こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
春が来ました。
コロナ禍前の夏の高校野球以来、2年半振りに春の選抜高校野球を観戦に行ってきました。
せっかく地域代表として選抜された高校も、チーム内のコロナ感染で出場辞退もあり、
もちろん、高校野球だけではないですが、
オリンピックもパラリンピックも、どんなスポーツも、どんな行事も
目に見えないウィルスに邪魔されてしまうこんな日々、
誰のせいでもないですが、辛いものだなぁと思います。
昨年父を亡くした私は
今年、先月、義母を亡くしました。
コロナ禍で、感染による死ではないものの2人の親を見送ることになり、
コロナ禍前とコロナ禍だけではなく、
昨年と今年、郊外と大阪市内での違いを痛感することがありました。
それは、
「大阪市内、府内、
コロナだけではなく、医療の逼迫で救える命も救えなくなり、死亡者が増え、葬儀が増え、火葬場の予約がとれない」
という事態でした。
その件には後ほどふれさせていただくこととしますが、少し義母のことを書かせていただきたいです。
私は15年前に結婚しました。
母がそのときもう、末期がんとわかっていたのですが、私が結婚して2年で亡くなりました。
生前の母から義母に送った年賀状に「娘のことを宜しくお願いします」と書かれていたのが今でも忘れられません。
その言葉どおり、というか、義母の根からの優しさ、人としての器の大きさ、経験値の深さで、私は義母と出会い、娘にならせてもらってから15年、義母のことを尊敬しかない日々を送らせてもらいました。
長男の嫁としての立場の私なのに、わたしの実家の用事が私には多いことをわかってくれてらっしゃったので、会えばいつも、わたしの実家のことを心配し、優先するように促してくれました。
最初はやはり「姑」ということで、気を使うことも心得てた私でしたが、気づいた頃にはもう、なんでも話せる、今のお母さんとして、母を亡くしてからも、もちろん寂しいことはありましたが、苦しいときも相談できる相手、義母がいたことで乗り越えられたことも多かったです。
1回だけ妊娠して流産したときも、泣きながら電話で報告したら
「2人の赤ちゃんが1回でも出来てたんやということを誇りに生きていけるじゃない」
と優しく明るい声で返してくれました。
その言葉も今でも忘れられません。
義母とは、大相撲が好きということや、ロイヤルファミリーの話や、大河ドラマや朝ドラの話や、いっぱい世間話もつきることなくいろんな話をしました。
宝塚歌劇団にも以前、お友達もたくさんおられたので、宝塚歌劇の話もたくさんうかがいました。
義母と買い物に行ってもいつしか、実の息子の主人よりも、私のほうが義母がいま何が欲しくて、種類はどれを好んでて、などもわかるようになってましたし、家のどこになにがあるかも、わかるようになってました。
それが私の誇りでもありました。
コロナ禍になってから義母が、死ぬなら今のほうが、葬式もあんたらが楽でええやろなぁと、よく話すようになりましたが、一人暮らしで、なんでも自分でして、特に大きな病気も抱えずという状況なので、その言葉を冗談のように受け流してましたが、突然の別れがきました。
状況はほんとに「ピンコロ」でした。
義母がそうなったらいいなぁと話していた、ピンピンころり、
朝は買い物に行き、食べたいお菓子も買い、
買い物から帰ってきて、玄関で戸締まりもして靴を脱いだときくらいに倒れた感じの最期でした。
家族はもちろん突然のことで悲しみが止まりませんでしたし、
自宅での死なので、警察も来たりで
義母が自宅にもう一度戻るまでは少し時間がかかりましたが
そこから、火葬場の予約まで通常は亡くなった翌日か翌々日にお通夜、その翌日が告別式という3日、4日で終わることが
まるまる一週間後でないと火葬場がおさえられないという状況、それでもまだ早い方と言われた事態で、コロナ禍で報道されていること以外にも、沢山の異常事態があることを思い知らされました。
大阪府は大変だと他の地域のかたからも言われる状況がよく理解できました。
ただ、突然の別れだっただけに、家族には、最期のお別れまでの時間が予想以上にもうけられたことに、心を落ち着ける時間にもなり、
今となってはこれもお義母さんがくれたプレゼントタイムだなぁと思いました。
2022年になってから社内でも親族の不幸ごとが続いてますが、やはり、人口の多い地域での不幸ごとほど、火葬場の予約が出来ない、葬儀場もあいてないということを聞いてます。
普通のことが普通ではない日々の経験、あまりしたくない経験ではありますが、
医療の逼迫という状況がもたらすこと、その医療現場におられる方々の報道される以上の大変さを感じたこのことを忘れることなく、
自分の仕事も、その現場に少しでも役立てるように頑張ることができる仕事なので、日々再度精進していきたいと考えます。
来年の春の選抜高校野球の頃には選手のPCR検査自体が不要な日々となっていることを祈って。
ますます感染対策を怠らないようにしていきたいです。
そして、義母が、私にしてくれたように、常に相手の立場を尊重出来るような人間に、
今経験していることを生かしていきたいと思いました。
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