こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
前回、このドすっぴんブログで、思いがけない手術と入院生活について書かせていただきました。
あのブログは入院中に書きました。
今回は、その後退院してから自分にふりかかった意外なことを書かせていただきます。少し、もちろん入院生活にもふれます。
耳下前部に出来た脂肪腫切除、3センチちょっとの大きさなので、たいした手術ではないため、手術の翌日からは、頭もすっきりし、食欲もあり、痛みもほぼなく元気に過ごせました。
点滴も翌日にはとれ、抜糸も翌日でした。
ただ、苦労したのは、夜に寝れないこと。
手術の日は麻酔のしんどさもあり、そこそこ寝れたものの、
翌日は、早朝まで寝れず、そうなると「昼間に寝るから夜寝れなくなる」と、昼間はなにもすることないのに必死で起きていたものの、それでも夜が寝れない。
その翌日もまた、昼間は寝ない、なのに夜は寝れないという状況で退院。
私は、主人もびっくりするくらい、寝るとなったら寝落ちまでのスピードが早いので、そんなことになると思ってなくて、寝れない夜の過ごし方にも慣れておらず、寝れる音楽、朗読、画像、動画、色々検索するも寝れずで、
やはり夜中は良いことは考えないので、どんどん心がしんどくなりました。
なにを考えたか。。
まわりのおばあさんたちの、コロナ禍だからこその家族に面会出来ない孤独からくる、
「帰りたい帰りたい、死にたい」
の訴えを昼間も夜中も聞いていると、(それを都度対応される看護師さんの対応力にも脱帽しました。)
わたしもいずれ歳を取り、おばあさんたちのようになったとき、私には子供がいないし、主人も16歳も上なので、コロナ禍じゃなくても誰にも会うこともなく、入院せずとも孤独と闘う日がくるんだろうかとか、
いや、普段は友だちがいても、親族がいても、入院したら、施設とかに入ったら、やっぱり孤独なんじゃないかとか、
母も最期、私のことを毎日病室に呼んでたし、父もサ高住に入居してから、帰りたい帰りたい、死にたいと言い出したし、
祖父も老健や療養病棟で、もう死にたいとよく言ってたなぁと考えると、
あ〜わたしは、その孤独をちゃんと理解してあげてなかったなぁと、どうしようもなく心がギュッとなったりしました。
でも退院すればその気持ちも晴れる、とりあえず今はこの病室の雰囲気にもっていかれてるんやと考えていたのですが、
そして、退院した初日は、たまった録画観たり、下着洗濯したり、久々料理したりで楽しく過ごし、翌日は普通に出勤するので、それにそなえました。
まわりの人達からは、身体のために翌日くらい休んだら?と言われたものの、開腹手術でもないし、耳の前だけの傷だしと思い、休んでると仕事も気になるので、あたしってやっぱり社畜やなとか思いながら出勤を決意。
そして、退院翌日の朝、6日ぶりの出勤の朝、6時すぎに起きたらいいのに5時に目覚めてしまい、しかも泣きながら目覚め、寝れなくなり、主人を起こし、嗚咽。
仕事に行くのが嫌だからでもなく、痛みからでもなく、ただただ、孤独が怖い、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして、先日亡くなったお義母さんにも孤独な思いさせてた、申し訳なかったと、止まらない恐怖と反省で泣きじゃくり、泣きながら「あ〜あたし完全に壊れた」と思ったのです。
愚痴や反省や涙は日々多いものの、けっこうしんどいときでも心は壊れなかった(主人や家族をはじめ、温かいまわりの皆さんのおかげでありますが)ので、自分でも意外でした。
でも泣きながら、若い頃、失恋したときとかは、夜より朝に泣いてたなぁとか思いだしたりもしてましたが、その孤独とはまた別格でした。
15年前に疲労でたおれ、入院したことがあります。ちょうどお盆休みの前日に入院したので、主人が毎日昼間は病室にいてくれましたし、友人たちもお見舞いにきてくれました。
でも今回はずっと1人。
この違いってすごい大きいんやなぁ、、と思いました。
義母の葬儀のときに、コロナで亡くなる方と、コロナ禍でコロナ以外の死者も増えて、葬儀場も斎場も予約がとれないと聞いてましたが、
孤独から病気が悪化することもあるんだろうなぁと、泣きながら考えました。
結局泣き止み、出勤。
温かい職場の仲間に色々声掛けいただき、すぐに朝の涙も忘れられるくらい笑いながら仕事をやりきりました。
定時で帰ろうと思ってましたが、あれよあれよと2時間近く残業。
それでも、ご登録の看護師さんたちとメールやお電話させていただくことや、同僚と話が出来ることが楽しくて、全く疲れもなく、逆に元気をもらって帰りました。
仕事が最高の心の薬になりました。
もちろん、沢山の方々が仕事が毒になり、心が疲れてらっしゃる世の中の状況もあります。
ですので、今回の私の体験が全ての方々に適用されるとは思えません。
でも、「孤独じゃない」と思うことで心が救えることがある、
「居場所は誰にでもある」がわかることで心が楽になる、
きっとそれはある程度共通することではないかなぁと思ってます。
昔から、自分が一人ぼっちが苦手なのでということと、
小学生のときに一人でいる同級生に、誰もが声かけてなくても私が声掛けしないと担任の先生に呼び出されて「お前は声かけろ」(←※昭和の喋り方ですね)と言われてきたこともあり、
出来るだけ自分も寂しくないようにですが、まわりをみての声かけは大事にしてきたつもりなのですが、
今回の退院後、そこは余計に意識するようになり、
もちろん、後輩さんたちは、「今話しかけられても」と思うかもしれないのですが、
やたら、仕事中も、世間話をふっかけるようになってると思います。
それがなんの効力もなくても、昭和なやりかたかもやけど、コミュニケーションは百利あっても一害無しと信じて。
社会人歴浅い頃、とっても話しかけやすい12歳年上のお姉さまがおられました。
私は営業で、そのかたは事務さんでした。
営業ってなかなかベテラン事務さんに依頼がしにくいタイミングとかもあるのですが、そのかたはほんとにいつも笑顔で、気さくで、かと言って「優しすぎるから気使う」ということはなく、誰にでも平等に、あかんものはあかんと言われる人でした。
なので、なんでも相談が出来ました。あかんことはあかん言うてくれはりました。
あんなベテランさんになりたいな、と、ずっと思ってました。
自分はまだまだそこまでなれてないけど、自分の子供であってもおかしくない年齢の人たちとも働くようになった今、遠慮なくなんでも聞ける存在に、ちょっとでもなれるように、この入院で覚えた、孤独は怖いという経験ももとに、また人見知りの自分も、奮起して明るく生きていけたらなぁと思います。
そんなことを考える退院後の初の休日。
大好きな甲子園球場を観ながらランチと読書で、自分への快気祝いを楽しんでます。
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