こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
遠隔介護という四文字で表す自分の状況について、月に1・2度このようにブログを書かせていただいておりますが、文章にあらわすことでもやもやした日々の小さい悩みが落ちつく事があります。自分にとって「書く事」と、人の文章を「読む事」はストレス軽減の薬になると思い知らされる毎日ですが、今、読んでる小説の中に一生忘れられないなあと思う文章がありましたので紹介させていただきます。
ある少女が公園で四葉のクローバーを見つけ、その姿にその少女の母親が
「四葉のクローバー持って帰らないの?」
と聞くと
「私は今でももう十分に幸せだから、幸せになりたい誰かが見つけられるように、この四葉のクローバーは持って帰らない」
と返答した
という、もちろん小説の中の一文なのでフィクションなんですが、自分の置かれた環境に感謝し他人の幸せまで願える
こんなキレイな心、私にも子供の頃はあったのだろうかと、余裕のない日々を反省しながらこの小説の中の言葉を繰り返す日々が続いてます。
先日、大阪の住吉大社のパワースポットと言われる「五大力」の石探しに行きました。
ものすごく沢山の小石の中から「五」「大」「力」と書かれている石を見つけられたら願いが叶うとされていて、老若男女が必死になって石を探してるのですが、私が五と大を探し終え、あとは力だけで、一緒に行った主人がまだまだ探せてなかったので、主人の分も探しているとまわりにいたお子さんたちが「こっち、力いっぱいあるで」「こっち、五が多いで」と口々に教えてくれるのです。
自分のための石が手に入ってもまだそこに残ってまわりの幸せも応援する。
自分には出来ない行動で、先に書いた四葉のクローバーの内容と同じくらい心に残りました。
人の幸せまで祈れるように、それはまさに、自分の心に余裕をもつことが大切であるということだと思うのですが、今年もあと1か月半となり、年末年始の準備を考えると財布事情もスケジュールも段取りも余裕はまったくなくなる季節で、ほんとにため息が出るばかりなのですがもちろん、年末年始は日頃会えない遠くにいる友達や、親戚に会えたり美味しいものを食べる機会が増えたり出費と忙しさをカバーするだけの楽しみもあります。
ただ、ここ数年。。
寒くなるにしたがって、高齢の祖父や一人暮らしの父にトラブルが起こりやすくなり、夜中の電話や昼間も緊急の電話が入ることが増え、なんとなく落ち着かなくなる上に仕事も忙しい時期に入るので、自分の心身を正常に保つことが厳しかったという思い出で溢れてしまってます。
この冬はそうならないように祈るばかりですが、年々、父や祖父も年老いていきます。
施設にいる祖母も、心臓が弱いので寒くなると心臓に負担がかかり、心細くなるせいか、いつも冬に認知が進む印象です。春になるとまた普通に会話出来るので、脳に気温は何か左右してるのかと調べたくなるほど。
だからこそ、冬は、お年寄りにより一層心を広く優しくせねばと思うのですが。。。
今回は、出来ることまでとりあげないと、心に誓ったエピソードをひとつ。
実家はもともと農家なので、祖母も母も生きてる頃は、田植えも稲刈りもして、米を作っておりました。今はもう、農家はやめており、ただ、近所のおうちでとれた新米を買うので美味しい地元のお米が、スーパーなどよりずいぶん安く手に入ります。
私や弟は父が買ってくれたそのお米をいつもわけてもらって、自分たち家族のお米にしています。
おっきな米袋で購入するお米をうちと弟宅、そして、私のお姑さんち用に父がわけてくれるのですが、わけるときに周辺にいっぱいお米がこぼれるのです。
目も見えにくくなってるのでこぼれてる事にも気付いてない。
いつもは室内なので、こぼれたお米も集めやすいのに先日は、軒先でお米をわけてくれてまして、地べたにお米が散らばってました。
「米わけといたからな」と、誇らしげに言う父。
ゴミが混じらぬよう、散らばったお米を一粒一粒拾い上げながら「次からは私がわけるから、お米触らんといて!」と声をあげてしまった私。
父はしょんぼりしてました。
私が少しでも楽になるように曲がった腰をさすりながら、おっきな米袋覗き込んで、小さなおわんで、ちょっとずつ、米をわけてくれてたかと思うとなんてひどいことを言ってしまったのかとほんとに反省。
ただ、拾いきれないお米や、もう土にまみれてしまったお米は、「ごめんなさい」とお米につぶやきながら、箒で履いてゴミにしたのですが、その中に、ちっさな、20センチくらいの蛇の死骸もあり、このお米がここにこぼれてなかったら、わたし、ここの掃除してないから、蛇の死骸、このままにしてたかもしれない、、
もし、幼い姪っ子が帰省したときにこの蛇を見つけてたら…と思うとぞっとし、田舎の洗礼をまたまたうけた気分で蛇ももちろん処理しました。
掃除し終わって、お米の袋も室内にうつしたあと、以前、ケアマネさんに、「危ないから父にもう料理をさせたくない」と言ったときに、「今のガスコンロは、安全装置もしっかりしてるし、お父さんは料理が好きだから、今、それをとりあげてはいけない」ということを丁寧に教えていただいたのを思い出し、ここまでお父さんしてくれたんやね、ありがとう、後片付けは私がするねという言葉に、さっきの「次から私がやるから、お米触らんといて」の言葉を置き換えられたら、どれだけ良かっただろうと、
きっと、子育て中のかたもこうゆう思いってそれぞれされてるんだろうなぁと思ったエピソードです。
そのあとも、lunchに出向いたカフェで、私がいつも通り早々に食べ終わりスマホを眺めていると「まだまだ時間かかるけど、食べててもいいか」と父から確認が入りました。
さぞかし、わたしが、つまらなそうにそして、早く次の用事をこなしたそうにしてたんでしょうね。
父が冷蔵庫を開け、なにか用事をしてると、冷蔵庫から何分か開けっ放しだったら鳴る警告音も鳴ってますが、耳も悪いので全く気付いてないですし、色々身体が不自由になっていく中で、便利な家電すら、その便利さの機能が発揮できてないことも多々あります。
そして、ちゃんとバリアフリーの飲食店でも、入り口が自動ドアや横開きじゃなく、押し引きするドアの場合、押し車や車椅子のかた、もちろん、ベビーカーもだと思いますが、入るときにけっこう不便だったりもするので、せっかく中に、広い車椅子用のトイレがあっても、そのお店の入り口をくぐることを怖いということを、足が不自由になった年配の知人も話してくれました。
免許証を返納した父が買い物や食事に、ガイドヘルパーさんの運転、付添のもと出かけるとき、どういう店なら心身が不自由になってきた父でも押し車を安全に押して歩けるのか
そういうことも事前に家族である自分が察知して、担当のかたにお願いしておくのも大事だなぁと思います。
もちろん、ガイドヘルパーさんは介護のプロなので私なんかよりよく知ってくださってとは思うのですが。
健康な自分たちでも身体が縮こまるこれからの季節。
いつも一緒にいれないからこその貼るカイロの買い込みや、暖房器具が正常に動くかの確認、すきまから風が入ってきにくいような戸締まりなど、帰省したときに自分が出来ること、ちゃんと気にかけておかないといけないなぁと思います。
父自身にしてもらうこと、こちらで先回りしていてもいいこと、お互いのためにどう動けるか、そして、父の行動を信じること。
年々お互いに歳を重ねるからこそ学んでいかないといけないなぁと感じます。
トラブルは起こってほしくないけども、起きたときに慌てずにケアマネさんや主治医にちゃんと相談できるよう日頃から父がどんな会話を主治医の先生とさせてもらってるかもちゃんと聞く耳をもつ、やはりここでも時間と心の余裕、
まずそこが私には1番足りないので気をつけたいと思った秋の終わり、冬の入り口でした。