なべめぐドすっぴんブログ第20回♪

こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

いま、ちょうど祖母が、太もも骨折のプレート入れる手術を受けており、家族として待機中です。

新年明けて、世間も色々ありましたが、私もほんとに色々ありました、というか、色々起こってます。

まず、大好きな大叔母が亡くなりました。
父方の祖母の妹、祖母は8人兄弟姉妹(幼くして亡くなったひとを入れるともっとかも)で、たくさん大叔母、大叔父がいましたが、この大叔母と祖母は1番仲良しでしたし、いつもこの大叔母が、うちの家族を気にかけてくれていてたので、コロナ禍でなかなか会えてないけどそろそろ、、と思ってる時に亡くなりました。

辛いなぁと親族で話していたら、翌日、大好きな恩師のご家族から寒中見舞いが届きました。

たしかに、毎年恩師から年賀状いただくのに、今年は届かないなぁと思っていました。
うちの家にも寒中見舞いが届いてましたが、もちろん同級生の家にも届いており恩師が亡くなったことを一緒に知りました。

昨年の11月末に亡くなられていたそうですが、恩師は長年リウマチを患っておられたので、冬は入院されていることが多く11月中旬に、私からコロナ禍も落ち着いてきたので、次の春には、先生またご飯行きましょう!
といつも先生と数名の同級生、そして、うちの父や主人も交えてお会いする、バリアフリーの整った地元のカフェの名前をあげてメールして、約束したその数日後に亡くなられてました。

先生からのラストになったメールには、あなたたちに会えることを楽しみに、痛さを乗り切る、ほんとに大好きな生徒たち、ハグしたい!
と書かれてました。

同級生たちに、このことを伝えると
「私が先生をハグしたかった」
「また会えると思ってた」
「先生が80歳になったら、もう1回私等に授業してくれるゆうてたのに」と悲しみと最後に会えなかった悔しさの言葉が、みんなのLINEから溢れていました。

そして、会いたい人には会わないと、と再度想い、私にとって父方の祖父母、母方の祖父、そして両親、主人の親、祖父母、みんなもう亡くなってますが、母方の祖母は90歳を越え、認知症にはなっているものの、施設で元気に過ごしているので、コロナ禍で遠慮もしていましたが、少しの時間なら面談できるということで、会いに行きました。

全く私のことや、家族のこと、なにも覚えてなくてもニコニコ話してくれました。不思議なもので、祖母には妹が二人いますが、その二人のことは名前も覚えてました。

「あの子らには母親がおるけど、私はおらへんから、おばあさんといっつも寝とったんや」と、つじつまの合わないことは言っていましたが、長女として早めに自立したことを、あらわしているのでしょうか。

元気な顔見て、安心して施設に挨拶して帰った翌々日、施設から祖母が転倒したと連絡があり、でも転倒はいつものことなので、ご連絡ありがとうございますと電話を切り、仕事をしていました。

そして、夜、仕事帰りに携帯を見ると、着信が何回も。
施設からです。

なんで、ちゃんと電話を気にしていなかったのか、本当に後悔し、すぐに電話し、お詫びすると、骨折していて手術する決断をしないといけない、入院も即日したかったが家族に連絡がとれないため、いったん施設に連れて帰ったが、認知症のため
痛いことを忘れ動いてしまうので、余計に骨に影響あるといけないから、今日は事務所で、職員の近くで寝てもらいますと。

私が電話に出なかったせいで、施設にも病院にも多大なご迷惑をおかけし、祖母にも不安な想いをさせてしまいました。
祖母は、子供がうちの母だけだったのと、二人いる妹たちも遠くに住んでいることもあり、うちの母亡き後、施設に対してキーパーソンとして届け出ているのは私です。
その私が連絡つかないなんて、本当に申し訳ない事態。

手術という言葉についても衝撃で、94歳で手術、、
今まで一度も入院したことも手術もないはずなので(もちろん、お産も家でしょうし)手術しないといけないのか、施設のかたにも確認し、認知症のかたにとって、骨折するというのがどういうことかも電話で聴き、ちょうどその日、出勤日で会社にいた看護師の顧問、楠本にも相談し手術は必要だと納得し、翌日の入院手続きの際に、主治医からも経緯と状況、手術の内容なども聴き、今後どういうことが予想されるかも、丁寧に教えていただき、入院、手術準備となりました。

いやしかし、ここからが大変。
立ち上がれないのに、立ちたいと叫ぶ、採血するだけで、痛いと叫ぶ、看護師さんを蹴ろうとする。
でも、一瞬で顔がかわり「ありがとう、ごめんなさいね」と言う。看護師さんの手を握って、あんた、手あったかいな、ええ人やなとニコニコする。また叫ぶ。
「私をどないする気や、離せ!」と暴れる。

の、繰り返し。

慣れない検査や、立てないストレス、トイレに行けない苦痛でパニックやら正常になるやら。

私は不安だらけでしたが、施設の方も、看護師さんも慣れてますから大丈夫ですよ~とニコニコしてくださって。
「何されるかわからんかったら、そら、怖くて当然ですもん」と、認知症の方の、心と頭を理解して、対応してくださいました。

施設の方も、看護師さんもおられなくなった1時間半、入院手続き待ちで、私と主人と祖母の3人で、待合室で過ごしましたが、5分に1回、トイレ行かせてくれという祖母に、とにかくオムツでしてほしいし、話をトイレから誤魔化すように、必死に好きそうな音楽をYouTubeでかけたり、昔話したりを繰り返すだけでも、私は、ほとほと疲弊してしまいました、、

医療、介護の業務をされている方、、ほんとにほんとに、尊いお仕事だと思いました。

あっ、でも、1つ、泣いてるお子さんが、タケモトピアノのCMソングで、泣き止むという伝説のようなものがあるように、認知症の祖母は、朝ドラのブギウギの笠置シヅ子さんの歌(今は福来すず子さんこと趣里さんが歌ってますが)「ラッパと娘」を聴いたら、「トイレトイレ」と言ってても表情をころっと変えて、鼻歌を歌い、体を揺らしだしたので、何度もリピートして落ち着けるネタに使いました。
ちょっとした発見です。

さて、まだまだ手術は終わりません。
長くなりますのでこの続きはまたの機会に。

もう一つ私には事件があり、25歳の時に社会人、3年お金貯めて買った私にとっては、そこそこ高級な腕時計を会社の入ってるビルの給湯室で失くし、探しても見つからず、落ち込んで落ち込んで一週間がたちます。

1日の終りに、給湯室のお掃除をして帰るのが、私の日課でして、なんとなく毎日
そうしたくてしてるのですが、いつものようにやっていたお掃除、濡れたら嫌だからいつもはずしている腕時計・・をその日に限って、つけて帰るのを忘れ、どこかになくしてしまいました。

もう戻ってきそうにないので、買おうかなと色々検索してましたが、高校合格した時に、父方の祖母が買ってくれた時計や、母の形見の時計や、弟夫婦が新婚旅行で買ってくれた時計や、主人が買ってくれた時計や、なんやかんや時計が7本くらいあることにも後ろ髪引かれ、、
スマートウォッチが流行る中でも、わたしは昔ながらの腕時計にこだわるので、順番にそれらを活用していこうと決めました。

そのうちに、失くなった時計も出てくるかも、、と
(初詣のおみくじの失くし物:出る、出ずとも代わりのものが見つかるという内容も信じてます(笑))想いながら。

写真は、高校合格した時に、祖母が買ってきた時計なので、もう30年ものです。

今年もドタバタな始まりですが、とにかく、少しでも穏やかに過ごせますように、、

メディカリズム編集部

投稿者: メディカリズム編集部

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