女が、
ショボク見えてくるこの頃。結構心臓は図太く座っているのかもしれません。

それにしても、森友学園の幼稚園の教育コンセプトは
「笑顔とやる気、元気いっぱい、自信の持てる子」。
日本の将来を担う人材を育成します。
と謳っているのですから、外見の装いはご立派に見えてしまうし、
共感を覚える人も多くなりますよね。
しかし!しかし!教育の運営、教育の中身、実際は、入園して経験してみないと解らない。
理事長とその一族は、乱れを見せない統制された国家観、教育観、児童観で、
堂々と披瀝して他の言質を受け付けないで運営している。というこの不気味さ
国有財産の払い下げを、国家のルールに従わないで、
法治の例外にしてくれと懇願する教育者である実態は、なかなか外にはわからない。

遅くなったが、折しも3月8日は、「国際女性デー」。
1904年3月8日、アメリカで女性労働者が婦人参政権を
要求したデモが発端となって1975年に国連が制定したもの。
その目標は、世界の女性たちの潜在能力をフル解放することにある(簡単に要約の切り取り)。
そして3.11東日本震災の復興は、まだまだ息絶え絶えの復興事業に託して、
被災地の皆さんの命を守りながらの厳しい復興途上にある。
ということを国民全体が意識しなければならないこの時期、安倍首相夫人(昭恵女史)には、
こんな騒がれ方に沈黙しないで、もう少し力強い、
国民感情に沿ったメッセージ性のあるパフォーマンスを取って欲しかったと。
私は、今なお、女性として残念な思いをひきずっている次第。

看護活動は女性の潜在能力をフル解放できる職業。
しっかりと社会ニーズに応えながら、自己の達成感を味わっていきましょう。

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「割れ窓理論」の諭からの智恵の絞りだしが難しい!

2月9日の毎日新聞「余禄」欄に、「割れ窓理論」=
窓ガラスを破れたまま放置していると、その街区の荒廃が
どんどん進むというという理論であると、
釘原直樹氏の著書「人はなぜ集団になると怠けるのか」(中公新書)に紹介されており、
社会規範の崩壊は、環境を介して、人から人へ伝染していくという。

へえ~っ!ちょっと面白い!と思って調べてみると、
「割れ窓理論」を創り出したのは、
心理学者フィリップ・ジンバルド
(1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証)。

その結論は、
「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、
自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。
その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染する」
と論じていて、了解できたものの、意外なところに発展していて、少々怖い。

ネット上から導き出したところ、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングは、
1972年に、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、
凶悪犯罪を含めた犯罪抑止ができるとする環境犯罪学上の理論を考案していて、
実験例を示しているし、他に別の学者たちが何例か実験例をしめしている。

時同じく、ニュースになった「万引きをした人をネット上に公開したり、
店内に明快な万引き者の写真張出し公開」など。
その対策を敢行した、社長さんや店長さん達の言い分は、
「考えて考え抜いた対策だ。こうでもしないと、犯罪は決してなくならない」
と真剣に怒っているが、表情は爽やかで堂々としている。
周りのお客さんや通りがかりの人たちへのインタビューでは、
「ちょっとやりすぎでは? ここまでやらんでも」という意見が圧倒的に多いが、
毎日その被害に合わせ続けられ、ごそっと何十万もの品を持って行かれるのは、
確かに堪ったものではない。背景には、社員に責任が及び、収益にも損失を被る。
最近の世情から、無くせない、防止できない、こんな犯罪が増え続ける状況は、
この対策、環境犯罪学上の理論に裏付けされた抑止対策であろうか?
賛否両論あれば、「では、どうすれば改善されていくのか…」と問いかければ、
ホントに対策は困難なのだと思う。

悩ましく深刻な賛否二分する社会現象が現れまくってきているようで、怖いなあ~!!

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2016年の終わりに

申年ではあり、少しは、年女としてこの1年をどう生きるか?
意識しながら過ごしたように思います。
子供が地上にもたらすものは、さまざまではあるものの、
それぞれにお母さん、お父さんの喜びと希望の中に生まれ出でてくるのですが、
この世には既に高齢者族が加速的に増加しており、はたしてグローバル化の中で、
価値観の修正までも試みながら、高齢者の多くは、ざわめきながら落ち着かない
この世の趨勢に足並みをそろえて歩んでいるようにも見えて、
自身の心が少しばかり白々しくなります。

しかしまあ、昨日は厚生労働省の発表によると、2016年の人口動態統計の推計では、
今年生まれの赤ちゃん数は100万人を下回り、
98万1000人と死亡数を31万人以上も下回り、人口減は加速しているという。
(既に以前から予測されていたと言われれば、そうなのだけれど、
なかなか一向に子育て支援対策が及ばないのですかね。
住みにくい世の中…みたいな実感もしてくるのですが、この際、
やはり、真剣に深刻に受け止めて考えてみようと思っているのです。
(遅まきながらということですが、年末に帰郷する息子たちと、
デイスカッションしてみる機会でもあるかな?)

2017年が、よきお年となりますよう、皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げ、
今年の私のブログを締めくくりたいと思います。
2017年もよろしく、おつきあい下さいますようお願い申し上げます。

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~世界的な高齢化社会の流れ に抗して叫んでみると~

国際労働機関ILOの報告によると、高齢化などで、
医療・介護の需要が世界的に増大しているという。
そんな中、推計約5700万人が、
家庭で無給の介護などをして需給のギャップを埋めていると発表している。
各国政府に対して、高齢化や失業問題に対応するため
医療・介護分野への投資が不可欠だと呼びかけているのだ。
ご多分に漏れずどこも一緒の現象なのかと思うが、
やはり無休で働く人の大半が女性で、正規の就業機会を奪われていると。
こうした現象は「経済成長に大きな影響を与える」と指摘されて久しく、
そしてやはりそうだと実感するのではないかな?

日本では、320万人が無休で介護に携わっているとのこと。

医療の現場さることながら、介護福祉関係の人不足を補うために、
4~5年前からアジア圏の経済協力開発機構(OECD)協定を結び、
フィリピン、インドネシア、ベトナムなどから人材が集まっている。
この人たちは、研修を終えて医療・介護現場に働きながら
国家試験の受験勉強もするなどして、僅かな給料をして、祖国への仕送りなどして、
日本の不足を補うに必要な土壌つくりが始まっているが、
そうした外国人の労働条件・労働賃金は厳しいものがあり、
本当に定着に向かうのだろうかと心配もする。
ま、しかし、現に日本の国家資格をとり、
労働開始しているアジアの人々は徐々に増えているし、
彼女(彼ら)達の表情は明るく頼もしい。

ILOは、「医療・保険関係の雇用を生み出すことで、
各国は生活水準や経済成長の改善も期待できる」
と発表しているのだから、期待してこれからを見届けていきたいね。

とにかく、不安情報として、2018年度に向けた介護保険制度の見直し作業終わったらしい。
「介護保険 軽度者除外」の方向にかじを取った流れになってきている。
しかも、実施においては自治体に任せられているものの、
自治体は、サービス事業者に任せて、保険や福祉的な事業から手を引いてきていると。
軽度介護者(支援1~2)は、全国一律の保険給付から外し、
自治体が報酬や基準を決める地域支援事業に移行すると決めたということだ。
自治体格差拡大は免れない介護保険の行方は、問題を少しづつ積み上げながら、
切々と私たちの生活形態にかかわってくる。
これは、意図的に関心を高めていくべき大きな課題と
重く受け止めていくべきではないかと、私の心は波立っているのです!!
個人の課題として、将来に備えるべき対策を考えなくっちゃ!!

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新聞拾い読み:光が見える

小林麻央さんが、今年のBBC「100人の女性」に選ばれた。
乳がんの闘病記をブログ発信し始めてからの閲覧数は、
1000万超えと言われていますが、日本だけでなく世界に影響を与えているのだ。
「影響力を持ち、人の心を動かす 女性100人」。
選出の理由であるが、たしかに、闘病中の経験や思いなどを
包み隠さずブログ発信しており、進行性のがんと対峙している。
本当は苦しい悩みが、押し寄せてくる日々であろう波のうねりに屈せず、
葛藤の先にたどり着く思い「私が恐れていた世界は、優しさと愛に溢れていました」
そして「明るさこそ勝」と、がんとともに生きる今の心境を伝えている。
ブログ上での明るさは、もうしっかりと自分に俯瞰させていてゆるぎない。
何か、魔物を落としきったようなしなやかさがあって、逞しい。
凄いと申し上げる他ないです。

私の幼少期からの友人二人が、10年前(60歳前後のころ)、
それぞれ乳がん、子宮がんを発症し凄まじい闘病を経験している。
二人とも、治療上の後遺症(リンパ郭清術後のリンパ液うっ滞により
上肢や下肢がぱんぱんに膨張するなど)に影響された苦痛を日常的に背負っている。
二人とも「私のお世話になってきた大切な手足」と、
重量感の増す不自由で疼痛の伴う手足を、愛おしさを込めて丁寧に手当てしながら、
今においても社会的な仕事をしている。
麻央さんのように、お若くて進行性のがんという苦しみとは異なるかもしれないが、
「がん」という絶望的な重さが響く言葉が、わが身に降りかかる驚き、
「なぜ 私?」受け入れがたき言葉への虚脱感(このような表現は、
必ずしも適正なものではないかもしれないが)、
大きなショックを受けストレスが体全体を縛るような苦しみと葛藤で、
しばらくは身の置き場なく悩んだであろう嘗ての日々は、
もう遠く彼方の空に飛んでいったような…。
70歳を超えて、がんとの共存を受けいれて、明るく立派に社会貢献している姿を、
目の当たりにすれば、私の生き方、思想は、軟弱に思えてくる。
否々! ノンちゃん!くたばるな!と私自身に発破を掛けてみることにしよう。

「引きこもり」が続くと不安増大することを、京都大大学院医学研究科の研究グループが、
マウス実験で突き止めたと、23日に米科学誌「セル・リポーツ」に掲載された。
不安を和らげる「認知行動療法」や抗不安薬の開発に役立つ成果ということのようだ。
もう少し詳細に読み進めると、不安や快感などに
重要な役割をはたしている脳内の「側坐核」に着目。
隔離されたマウスの側坐核の働きが低下し、
意欲や気力に関係する脳内物質「ドーパミン」が分泌されにくいことが分かった。
また側坐核の機能低下に特定のたんぱく質がかかわっていることも分かったと。
グループは「社会から隔絶されると不安が強くなることを、
神経科学の視点からも明らかにすることができた。
人間でも同じメカニズムがあると考えられる」と。(11/24付毎日新聞より)

TVや新聞・雑誌などで「ひきこもり」の人たちへの、
様々な社会的・実験的な取り組みがなされているのが紹介されているが、
科学的に「引きこもりメカニズム」が、
こうして次第に明らかさを増して発表されると、うれしい。
現実的に吐露してみれば、「ひきこもり」の人々と容易には接しきれないし,
それゆえ処し方がわからず、理解深まらないままに遠ざかっていく。
遠く存在性を気にしながら、そのままに遠ざかっている(少なくとも、私はそのようだ)。
けれど、このように神経学的メカニズムが解明されてくると、反省的に理解的に、
状況を理解する努力が促されてくる。世の中、明るい光が差し込めてくると感じたものだ。

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日曜日のお話は、ホットな感動物語。

昨日(13日 日曜日)は、午前中の外出から始まり一日の終わり(夜9時わが家到着)
までの間に、(会った、在った、有った)話を致しましょう。

午前中の外出は、ほとんどが超高齢者+若い方々も集っている学びの場所に行きました。
私たち生涯を通して、どれだけ自身のこの命(気づいていない生命力)を
大切にして行動を起こしているか?
それが人間の価値性を高めるという内容と捉えた私は、心の深層にグサッと来た感じ。

さてそのような学びの中に注目の一ご老人(90歳に近い)がいたのですが、
3年来、肺の障害で簡易の携帯酸素ボンベを離せないで、
外出時は相当に重い(お米の5kgを超えているんじゃないかな?)
携帯酸素ボンベをキャリーバック風にして運搬しているのだ。
駅のホームのエスカレーターや遠くに設置されているエレヴェーターへの移動、
乗り物への乗降、目的地までの道すがらは、どう見てもこのご老人には酷な情景である。
にもかかわらず、ご本人は、目的をもって外出すれば多少の困難があっても、
そのほうが私の心が開放できると。
社会経済が豊かな時代、大会社で重要なポストに就き、
長い外国駐在などの活躍をされてきた方なのだ。
それ故かな?とでも言いかわしたい気持ちになる(意味ないんだけど)。
街中という外の刺激を受け、しかも人達との交流を楽しむからには、
相当のエネルギーが消耗されるはず。
焦らず緩やかに悠然と行動されているのだから 参りました~!!
わが身に置き換えてみれば、そのような積極的でなおかつ建設的な意欲は、
到底湧き出しそうにない。と白旗を上げる次第です。

午後からは、「チャリティー ジャズ メッセ」と題して
33年間継続しているコンサートに出かけました。
私は初めての参加でしたが、何らかの障碍者を対象にしたチャリティーということで
大勢の人たちがこれに参加されていましたが、まさに継続は力なりを証明していましたね。
ジャズバンドやボーカルの出演者は定番の方たちですが、もうそれは凄い!
ベテランで場づくりが上手く構成されていて、華美にならず安易さに傾くことなく、
入場チケットは決して高価ではなく、ジャズ・シャンソンが大好きなんですっていう
ミュージシャンの立ち居振る舞いは、相当に楽しめましたね。
二部構成の終わりに、今日の収益を以って、目録にしてお渡しするのですが、お金ではなく、
「その施設にとってニーズの高い欲しいもの」を寄付するという形でお渡ししていました。
会場には施設の人々もご招待しており、22歳のダウン症の男性が代表で受け取られたのですが、
お礼に、なんとその男性が、覚えたピアノを弾くというハプニングがあったのです。
簡単な曲なのかな?と思って聴き始めると、相当に高度な曲を最後まで引き切ったのです。
男性は、「ありがとう、うれしいです」のワンフレーズの言葉を繰り返すだけだった状況からして、
ある種の固定観念の中で、同情に近い感情で捉えていた彼への思いは、もうブチ切れて、
感動に変わりました。こんなにも、こんなに大勢の聴衆を一瞬にして感動させたんですよね。
稚拙な言い方かもしれませんが、想定外のハプニングは33回継続してきて初めてということでした。
何しろ彼は、ピアノが好き というその個性を持つ中で、譜面を読むことはできないから、
いつも音楽を耳に覚えて、指でたどりながらその曲を覚えて弾くというのです。
片手だけ、単音だけ、ではないのです。しっかり両手の指は、左右対称の単調音を弾くのではなく、
和音を形成した左右不対称の指遣いで、一つの迫力のある楽曲を奏でるのです。
真面目に、感謝の思いを込めて、時に指が絡まりそうになりながらも、
前に前にエネルギーを回転させながら、最後まで弾ききったのです。
お分かりでしょう?私には何を言うべきことばのない感動でした。

「チャリティー ジャズ メッセ」が終わり、友人と二人でレストランに向かいましたが、
感動の余波は続いたせいか、二人とも道中何も語ることなく歩き、
ようやく「ここでお食事しようか」と二人して吟味もせず、
イタリアン居酒屋にて食事をしたのですが、それは大いなる失楽を選択してしまった次第。
(;´д`)トホホな食事で今日の一日を締めたというわけです。
これもまたわが行動においては、白旗を上げざるを得ないですね。

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村上春樹さんとアンデルセン文学賞受賞スピーチ考

デンマークでは、
2007年「ハンス クリスチャン・アンデルセン文学賞」が創設され、
村上さんは5人目の受賞者ということだ。
永らくの間、毎年ノーベル文学賞にノミネートされながら、
一向に受賞のお知らせが届かないが、世界では色々な文学賞が創設されていて、
彼はやはり受賞対象者として注目の作家なのだ。
村上文学の熱烈なファンが相当数いるようで、毎年「ハルキスト」と自認する人たちは、
ノーベル文学賞受賞の知らせを、陽気ににぎやかに待っている
(彼らは、受賞に至らなくても感情的にはならず、必ずや受賞する夢を追い続けているようだ)。
それはそれなりに、好ましい光景のニュース映像ではある。
私は、村上氏の作品に、特別熱い感情を持っているわけではなく、
2作品しか読んでないが、身近なところで熱い感想を聞くことが多いし、
結構なヒットを飛ばし続けているのだから凄い。
やはり凄い!! おめでとうございます。

アンデルセン童話は、言わずもがな世界的に有名な童話なのだが、
私は小さいころそれほど馴染めなかった。
必ずしも…そうは言っても…う~んなんで?…戸惑いを持ちながら読んでいたと思う。
心が固まってしまって尾を引いてしまっていたというべきか。
10年ほど前、再度特集していた本を買って読んでみたが、
その本を本棚に置くことなく友人に渡したと思う。
アンデルセンの童話創作活動は、30歳ころから40年間にわたり、
156編もの童話を書いたというから、なるほど結構たくさん私たちの目に届いているはずだ。
「ユーモアとペーソスと機知に富んだ童話集」とは定番の書評で称賛されている。
私はどうも、このペーソスと機知の展開が、すっと受け止められず、
したがってユーモアに繋がっていかなかった感想をもっている。
あの、もの悲しい情緒や哀愁というか、死ぬ結末が多い物語への拒絶観が強かったように思う。
結構私は、不安感の強い悲観的な感性が強かったからかもしれない。
いまだにその余韻が残っていて、意外としつっこい。

ところで村上氏の受賞スピーチは、やはり考察・洞察が凄い。(毎日新聞記事から引用)
「影の持つ意味」と題するスピーチで、主人公の影が一人歩きを始め、
恐ろしい結末につながるアンデルセンの作品「影」に触れ
「「個人だけでなく全ての社会と国家には影があり、個人と同様、向き合わなければならない」
「どんなに高い壁を築いて外から来る人を締め出そうとしても、
どんなに厳しく部外者を排除しようとしても、
どんなに自分たちに都合よく歴史を書き直したとしても、
結局は自分を傷つけるだけ。私たちは辛抱強く、
影と共に生きていく道を探っていかなければなりません」と。(後略)

今年の読書週間標語は「いざ、読書」。いざ!の意気込みの響きに応えてみようか。

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