こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
昨年、父が亡くなるまで書かせていただいていた
遠隔介護ブログから転じて、
働く女の(ジェンダーレスの現代では、女に限るのはよくないのかもですが)
苦労や本音、面白さ、を本音で書かせていただいて、
私生活と仕事の両立に、疲れてるなぁと思われるかたがたに少しでも癒やしと
「みんな一緒やな、ほな、なんとか生きていけるかな」
と思っていただけたらと思い始めたブログです。
タイトルにもがきましたが、ドすっぴんブログにします。
寝起きの顔洗う前のレベルで外に出るくらい、なんでもさらけ出しちゃおうと思います。
会社がNG出さない限り。
私は遠隔介護ブログを書かせていただいていたものの、じゃあ、父や祖父の下の世話までしてたのか、毎日なにかしてたのかというと、介護保険のサービスを駆使してましたので、やっていたのは
日々の電話での状況確認と、週末の掃除(それも帰れない日もありましたし)
くらいがほぼでした。
なので、そんなのはただの日常だと思われるかたも多いと思うのです。
しかも私は、30歳まではほんとに自由すぎるくらい自由でした。
いま、よく言われている「ヤングケアラー」の問題。
このことについては、自分の経験値もなく、どのように考え、そういうかたにどう寄り添うべきなのか。
メディアでとりあげられる以上の問題が、現実にはあると思います。
先日「コーダ、あいのうた」という洋画を観ました。アカデミー賞候補です。
主人公の女子高生以外、家族全員が耳に障がいがあります。
主人公は自分の将来すら考えられない、
自分がこの家にいなければ、家業を手伝わなければ、家族が生活していけないことをわかりながら、
夢を見つけ、もがき苦しみます。
もちろん、本当に耳に障がいがあるかたからすれば「これはただの物語だ、もっと現実は厳しい」と思われる内容かもしれませんが、
私は、この映画の内容にリアルさと社会への問題提起としての衝撃をうけました。
心が揺さぶられました。
それをどう表現していいのかと思いますが、
映画評論家のLiLiCoさんや、浜村淳さんがそこは語ってくださるので、
私は、この映画を一人でも多くの人が観て、もちろん、コロナ禍もありますし、そもそも映画館に行くことが習慣でないかたもおられるので、今は観られなくても、ここで感じた想いを観た人が伝えていき、
自分が楽しく笑顔の1日でも、そばにいる誰かにとってはしんどい日かもしれない、だからこそ、楽しかった日ほど、まわりの人に思いやりをもった行動をしよう、
という何気ないことが広まっていけばいいなぁと思います。
私自身も、すぐ忘れがちなので再度肝に命じました。
私は、23年前新卒で入社した会社(前職です)の上司に言われた一言
「君は、可哀想が売りになるな」
が忘れられず生きてます。
きっと、仰った御本人は、そんな言葉忘れておられると思いますが、私には衝撃でした。
なぜなら。
生まれたときから、全然裕福でもないのに、あたかも裕福な家庭のように育てられ、
私を、いま、思えば溺愛してくれていた父からは
可愛いかわいい、賢い賢い
と言われ、ただ、成長するうちに
いや、あたし、可愛くないで、、、
あれ、賢くもないで
体育の日に生まれたのに運動もできひんし、、
と、
コンプレックスの塊になっていったのですが、
そこに気づくまでは、授業でも積極的に挙手して発表したり、堂々とした行動ができていたのに、気づき始めると、怖くなって、授業中も黙り込むようになってしまって、
中学生のときの国語の先生から
「結局、一年間、一度も自分の意見、言ってくれませんでしたね」
と言われたことで、
私はそんなふうに見られてたんや、、と
申し訳無さとなんでこんな自分になったんやろという思いで葛藤したのを覚えてます。
でも、その残念だらけの、コンプレックスだらけのなかでも「裕福な家の子供みたい」に習い事は沢山させてもらったため、
特別なにかができるわけじゃなくても
(体育以外は)不得意ではなかったので
学校生活には困らず、
コンプレックスだらけでも、友達とはどの時代も楽しく生きてきて、
高校生くらいからはそのコンプレックスのおかげで、それをネタにすれば、まわりは笑ってくれると、吉本や松竹のお笑い芸人さんが幼い頃から好きだった私は、「自分をおとして笑わす」ことも覚え、
あとは、人より情報収集を欠かさず、どんな人とでも、何かしらのネタで話せるようにする努力、自分なんかよりみんな良いところが沢山あるからそれを褒める語彙力を増やす努力を重ねた結果、
顔が可愛くなくても、好きな人と両思いになれることもあるし、
新しい場所でも人見知りだから最初はしんどいけど、いつの間にか友達は作れている。
という日々が生まれ、
またまた大学生活も予想以上に楽しく過ごし、
迎えた新入社員としての日々の中で、しかも営業職という、毎日、ハジメマシテという自分より年上の人達に次々に出会う仕事の中で、「可哀想が売り」と上司に言われてしまう状況に。
意味がわからず(いや、想像はついてましたが)
なぜそう思われるか聞くと
「いや、なんかなぁ、可哀想やから
なんとかしたげよかな、、て思われる思うわ。
契約とれてるし」
と返されました。
同期女子はみんな美人で、根っからのお嬢さんもいたり、ものすごく頭のキレる子もいたり。
なんで私が採用されたんやろとずっと思ってましたが、、そうか、この子らにはない可哀想さが私にはあるんやなと思い直し、
ということは、「努力してるのに可哀想そう」と思わせないとあかんから、それはクライアントだけじゃなく、会社にも思われないとあかんから、
努力してるフリは誰よりもせなあかんな
と、
その日を境に
努力してるフリをする努力
に勤しむことになりました、、、
それはいつか、本物の努力になり、
努力をすると、仕事がとっても好きになり
結局、同期女子みんな辞めても自分だけ残り、
まだまだ男性色の強かった前職で
ある程度誇れる仕事が出来た
と、思ってます。
人に可哀想と思わせることも武器である
それが例えば可愛い女性なら「アザトイ」と、嫌われると思われるのですが(いや、私のようなもんでもアザトイと思う奇特なかたもおられたかもですが)、私がやれば、あんなに努力しても報われないこと多そうで可哀想となるのかな
と、
若い頃身に付けた
「可哀想の武器」は、自分の人生を助けてくれたかもなと改めて思います。
長くなりました、今日はここまでで。
このブログを読んでくださってる
なにかコンプレックスを抱える方に
長所と短所は紙一重だと思うので
どうかコンプレックスを口に出せば強くなると思っていただけますように。
看護師のお仕事探しは「メディカルステーション」で。
◆メディカルステーション
私たちがお仕事相談承ります!
◆ワークステーション社員紹介