こんにちは、コーディネーター渡邉です。
遠隔介護ブログ36回。
前回は、「父が入院するかもしれない」というところで終わらせていただいてました。そこから3週間ほど経ってブログ更新させていただきます。
即日入院しました。
その日、朝ごはんをサ高住で食べ、デイサービスに行くための準備中にしんどくなったようで、自分で救急車を呼ぼうとしたところを管理者さんがきづいてくださり、主治医に連絡。近くの病院に紹介いただき、検査の結果、心不全(これは慢性的ですが)とびっくりするくらいの低酸素、腎不全(これも慢性的ですが)で即日入院、即酸素マスクとなりました。
当日は、ケアマネさんが付き添ってくださったので、私と主人は翌日会社にお休みをもらって入院手続きや、市役所での高齢者の入院のときの医療費限度額などの手続きに行きました。
緊急事態宣言中であっても、個室病棟の父とは5分位ならと面会させていただき、酸素マスクしていても会話ができ、私達の顔を見ると「お腹すいた、今日、どこ食べに行く?」といつもどおり、お昼ごはん連れ出しに私達が来たと思ったのか普通に会話してきた父。
顔色も落ち着いていたものの食事は抜きで点滴のみだったので、お腹もすいていたようで、お腹すいた、なんか食べさせてくれと言ってました。
退院したら焼き肉行こなと普通の会話をして、長くいれないからと、病室をあとにすると、個室の父の部屋から大きな声でまだ私達に話しかける声が聞こえ、ちょっとかわいそうになりました。
看護師さんにお聞きすると、ほんとに大きな声で話されてますよと。
ドクターからも命に別状はありませんとのことで、次からはやはり、直接面会ではなく、受付からのリモート面会になるとのことだったので予約しないといけなくて、翌週の土曜にリモート面会を予約して病院をあとにし、父のサ高住にむかい、2週間ほどの入院になると聞いたので、冷蔵庫の中の腐りそうなもの片付けたり、父が寝てたらできないベッドまわりの掃除もしました。
その前に、管理者さんたちもお掃除してくださってたので、父がなくしたと騒いでたものも出てきてました。
貴重品を持ち帰り、そのなかには入院中はとりあげられた携帯電話もありました。
そういえば、少し面会できたときに「携帯がないから不便や、時間がわからん、充電しといてくれ。」とも言ってたので、ほんとに家族や友達とのコミュニケーションツールである携帯電話が父の宝物なんだなぁと思いながら、父の携帯電話も持ち帰りました。
かわいそうだけど、父は安全なところにいれるし、寒い中、温かい病室で看護師さんにもよくしてもらってるし、コロナも心配なさそうだし、わたしも毎日の父の電話から解放されて少しだけ心の負担が減った数日後、
仕事をしていると、入院している病院から電話が。
すぐに出れない状態だったので折返そうとしたら、叔父からのライン。
「父危篤、すぐ帰れ」
電報かよと、ツッコむ気にもならず、すぐに主人に電話。
命に別状はないと聞いていたのでパニックになり、号泣し叫ぶように主人に今すぐ帰るとうったえました。
会社にも状況を話し、その日わたしは偏頭痛でフラフラで働いてましたが、それどころでもなくなり、まわりのかたに自分の仕事を少しずつお願いして近くで働く主人と待ち合わせて一緒に病院にむかいました。
ほかの近しい親族にも連絡をしながら。
会社から病院まで2時間かかります。お願いやから、もってほしい、頑張ってほしい、祈りながら。
叔父が先にかけつけてくれてますが、やっぱり娘や息子には会いたいだろうと思います。必死に電車の中でも気持ちを走らせてました。
結果、私達がかけつけたときには持ち直し、少しなら面会できると聞いて面会させていただき、手を握ると握り返すほどに。
安心しましたが、ドクターから説明をうけた叔父は、よくない状態だということも理解し私達に説明してくれました。
弟家族もかけつけましたが、もちろん父の孫たちは、幼いのでこのコロナ禍、面会することは出来ず。
今日明日でなにがあるかわからない、一旦それぞれ、家に帰って準備しようと別れ、不安なままの夜。
なかなか寝れないでいると夜中の1時半ごろ、病院からの電話。
もう、、あかんのかな、
そう思い電話をとると、看護師さんの必死な声。
「お昼間説明したように、気管切開をするかどうかが迫られるかもしれません。ご家族ではどう考えられましたでしょうか。」と。
実は昼間、ドクターの説明をうけた叔父から酸素マスクでもう難しくなったとき、生きるためには気管切開が必要になる。気管切開をすると、その後、やはり管理が大変であるなど、様々考えられる将来のことを聞き、社会福祉士である弟もその状況をよく理解し、これは「延命治療、しますかしませんか」の質問であると私達に話してくれ、話し合った結果、「気管切開はしない」という選択をしてましたので、それを伝えるだけなのに私のこの言葉が、父の命を終わらせることになるのかもしれないと思うと苦しくて嗚咽し、しぼりだした言葉で「気管切開はしません。」と伝えるのがやっとでした。
看護師さんからかえってきたお言葉
「こんな時間にむごい事聞いてごめんなさいね。でも、お父さん頑張っておられます。わたしたちも頑張りますから!」
という温かくそして強い声に心がとても励まされ涙もおさまり、そこから2時間ほどやはり、眠れずにいたものの、4時頃には寝れたのか、案外すっきり翌朝6時に目覚め、再度仕事に。
偏頭痛はなんとかおさまり、その日もいつ呼び出されるかわからないと必死に午前中、前日帰ったぶんも含め仕事し、このしんどさも聞いてもらいたくて同僚を誘いランチに出て注文したところでまた病院から電話が。
「もう、夕方までもたないかもしれません」
看護師さんの声。
ある程度前日に覚悟できた分、取乱さず、また主人や親族に連絡し、病院にむかいました。
が、そこから2週間たった今、父は、
生きてます。
頑張ってます。
そして今もまさにリモート面会(面会とはいえ、父は意識がないので、様子をみせていただき、寝ている父に画面越しに呼びかけるだけですが)に向かってます。
この期間、父、サ高住のケアマネさんや管理者さん、親族、そして、会社の上司、同僚、病院のドクターや看護師さん、そして、日々仕事で連絡をとらせていただいている、派遣看護師さんの皆さんに、あらためて感謝することが沢山ありました。
が、それはまた長くなりますので
次回たっぷり書かせていただきたいです。
そのときも、父が生きていて、少しは意識を取り戻していることを祈るばかりです。
ただ、コロナ禍で、面会禁止、元気になっても外出制限のなかでは出掛けたい、人に会いたい、いろんなもの食べたいの父だと、ストレスだらけだったと思うのでコロナが少しおさまるまで意識がないのもかえって幸せなのかもなと親族では話し、わたしは父は冬眠の技術を身に着けたのだと思うことにしました。
熊さんのように。
春には元気になった父と暖かい日差しの中、出かけることができますように。
リモート面会、このコロナ禍でも工夫をしてくださる病院に本当に感謝しながら、今回のブログを締めくくらせていただきます。
写真は実家の庭にある南天の実です。
南天は、家内安全という意味があるそうです。
父の部屋にも飾りました。
もちろん病室には持っていけませんが、南天の実が、どんなかたちでもいいので父を守ってくれますように。