遠隔介護ブログ(第9回)

photo_watanabeコーディネーターの渡邉です。
本格的な夏、例年よりかなり暑く感じ現に熱中症で搬送される方のニュースも昨年までより多く聞かれる気がする今年ですが、皆様、ご体調はいかがでしょうか。

わたしは亡き母の親友から手作り梅酒をいただき、寝る前にコップ一杯、お湯で割って飲むという夏バテ防止法を取り入れてます。
お酒が一滴も飲めない主人には姑が作ってくれた梅ジュースを水で割って渡します。
どちらも手作り、ありがたいことです。
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看護師さんは、熱中症でしんどい思いをされてる方々への看護や、またそのようなかたを出さないような健康管理にお忙しい毎日かと思います。

わたしも一人暮らしの高齢の姑、そして、父が熱中症にならぬよう日々心配しております。

今回は、子育ても褒めて育てるという論が世間でも広まっており、本屋さんでその類の本も沢山見ますが高齢者の健康のためにも褒めるって大切なんだなぁと思った話です。

うちの父は妻を亡くし、父を施設に入れてからまったくの一人暮らしになり、
生きるモチベーションを保つことにほんとに波がありました。

高齢者大学に行ったり、障がいのある方々へのボランティアに参加したり、そこで知り合ったお友達とおでかけしたり、デイサービスに行ったり。
毎日、それなりに楽しんではいましたがもちろん、お金を稼いでるわけではないので年金や今まで残してきたお金でのやりくり、先々の不安もあります。

そのうえ、家に一人でいるときは話し相手もいなくて、田舎の広い家にぽつんと一人。
心が落ち込んだときは電話をしてきては、生きていてもしょうがないというようなことをこぼしてました。

すこし使い過ぎに思える電気代などを注意した冬には「寒いから暖房つけるんはしゃあないやろ、凍えて死ねいうんか、なんでもかんでもお父さんが悪いんか」と、早朝から何度か電話かけてきて怒鳴ってくることもありました。

父のネガティブな電話に、こちらの心もやられそうなことも母が亡くなってから何度も何度もありました。
主人や弟家族、いとこたち、そして、なんでも話せる友人がいなかったら、わたしのほうが先に健康被害が出るくらい思いつめてたかもしれません。

ただ、ありがたいことに父のまわりの方々が本当に厳しく優しい。

ケアマネさんも父に厳しく指導してくださいます、デイサービスの所長さんもしんどいのはあなただけじゃないよと、日々、みんながどんな思いで生きてるかちゃんと話してくださいます。

正直、歩くのも杖や押し車でやっとの父が障がいのある方へのボランティアに行っても出来ることは限られてますし、かえって父がまわりのボランティアさんたちに手間をおかけして、お仕事を増やしてしまいます。それでも仲間のボランティアさんたちは父を家まで迎えにきてくださいます。

すべて、父に生きる力を与えてくださってます。

それでもネガティブな日があります。

そんな父が先日、「おとうさん、あと20年は生きたい、そう思えるようになった、頑張る」と急に生きる目標を口にするようになりました。

そのきっかけがある、ピンバッチです。
そのピンバッチはわたしと主人が実家に帰ると大事そうに仏壇にある引き出しにしまわれてました。

父の住む市からボランティア賞をもらったというのです。
新聞にも広報誌にもそんな記事はありません。
でもボランティア仲間さんが推薦してくださり、代表で父がもらったと、そのお仲間さんが手渡してくださったそうです。表彰式も表彰状ももちろん副賞もない。
でも、ボランティア賞だそうで。
何十年もボランティアしてきたからみてる人はみてくれてる、もっとこれからも頑張らなあかん、もっと貢献できるように元気におらなあかん、だからデイサービスでもリハビリ頑張るねん、手足動かすねん。

と、いつも以上の饒舌で語る父。

わたしはなんとなく勘付きました。
これは、父を元気にさせるためのボランティア仲間さんの優しい嘘なんだろうなぁと。
いい感じのピンバッチがあったので父を励ますため、生きる力を出させるため、考えてくださったんだろうなぁと。
たしかに、何十年もボランティア続けているのも間違いないですし、ただ、私からすればほんとに父がボランティアにいくために、そこでボランティアをするために、支えてくださってるボランティアさんがいることに感謝感謝なのですが。

やはり、生活には優しい嘘は必要だと感じた出来事でした。いや、ほんものの賞なのかもしれませんが。

子供にも高齢者にも褒める、大事なことですね。
それでやる気になるなら、より大きな希望が出てくるなら。調子に乗らせるのは悪いことではないですね。
この経験、私自身ももっと寛大な気持ちで、人に接して、人をやる気にさせる力を身につけていかねばならないと改めて思わせてくれました。

遠隔介護ブログ、第九回目の今回は体や生活面だけの介護ではなく、心を介護する、そういったことを勉強させていただいたことについて書かせていただきました。

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遠隔介護ブログ(第8回)

photo_watanabe こんにちは。
コーディネーターの渡邉です。
まだまだ梅雨が続いてますね。

雨の休日はとっても混んでる映画館ですが、先日、私は1日に3本映画を観ました。
観たい映画が6月は8本観たい映画がある中でしぼった3本。
空飛ぶタイヤ、焼肉ドラゴン、ワンダー、という邦画2本、洋画1本。
空飛ぶタイヤは仕事のなかでの自分、
焼肉ドラゴンは家族のなかでの自分、
ワンダーはコミュニティのなかでの自分、
を考えさせられる本当に観てよかった、人に薦めたいと思える3本とも素敵な作品でした。

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そのなかでもワンダーは、遺伝子異常で、顔が変形して産まれた子供とその家族、まわりのひとたちの生き様を描いた映画だったのですが、自分の生き方がどう人に影響を与えるか、
逃げないこと、相手を認めること、自分を認めること、人を許すこと、
様々な心の持ち方がまわりに与えていく影響を絶妙に描いており、
私がいつもこのブログで書かせて頂いてる父に
[お父さんは、ほんとに優しい人達に囲まれてよかったね]という言葉をかけると
父から返ってくるのが
[せやな、でも、お父さんがこんな体やから、お父さんと関わることでまわりの人も、車椅子のひとや、障がい者の人にどう接したらいいか勉強できるんやで]
という、なんだかポジティブなのかえらそうなのかわからない言葉も、
ワンダーを観たあとでは妙に納得してしまいました。

ただ、外出したときに、通りがかりの方がとても優しく父の車椅子や、押し車での歩行を助けてくださることがあるのですが、痩せ型の女性がこられると逆に父は[危ないから触らないでください]と、とても意地悪なことを言うのです。
心優しい女性たちは皆謝られます。
でも、なにも悪いことをされてないし、私にはなかなか出来ない行動なので尊敬し、私が追いかけて事情説明しその女性たちに謝ることもあります。

おそらく、何度もその心遣いにこたえ怖い思いをした父ならではの言葉なのだと思うのですが、その女性たちが次に誰かを手助けしたいと思ったときのトラウマにならないことだけを祈ります。
そして自分も人の親切はまずは感謝で、受け入れもし難しい提案なら丁寧に事情を説明してお断りしようと思いました。

話はかわるのですが先日、関西で大きな地震がありましたね。
阪神大震災を経験しながらも、南海トラフの話もどこかひとごとに思ってしまってたわたしを恥ずかしく思い、あらためて、災害について考える出来事となりました。
とっさにおきる災い。

阪神大震災をきっかけに私の大好きな女性漫才師、ハイヒールりんごさんは、当時独身だったのですが、このまま一人でいるのは嫌だと結婚をしたいと思ったと語られていたのが忘れられないエピソードなのですが、
実家の父も主人の母、私の姑も一人暮らしなので一人で大地震を経験するとどれだけ不安だっただろうと想像し、休日に会いに行ける距離とはいえ、離れて住んでることに少し申し訳なさも感じたのです。

でも、きっとそのように感じてる方々も日本中に何万といらっしゃるのが現実で、
遠くの親戚より近くの他人と言いますが、
例えば、うちの実家であればご近所の民生委員さんや、毎週きてくださるヤクルト配達員さん、
毎朝配達してくださる神戸新聞さん、そして何よりデイサービスのスタッフさん、
訪問介護師さんたちが近所にいてくださることを心強く思うわけで、
地域コミュニティとどう関わるか、今は親や祖父母のことで考えてますが、自分が年老いたときにもどう地域に身をおいていくか考えないといけないなぁと、思いました。
特に私は子供がいませんので、たとえば父や姑にとってのわたしと主人のような存在がいないわけで、しかも主人は年齢がものすごく上なので私自身のことはいまのうちから
終活ノートを作って誰に何を託すのか考えておかないといけないとあらためて感じた今回の地震です。
ちなみに9年前に亡くなった母は、終活ノートが今ほど話題になる前ですが、
末期がんとわかったときから終活ノートを作ってくれていました。

貯金のこと、保険のこと、葬儀のこと、そのほか、地域行事での役割、
土地のこと、自分がつくってきたあらゆる料理のレシピにいたるまで
母が生きてたら私にまるまる教えてくれること、すべて書いてくれてました。
そのノートを書きながらどんな思いだったんだろうと想像するとほんとに心が切なくなりますが、
元気なときから始めることが心身にもよいと思うので今年中に、いや、今日から始めなければ、と思います。

なにか災害や事故がおこったとき、看護師さんのお仕事の大変さやすごさをほんとに感じさせられます。
先日、ニュースにもなった、土俵の上で倒れた男性をとっさの行動で救ったのも看護師さんでしたが東日本大震災のときも避難所で、自分も被災者で避難している身なのにまわりの方々の体調を気にされ助けられていることもよく耳にしました。
そんな看護師さんたちのワークライフに携わらせていただいてる自分の毎日を本当にありがたく、誇りに思えます。

まだまだ小さいですが余震も続いてます。
ライフラインが戻ってない地域もあります。
関西がひとつになり助け合い生きていけたら、まずは自分になにが出来るかしっかり考えて生きていきたいと思います。

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遠隔介護ブログ(第7回)

photo_watanabeこんにちは
コーディネーターの渡邉です。

いよいよ梅雨入りですね。
雨の日、気持ちもじめっとしますが、こんな時こそと、映画館に行ったり、ためてた本を読んだり、雨なりの過ごし方を楽しめるのも梅雨の醍醐味。
幼い頃からけっこう読書が好きなまま、大人になった私ですが、推理小説や時代物が比較的好きではあるものの、漫画もエッセイ的なものは読むことが多いです。
絵本も時々読みます。

そのなかで今回、行きつけの美容室で置いてあり
「渡邉さんに読んでいただきたかった」と10年ほどお世話になってる、わたしの趣味を熟知してくださってる担当スタイリストさんにすすめられた本が、
「大家さんと僕」
これがもうとにかくほっこりしまして。
写真

高齢の大家さんが住む一軒家の2階に賃貸で住むことになった漫才師カラテカの矢部さんが、その大家さんとの毎日を書かれた本。
うちの父が住む家も、カラテカの矢部さんのような親切な人が一緒に住んでくださったらなぁとも思ってしまいました。

高齢者の一人暮らしは増えてます。
お子さんたちが都会に親御さんを呼んで田舎の家は空き家にするのもよく聞きます。
高齢者問題、空き家問題。。

ただ、高齢者さんが住み慣れた家を出て都会にくるのは、便利もありますがきっととてつもない寂しさを経験されるのだとも思います。

私も父がいつまで一人暮らし出来るか、そこに関してはいつも頭を悩ませ、
父が故郷を置いて私や弟の家に住む事は、地域のつきあいも含め不可能だと思いますので、私が実家に戻るのが一番スムーズじゃないか、
それなら施設に入ってる祖母の家、空き家ももう少し頻繁に見に行けて、ご近所に迷惑かけなくていいのではないか、
そうなると、大阪で仕事を続けることは出来ない、主人も仕事は大阪なので離れて住むことになるだろう、
それでも父のために、家のために、そうすれば父が落ち込んだ時やなにか失敗したときに緊急電話がきて、ヒヤヒヤさせられる事からも解放される、
祖母の空き家のことで祖母のご近所さんから苦言を言われることもなくなる、
週末、実家の用事でとられてる時間は自分の自由時間に使えるかもしれない、
地元の友達にも会いやすい、
メリットとデメリット、
どちらにしても生活は一変する。

悶々と考えていたとき、
父のケアマネさんから
「お父さん、いつまで一人暮らし出来るでしょう」という、まさに考えてたことを投げ掛けられました。
わたしは、自分の悶々と考えてたことをぶつけました。
私が帰るべきですよね。
と。
あまりに悶々としすぎてたので、話ながら泣いてました。

ケアマネさんからは
「ご自身の生活を変えてしまうことだけはやめてほしい、めぐみさんの生活を守りながら、できることを考えるのが大事です」と、今後の入居施設のことや、ヘルパーさんの回数を増やすことなどを提案されました。

車の免許もなくなったので利用できるサービスの提案を再度してくださったり。
案外気楽に
「高齢者さんがよく乗ってる四輪の一人乗りのバイクのようなもの」=シニアカーについて、あれを利用したいと相談すると、
シニアカーにもまずは乗れるかどうかの高齢者の能力チェックがあることを初めて知りました。
たとえ合格しても行ける距離などを考えたとて、
かなりの田舎の実家から行ける範囲にあるスーパーも、シニアカーではかなり時間がかかる事を知り、リスクの割にリターンが少ないので、依頼はやめました。

ゴミ出しくらいはできるかもしれませんが、ヘルパーさんのサービスのなかにゴミ処理もお願いしているので、そこには不要ということで。

空き家問題についても、知り合いの大工さんに相談すると
「悩みを1つでも減らすための提案」と、最適な提案をいただきました。

今年中になんとかできればという状況まできたところですが、ほんとに様々な日々のなかで思うのが、このような問題を抱えてるのは決して私だけじゃなく、
問題を解決するためには一人で悩んでても、
ネットで検索しててもしょうがなくて、
口に出して人に相談することというのが大切で、
信頼出来る相談相手を一人でも多く増やす為に自分の状況をちゃんと恥ずかしがらずアウトプットして、ほかの人がどうしているかの事例を教えてくださるひとの意見に素直に耳を傾けることが大事だなぁと思います。

そして、思った以上に世の中は便利です。
介護保険で利用出来るサービスも増えてますし、
空き家問題も、自治体でとても良い活用をされてる市区町村もあります。
ただ、自治体に相談しようとすると、平日になるので平日休みがないわたしはなかなかつらいもの。。

でも、
仕事も長く続けると、ありがたい有給休暇取得という権利もありますので、
仕事と家の用事との両立は自分の努力とまわりの方々への協力のお願い、そして、協力いただける事にしっかり感謝を忘れない毎日を送りながら健康的に乗り越えていきたいものですね。

第7回遠隔介護blogも長くなってしまいました。
第8回を書かせていただく頃には梅雨時期もぬけて、気持ち良い天気が続いていますように。

 

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遠隔介護ブログ(第6回)

photo_watanabeこんにちは。コーディネーターの渡邉です。
そろそろ梅雨に入りそうな湿った毎日が続いてますね。

何か気分を変えたくて
わたしは30年ぶりに髪の毛の分け目を変えてみました。
だからといって、なに?というまわりの声が聞こえそうですが
なんとなくちょっとした変化は楽しいものです。

遠隔介護blogも第6回目。
書かせていただきながらも、
このまま遠隔介護でいいものか、ほんとうは同居すべきじゃなかろうか、
そんな状況が沢山あります。

前回から続けて書かせてもらいます。
父の免許返納は、まさにその点を考えさせられたことがらです。

父は免許センターで、もう免許更新ができないと分かった瞬間、
わたしがトイレに行ってるあいだに
○親戚レベルにお付き合いしてるお友だち
○自分のケアマネさん
に、電話で報告をし、これからの相談をしてました。
ほんとに数分の間です。
友人には、月に数回の買い物や、今後警察で免許返納証明書を発行してもらう日の付き添いをお願いし、
ケアマネさんには、介護保険を使って送迎が頼めるとこがないか調べてもらう依頼をしてました。

そして、私には、地元の社会福祉協議会に寄るように言いました。
そこは、昔、父が若かった頃、
地域のお年寄りで、車に乗れないかたを買い物や用事に送迎するボランティアをさせてもらってた協会です。
窓口の父のお気に入りの女性に、今回の免許返納を相談し、自分がやってたボランティアを
今回は利用させてもらいたいとお願いしました。
ただ、父は全くの車イスではなく、杖をついてでも歩ける環境なので、全く無料で利用できる
社会福祉協議会のボランティアさんは利用出来ないと返答されました。
そこはアッサリと退散。
そして、ケアマネさんが調べてくださった車イスも乗せられる送迎会社さんと、免許返納者への優遇の介護タクシーを利用することに決定。
ケアマネさんからかかりつけ医にも連絡いただき、遠い病院ではなく、近い病院に
定期的な診察も変更していただくことに。

父が車乗れなくなったらどうしよう、いよいよ一人暮らしが無理かも、と悩んでた私を横目に
次々にいろんな相談と手続きをすませ、案外快適に暮らし、少々送迎への手数料がかかっても
車があることで発生する維持費に比べたら安いと前向きな発言になり、
車で出掛けられなくて家にいると寂しくなる日はデイサービスに行く曜日じゃない日もデイサービスに電話し、迎えにきてもらい、デイサービスで急遽過ごさせてもらったりなど、
なかなか楽しそうに過ごしています。

私自身も父がこうなったことで、デイサービスって急遽でも行かせてもらえるんだ。とか、
介護送迎はこんな会社があるんだ。とか、
社会福祉協議会のボランティアサービス内容とか、
あらためて勉強させてもらうことばかりで、自分がどれだけ無知だったかも痛感しました。
免許更新出来ない事がわかり、父自身がすぐに行動を色々うつせたのは、
本人が若い時代にボランティアを頑張っていたことや、
もともとは大工だったものの、バブルがはじけた時にこれからの高齢化社会を先読みして介護の資格をとっていたことなどが幸いしたようです。

日本中には本当に多くの親の免許返納について悩んでおられるかたがいらっしゃると思います。
父が免許返納して4ヶ月、本当になんとかなるものです。
父はきっとほんとは寂しいと思いますが、
事故しないかどうか心配ばかりしてた日々、
本人も車を擦ってしまったりして落ち込むことも増えてたので、
その気持ちのモヤモヤもなくなり、前より明るくなってます。
良い送迎会社さんにも出会えました。

月に2回はわたしも買い物に付き合います。
それも前より楽しそうです。
高齢者による車の事故で被害にあうかたが一人でも少なくなるように、
そして、事故をしてしまった高齢者さんやご家族の心の負担をなくせるように、
ある程度の年齢になると免許返納を自ら考えられるように、
もっとこの動きが日本でも広まっていくといいですね。

私自身も運転は月に数回はしますので、まだ40代ではありますが安全運転に徹していきたいですし
必要のないときは乗らない生活を心がけたいとあらためて思ってます。

遠隔介護第6回目はとても前向きなお話を書かせていただきましたが、
キレイごとではないんですよという、日々起こる本当のしんどさや悩みの乗り越え方や、遠くに住みながら自分の生活と実家の高齢者との問題・向き合い方について次回は書かせていただきたいと思います。

 

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遠隔介護ブログ(第5回)

photo_watanabeコーディネーターの渡邉です。
こんにちは。
過ごしやすい気候が続いていますね。

GW、看護師さんはお仕事の方も多いと思いますが、弊社はカレンダー通りお休みをいただいてまして、大きな旅行はしてませんがポツポツと出掛けはしました。
が、その最中も、一人暮らしの父からの電話に悩まされる日々も数日。

洗濯機が壊れ(排水口が詰まってただけなのですが)、色々考えた末、一人暮らし用の洗濯機ではなく少し大きめに買い換え。
買う日にはわたしと主人が付き添ったものの、配達される日は実家にいれない私たちは、購入店にも父の一人暮らしの状況、耳の聞こえにくさの状況など、
念には念をとしっかり伝えていたのですが、
配送してくださった業者さんと父のコミュニケーションの取れなさで、
再配達やら、再訪問やら、再度エラーチェックやら。

新しいことを受け入れる時に、どうしても耳も目も悪くなるとトラブルが小さくても何かしら起きるのです。
そのたびにわたしの携帯が鳴ります。
どこに電話していいかわからないと全部わたしです。

出掛け先でも集中は出来ず、楽しさも半減、
幸い、主人と出掛けていても友人と出掛けていても、理解があるので助かるのですが、洗濯機も、二層式時代なら使い方もわかりやすかったし、
機能が良すぎてエラーも出やすくなってる今の電化製品、
ほんとに良し悪しを高齢者に関しては、感じます。

そんな困ったちゃんの父、
2月に車の運転免許証の更新でした。
ゴールド免許なので今回は目の検査でさえひっかからなければ、なんとかなるだろうと思い、地元の警察書で手続きしていたら、
途中で「片足で数秒立てませんよね」と言われ、
頑張ってみたものの、無理で…そこから急遽、兵庫県の核となる明石の免許更新センターへ適性検査をうけに。。
最初から明石に来ればよかったとその日は思いました。
平日の貴重な休みを使って同行していたわたし。
さっさと終わらせて夕方、友達にも会えるはずだったのに結局、1日父に付き合うことに。
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せっかく整理番号イチバンやのに直前にトイレに行ったりなんだかんだで何人も抜かされてようやく検査に。
とっさの時にブレーキが踏めるかどうか、ゲームセンターにあるような運転席の機械を使ってのテストでした。

まったくもって、ダメでした。
センターの警察官さんたちも本当に応援してくださったのですが。
案外、父はけろっとしていて、これで肩の荷がおりたとつぶやきました。
免許があれば運転しなければという重荷もあったのかもです。
なんせ、コンビニすら、車で15分かかる田舎暮らしなので。
わたしのほうがこれからどうしようと落ち込みました。

でもその前日も高齢ドライバーによるブレーキとアクセルの踏み間違え事故が
隣の岡山県で起きたばかりでしたので、そういう事を考えると、
父の限界をここで知れたのはよかったんだと思い直し、
そこからは、このあとどうするかをひたすら考えるわたし。

恐れてた現実が目の前です。

少し長くなってきましたので
続きは次回。

でも、免許返納すると
けっこう特典あるんですよ♪

https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk15/ac17_000000017.html

例えば兵庫県はこんな感じです。↑

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遠隔介護ブログ(第4回)

photo_watanabeコーディネーターの渡邉です。
こんにちは。
やっとコート無しでも過ごせる、時には汗ばむくらいの暖かさになってきました。

前回は現在95才の祖父が入院、老健に入るまでを書かせていただきましたが
今回は68才の父の一人暮らしの悪戦苦闘ぶり、
それを娘としてどう見守っているかについて書かせていただきます。

私の母、つまり父の妻の死によって、年老いた男同士の祖父と父の二人暮らしが始まり、
お互い耳も遠く、コミュニケーションが取りづらく喧嘩も頻繁でした。
ただ、喧嘩が出来る相手がいるだけまだマシというのは、ほんとのところで、
祖父が病院、施設へ移ってからは本当の一人暮らしが始まり、
買い物も料理も好きだけど片付けが出来ないという、典型的な男性の生活が顕著に出てくるようになりました。
祖父は几帳面な人でしたので、父が洗濯すると取り入れてたたむのは祖父という役割ができていたのも、父一人ですると、洗濯はするものの、干すのもめんどくさいのでコインランドリーで乾燥させ、持って帰ってきたら部屋にそのままぶちまけて置いている、
買い物も、冷蔵庫に入りきらないくらい買ってきて、ほとんど腐らせる。
それを選別して捨てることもしない。
料理をした鍋やフライパンもそのまま。
調味料を使っても蓋を閉めない。
お皿などは、洗わず使ったままが居間に点在。
ゴミ箱はたくさんあるのに、ゴミは床に落ちている。
という状況。なぜかお風呂だけはきれいに洗うので、掃除が出来ないわけではないとわかるだけに、実家に帰るたび、わたしも、一緒に帰ってくれる主人も、
わたしが帰らない週末に帰ってくれる弟夫婦も、
そして、たまに遊びに来てくれる亡き母の友人も、
数時間の掃除を強いられることになります。

「実家に帰ってのんびりする」
という友人たちの言葉を聞くと羨ましくてしょうがない日々が続きます。
大好きだった実家、母がちゃんと掃除して過ごしやすくしてくれてた実家がどんどん汚れていくことに、体も心も疲弊し、父を一人残して先に亡くなった母や、祖母にまで仏壇の前でわたしは恨み節をつぶやくようになりました。

そんなとき、もともとは祖父のことで相談に乗ってくださっていたケアマネさんが、生活援助のホームヘルパーさんによる訪問を提案してくださいました。

父は、足も弱く杖をつき、もしくは車イスの時もある、そのうえ難聴、さらに心臓の病気も抱えている、という状況なので、介護度の認定も受け、ヘルパーさんに週1回、寝室の掃除と洗濯物の片付け、もう週1回、キッチンの片付けと掃除に来ていただけることに。
最初、家に知らない人が入るということに抵抗があった父ですが、ケアマネさんの熱心な提案、娘さんと息子さんの負担を軽くしてあげたい、孫たちが安心して帰ってこれる家にしてあげたい、という、いろんな想いへの訴えにしぶしぶ受け入れ。
ただ、初日ヘルパーさんが来てくださったあとは、ヘルパーさんとの会話がとても楽しかったようで、入ってもらってよかったと喜びの電話をしてきました。

家に週2回来ていただくことで、父の一人暮らしの問題点もみえてきて、
心臓の薬をちゃんと飲めてないこと、寝ている時間が長すぎることなどの要改善点を、
デイサービスに行くことで解決できるならと、デイサービスを週3回入れていくことで体を動かしたり健康管理をしていこうと提案していただきました。
それもまだ自分は若いと父は嫌がってましたが、もともと介護職の資格も持つ父にケアマネさんが、あなたが来てくださったら、おじいさんおばあさんにも良い影響が出るから、センターでお手伝いする気持ちで来てほしい。と、うまいこと言ってくださり、
これもしぶしぶ行きだすと、すぐにデイサービスに行くことを楽しみにするようになり、
私たちが実家に帰る日はデイサービスを休むのに「○○ちゃん(デイサービスの所長さんやスタッフさん)の顔見たいからデイサービスにちょっと寄ってくれ」と、
5分でもいいからデイサービスをのぞきに行くほどに大好きになっています。

体が弱い父を、一人暮らしさせてしまっていることの私の不安や、申し訳ないという思いを地域のデイサービス、介護サービス利用により、少し安心…いや、だいぶ安心な心持ちに変えていただけました。
本当にケアマネさんの存在と、あと、ケアマネさんを頼るようにとわたしに教えてくださった、うちの実家の汚れ具合もいつも見てなにも言わず片付けながら父を励ましてくださってた
亡き母の友人たちに本当に感謝してます。

介護度にあわせて、どんなサービスが利用できるのか、どのようにすれば嫌がるお年寄り(もちろんプライドもあると思いますし、お金の心配もしていると思いますし)を、介護サービス利用に心をうつしてもらえるかは、家族だけで悩みすぎないほうがいいなぁと本当に思います。

前回も書かせていただきましたが年齢が若くても、生活に支障をきたしてくる体力の方は、たくさんおられると思うので、そんなときに地域の福祉課や施設に相談し、適切なアドバイスとサービス利用は、サービスを受ける本人さんも家族さんも笑顔が増える大切なことだと思います。

ケアマネさんとの相性もあるかもしれませんが、家族内の恥ずかしいことも含め真実をちゃんと相談する、弱音も吐かせてもらう、包み隠さず話してSOSを出す、
これは、私の経験から、親の介護に悩み始めた友人たちにいつも伝える言葉です。
と、今は介護サービス利用して楽になりましたよ、というような内容を書いてますが新たな悩みは日増しにわいてくるもの。

私自身も、毎日、朝昼晩と時間関係なく電話を鳴らしてくる父(一人暮らしの寂しさからだと思います)に疲弊し、メールを教えても教えても使えないので、電話のみでコミュニケーションをとることの辛さと闘いながらの毎日です。

老々介護での悲しい事件をニュースで見ると、老々じゃなくても高齢者の家族と共に生きる生活が抱える心の闘いを他人ごとではなく痛感します。
誰かに話すことで心が少し軽くなるなら、自分ひとりで溜め込まない、兄弟や親せきで押し付け合いせずに皆で協力できる環境をとるというのも大切な事ですね。

次回は
田舎なのに、運転出来なくなった父という、いま、日本中で悩む方が多いと思われる、高齢者の運転免許証返納について書かせていただきます。

 

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遠隔介護ブログ(第3回)

photo_watanabeコーディネーターの渡邉です。
待ちに待った春が来ました。
今年の冬は一段と寒かったですね。
うちの実家では2月、居間のエアコンが故障したり、
水道管が寒さで破裂したり、
で、
一人暮らしの父にとっては
ほんとに寒くて辛い冬だったと思います。

水道管に関しては
夜中に発覚したので、
片道二時間かかる私も弟も帰れず、
業者さんにも連絡出来ないので
叔父(父の弟)に連絡をとり、
かけつけてもらい、応急処置をしてもらいました。

父も弱った足で、車イスを押しながら寒空の中、
水道管を点検に行き
どうしようもなく立ち尽くしてたようで
駆けつけた叔父はその姿が可哀想で泣きそうになったと言ってました。

翌日には、知り合いの大工さんも心配して駆けつけてくれたり、
業者さんもその時期、あっちこっちで水道管トラブルがあったのに、
高齢者の一人暮らしということで
優先して来てくださったり、
水道管破裂で水が溢れ
迷惑かけた隣のおうちのかたも
謝罪に行くと、逆に父を心配してくださってたりと、

ほんとに地域のかた、まわりのかたの温かさを感じました。

田舎はなにかと不便ですが、
その独特のつながりや温かさが
そこでしか獲られないものという宝物だとあらためて思います。
エアコンも大工さんが業者さんとのやりとりを含め手伝ってくださり、
良心的なお値段で
元通りになりました。
そんなてんやわんやの冬が終わり、春。

今回のblogでは
95才になる祖父について書かせていただきます。

前回書いた経費老人ホームにいる祖母は母方。

この祖父は父方です。
父方の祖母はわたしが20代の頃に亡くなり、そこから祖父は
自分のことは自分で出来るように
とても器用な性格、才能も生かし生きてきました。
ただ、もちろん、年々足腰弱くなります。

うちの母が亡くなってからは父と祖父の二人暮らし。
高齢男性の二人暮らしは
けっこう悲惨です。
特にどちらも一人暮らし経験がないのと、
どちらも耳が遠いのでお互いの声も聞き取れず
コミュニケーションがとりにくい。
喧嘩も多く、今だから言えますが父が祖父に取り返しのつかない
暴力をふるってしまうのではないかと内心心配してました。
実際、週末実家に帰ると、祖父から、杖で頭たたかれた、とか、
でこぴんのきついのを何回もされると
泣きそうな顔で言われることも増えてましたので。

祖父は
足腰弱くても畑に行きます。
危なくても自転車に乗ります。
自転車禁止すると徒歩で行きます。携帯電話を持ってないので
こっそり畑に行ってしまうと
帰宅するまで心臓の弱い父は
自分の心臓が止まるのではないかというくらいのドキドキを体験してました。

ただ、5年前、90才くらいから
転倒が増え、入退院が少しずつ増え、
そこから、デイサービスを利用させていただき、
健康の管理をお願いするようになりました。

まわりのお年寄りより、
元気なつもりの祖父はデイサービスに行くのを最初とても嫌がってましたし、
介護度認定の調査日も
急に頭も体も元気になって
介護は必要ないとひたすらアピールしてました。

が、熱心なケアマネさんの働きかけで、
デイサービスに初日行ってみると
優しい介護士さん、看護師さんに囲まれ、
ほんとに楽しかったようで
そこから嫌がらなくなりました。

ただ、地元のデイサービス、
もちろん昔からの知人も
同じ利用者として通われてます。もちろん好き嫌いもあります。
そこは正直に施設に相談し、利用曜日がかぶらないように
という配慮もしていただいたり、
かぶりそうなら違うセンターにその曜日だけ変更していただいたりもしました。

デイサービスはあくまでも日中の利用、
夜は父との二人の生活になります。
夜中にも転倒します、その回数も年々多くなります。
いよいよ、自宅での暮らしは難しいとケアマネさんとも相談し、
転倒入院後、そのまま、老健にお世話になり、
リハビリをお願いすることに。
老健は、特養と違い
ある一定の期間が過ぎると退院となるので、
半年後在宅に戻りまた転倒で入院、、結局同じことの繰り返しでした。
特養は300人以上の待機が地元でもあり、入れない状況。

有料老人ホームやサービス付高齢者住宅も考えないといけないという状況の中、
なかなか近くには金額的にも思わしいところがなく

居宅のケアマネさんと
老健のケアマネさんと
何度も相談させていただき、
老健で少し
長めに置いていただくことに。

現在は認知症の初期症状もあり、
病院の認知症病棟に転院となってますが、

この数年のなかで感じたのは、
弟とわたし、そして父、主人、弟の嫁

というほんとの身内で
何度も何度も話し合い、
信頼できるケアマネさんに
家庭環境や
家族の事情、お金面も含め
包み隠さず相談することがどれだけ大切かということです。

すべて家族で抱えてしまうと、
介護される祖父も
介護する側の父も決して幸せにはなれない、
施設をその都度利用させていただくことでお互い、笑顔の時間が増えるのです。

父はいまだに
自分が家で自分の親を介護出来てないことに時々
申し訳ないと口にしますが
自分の体力的にも絶対無理なことをわかってます。

私たち身内は月に1~2回、祖父に会いに施設にいきます。
老健時代も病院でも

若い介護士さん、看護師さんに
大切にお世話いただき、ほんとに幸せそうな笑顔を見せてくれます。

身内に介護が必要な者が出たときに
どの介護サービスを利用するか、
切羽詰まるまでにどこにどんな相談窓口があるかを
しっかりつかんで
信頼できるケアマネさんに出会うこと、が大切だとわかり、

友人やほかの親族に
身内の介護の相談をされたときも
まずは地元の社会福祉協議会や役所の福祉課や
かかりつけ医に相談して
指示をあおぐべきと
伝えることにしてます。
なんでも専門家に相談することは
最善策への近道になりますね。

長々となりましたが、近しい人に何かあったときに
絶対自分だけで抱えない、その事を、
老老介護で悲しい事件も起こるこの時代に
わたしは一人でも多くの人に伝えていきたいと思ってます。

そして、わたしが仕事でかかわらせていただく、
看護師さん、介護職さん、医療や福祉の現場で活躍される方々の
日々のお仕事の大変さ、社会貢献度の高さを感じ、
感謝の気持ちをお仕事でお返しできたらと勤めさせていただいている毎日です。

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遠隔介護ブログ(第2回)

photo_watanabeコーディネーターの渡邉です。
実録遠隔介護blog
第2回目です。

前回のblogでさっそく訂正が、、、
我が父の年齢を66才と書いていたのですが
正式には68才でした。

なぜ発覚したか。。父は先日誕生日でした。
デイサービスでお誕生日会をしていただき
70才になりましたと挨拶をしたら、68才やで~と
介護スタッフさんたちにつっこまれたそうです。
「お父さんは68才になったそうです、70才ではありませんでした」と、
私の携帯電話の留守電に父の言葉が残されてました。

父と私の「父の年齢の認識」には4才も差がありました。
父と娘の関係なんてこんなものなのかもしれません。
さて、今回の本題です。

母が末期ガンがわかり、
遠方での仕事から地元に戻してもらうことになったことまでは
前回書かせていただきました。

母は一人っ子だったので
もともと嫁にいくとき、
両親の近くから離れるのは難しく、同じ市内での嫁入りをしていたので

月に数回、実家の様子見に昔から帰ってました。
そして、
だいぶ若く母の父は亡くなったので、母の母、
私の祖母は20年以上一人暮らしをしてました。
車の免許もないので、
電車もバスもない地域で
母の送迎や近所のかたの送迎で、買い物などをする日々。

母が末期ガンになり治療となると
その一人暮らしの祖母のことがまず気になりました。

その数年前から
被害妄想発言(全く独身の私が勝手に嫁にいったとか、
夜中に誰かがずっと家に石を投げてくるとか)がちょくちょく見られてたので、
母に認知症検査につれていくほうがいいと打診してましたが
いざ検査にいってみても、検査当日は全く症状が出ず
母も信じたくないのか、専門病院に連れてくことはなく
そのままの生活が続いてました。
ただその被害妄想で母が夜中に電話で呼び出されることも増え
祖母を自分の家に呼び寄せ
泊めても家に帰りたいという。

そこそこ、これも母には負担だったと思います。

そんな毎日のなか、母の大病とあり、
私は地元の仕事に戻れたので
祖母の家に私が住み、ちょっと様子を見たいと母に相談しました。
ただ、私の人生に負担をかけたくないということと、
祖母も私の残業で遅くなる生活とともにするのは疲れるだろうと、

知人や市役所の福祉課と相談し
自分の大病も伝えたうえで

身寄りのない人や
家族による援助が困難なかたが入居される
経費老人ホームに入居出来るようになりました。
祖母は抵抗があったようですが
娘の大病を理解し
とりあえずは入居がスムーズにはすすみました。

思えば私が覚えている母との想い出で初めて、人を頼ったエピソードだと思います。
なにもかも自分でなんとかしようとしてきても
どうにもならない時がある、
そんな時に頼るべきところを
まずは知人や市役所に相談し、最善の策を知る。

認知症かどうかまだはっきりしていないときに
介護度調査にもいたってない自分の親を施設に入居させるという決断は
母にとってとても胸の痛むものだったと思いますが

その祖母は、今もその施設でとっても楽しくイキイキと生活させていただいてます。

高齢の身内の介護サービスを考えるうえで
地域にどのような施設があり何が最善なのか、
どこに相談すべきかを明確に考えるのは
介護する側にとっても、
される側にとっても大切なことだと今は痛感してます。

今のわたしの後悔は
この決断や行動を
大病を抱えた母に任せるのではなく
私と弟でもっと動くべきだった、その後悔です。
どれだけ母がしんどい体を抱えながら心も傷つきながら
未来に備えていたか。

私は、まだまだ自分の生活だけを考えていました。

後悔先に立たず、ほんとにそことおりです。

本日書かせていただいた
祖母が入所させていただいている軽費老人ホームとは
私がワークステーションに入社したいと思うきっかけになった「音楽隊」がある事
へのルーツとなった施設です。
私は学生時代、合唱部に入部しており
高齢者さんの施設で懐メロを合唱させていただいておりました。
いつかまたあんな風に、ボランティアでお年寄りの前で歌を歌わせていただきたい
高齢者さんと一緒に合唱がしたい、そんな思いがあった私が転職活動中に
ワークステーションの今の職種募集を見、ワークステーションのホームページを見ると
「音楽隊」というのがあり、ボランティアで福祉施設や病院に音楽を届けているとのこと。
(音楽隊とはhttps://www.medicalstation.co.jp/system/ws_ongakutai/

ワークステーションに入社したいというより
音楽隊に入隊したいという思いでこの会社をうけました。
なので、祖母が入所させていただいた軽費老人ホームでの合唱の経験があるからこそ
今ここでブログを書かせていただいている私があると言っても過言ではありません。

合唱させていただいた20年後に祖母が入所させていただくとは
それもまたすごいご縁だなあと思ってます。
どんなことでもご縁には感謝ですね☆

次回はもう1名の高齢者、祖父の介護についての実録です。

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遠隔介護ブログ始めます

photo_watanabeこんにちは。
コーディネーターの渡邉です。

私は今、ワークステーションで
正社員として勤務させていただきながら
高齢の祖父母、体の弱い66才の父の介護というか見守り
そして主婦という立場での
生活を送っております。

看護師さんのお仕事相談をうかがうなかでよく
「子育て中心の生活が終わってやっと仕事を本格的にと思ったら
次は親の介護が始まって」という言葉をお聞きします。
女性のライフスタイルは
なかなか自分だけの理想や
目標だけでは描いていけない現実があることを
日々痛感させられるのですが(現代は男性もかもしれないですね)、
私は子育てを経験せず
介護問題がやってきたので
現実を受け入れるまで
戸惑いもがき、自分だけが不幸なような気持ちに陥ることもありました。

そんな中、フルタイムで働くことをやめずに両立し続けている今、

身内や友人、知人、地域の方々への相談
介護サービスの利用など

をどのように駆使してきたか、
今もどう活用させてもらってるか
つたない文章ではありますがブログにさせていただくことで

ご自身の家庭の介護問題を抱え、でも仕事もしたいという看護師さんへの
たとえわずかでも
自分だけじゃないんだと少しでもお気持ちの安らぎにつながるならと思い
書かせていただきます。

まずはなぜ私が高齢者介護と向き合うことになったのか。
20代は正直

仕事と遊びだけに精一杯でした。
毎週ごとに締め切りのある仕事をしていたので(前職です)
平日は
残業もバンバンしながらくたくたになるまで働き週末は
ひたすら遊びという
実家から通勤していても全く家の手伝いもせず
お給与でなにかを買ったり旅行をプレゼントしたりを家族にすることのみで
親孝行、祖父母孝行を
している気になってました。

介護のカの字も考えた事のない日々。
祖母が脳梗塞で入院し、寝たきりで退院したときも
オムツ交換もご飯のお世話も
介護職経験のある父に任せ
自分は顔を見て話かけるだけ。

そんな私の生活が変わったのは
30才のとき、
仕事もしながら家事もしながら
田舎なので村の付き合いや
親戚の事もすべて仕切ってきていた
母が
末期ガンの宣告をうけたのです。
私は仕事で広島県に住み出した時期でしたが
母の余命も主治医から私だけに話され、それが8ヶ月という短さであったため、
体のもともと弱い父一人に
母のこれからを任せるのは不安に思い
会社にすべてを話し、実家から通える事業所に戻してもらい、
初めて、仕事をしながら
家族の事を考えるという事が始まったのです。

知人や上司からも
その時独身だった私に
お母さんが生きてる間に
ウェディングドレスを見せて
あげたほうが良いのではという言葉ももらい
結婚もすることになり、
一気に生活環境が変わりました。

これが、まだまだ序章ではありますが
思い描いてたライフスタイルから変わったという一つ目の段階です。

今や日本の国民の二人に一人が生涯のうちでガンという診断をうける時代なのに
11年前の私には
まだそれが身近ではなく、
ほんとに急にふりかかった悪い夢のような出来事。
今から思えば
もっとこうすればあぁすればと思うこともあるのですが
その時は毎日毎日が精一杯。
次回はそのあぁすればよかった、こうすればよかった
の日々を少し書かせていただきたいと思います。

暦上の大寒も過ぎましたがまだまだ寒さが本格的にやってきている毎日
今年は隠れインフルも多いようですので
健康管理に気を付けて
春を迎えたいものですね。

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